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花の百名山102

时间: 2020-06-28    进入日语论坛
核心提示:利尻山《りしりざん》   ボタンキンバイ・シコタンハコベ園芸種のボタンは、あまりにも華やかなので、その散る姿には『平家物
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利尻山《りしりざん》
   ボタンキンバイ・シコタンハコベ

園芸種のボタンは、あまりにも華やかなので、その散る姿には『平家物語』ではないが、まさに|盛者必衰《じようしやひつすい》の思いをそそられる。私は江戸時代の俳人の中で、蕪村が一番好きなのだが、そのボタンの句が、生きとし生けるものの無常のあり方を、よくとらえていると思う。
牡丹|散《ちつ》て|打《うち》かさなりぬ二三片
[#地付き]与謝蕪村   <t-left>
さて高山植物の中には、同じキンポウゲ科のキンバイソウやシナノキンバイより、花の|萼片《がくへん》が重なりあい、黄金の球のような豪華さを見せるボタンキンバイがある。
北海道の利尻山は一七一九メートル。島全体が山そのものになっているような地形で、海上から眺めれば、利尻富士の名にふさわしく、駿河湾から仰いだ富士山にそっくりの秀麗な山容を見せている。岩木山、鳥海山にもよく似ている。それらはいずれも岩木富士、鳥海富士などとよばれて、富士山と同じく、比較的新しい成層火山である。ただ、利尻山は那須火山帯に属し、岩木山、鳥海山は、那須火山帯の西を走る鳥海火山帯で、長野、新潟、群馬あたりで一緒になり、ここにも富士山に似た形の浅間山や、榛名山などをつくっている。
登る、登る、今年こそ登ると宣言しながら、私はまだ富士山は、五合目のお中道の、二四〇〇メートルあたりのところを歩いただけである。間近に見上げて、るいるいたる赤茶けた熔岩の一大群落を見ると、まず、あんまり花がなさそうだなあと思い、お中道の夏をいろどる、シャクナゲやコケモモやクルマユリなどで十分に満足してしまう。それらは、標高二〇〇〇メートルから二五〇〇メートルぐらいの山にゆけば、どこでも見られる。利尻山の一七一九メートルは、緯度的に言って、中部山岳地帯の山々の高度に一〇〇〇メートルを加えた内容を持っている。二七〇〇メートルともなれば、富士山よりも変わった花が見られよう。
登ったのは七十代にさしかかった年の夏、その前日は夕張岳の一六六八メートルに、そのまた前日にニセコの|目国内《めくんない》岳の一二〇三メートル、さらにその前日に、|樽前《たるまえ》山の一〇四二メートルに登っていた。
一日一山、花を訪ねての山旅であった。
利尻山の前にまず札幌の|丘珠《おかだま》から利尻に飛んで、|鴛泊《おしどまり》港から礼文にゆき、雨の中を礼文岳に登った。夕方晴れて、眼の前に夕映えの利尻山の端整な姿を望み仰いで、明日はどうしてもあの山に。海抜一七一九メートルは正味の高さだ。健脚ならば、四、五時間でゆけようが、私は登り下り十二時間でと心に誓った。その日は|香深《かふか》の民宿泊まりで、礼文を散策して、夕方利尻島の鴛泊まで、また船で三十分。宿は港の前にあって、翌朝午前二時の出発と決めた。稚内ゆきの船は午後三時出帆である。早暁にヘッドランプをつけて、宿を出て、三時に登山口に着き、午前七時、八〇〇メートル地点の長官山に着く。残り時間は八時間。道は火山礫のごろごろ道である。だんだん急勾配になる。もうあきらめようかと思ったとき、左側の山腹一面が真っ黄な花の色に被われているのが見えた。少しでも近づこうと沢を下り、雪渓をわたる。花はもっと高いところにある。
利尻で私が見たかったのは、図鑑で見た黄いろいケシであった。しかしケシの淡い黄よりもっと濃い。シナノキンバイはあのようなぼってりとした姿ではない。花に厚みがあって、頂上直下の山腹を埋めている。道はいよいよ悪いガレ道となり、息を切らし切らしして、とうとう頂上について十時。左側の山腹に走りよった。ボタンキンバイであった。ボタンという名をつけるにふさわしい豪華さである。足許にはナデシコ科のシコタンハコベが群生していた。これも初めて見た。清冽である。シコタンの名もなつかしい。帰り道は四時間で走り下りた。胸いっぱいにボタンキンバイの黄に満たされて。ボタンキンバイは数年前に、サンモリッツの二五〇〇メートルの稜線でも出あい、利尻であえなかった淡い黄のケシはシーニゲプラッテの高山植物園で見た。ヨーロッパアルプスの低地では、オドリコソウも黄に咲いていた。
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