ジンヨウキスミレ
山路来て何やらゆかしすみれ草
松尾芭蕉
この句を読むたびに、これは何スミレであったのだろうと思う。
芭蕉が京都から山中越えをして、近江に出る時の句だという。
シロスミレかムラサキスミレか。日本には百種類に近いスミレがあるそうだから、シロスミレと言ってもツボスミレもあり、ケマルバスミレもあり、アリアケスミレもある。ムラサキスミレと言っても、濃い紫ならばただのスミレ、うす紫ならばタチツボスミレ、少し赤がかっていればノジスミレ、オカスミレ、サクラスミレというのもある。
近江の比良山地にはオオバキスミレが咲いていたが、山中越えは、比良山地ほど高くはないから、ノジスミレかタチツボスミレか、ただのシロスミレかなどと考えてしまう。
黄のスミレは高山植物に多い。一番多く見たのはキバナノコマノツメである。岩の間から顔を出している。夕張岳で、大千軒岳で、笠ケ岳で、秋田駒で出あった。
スミレはそのかたちがかわいいので、昔からひとびとに好まれ、山部赤人の有名な歌がある。
春の野に 菫|採《つ》みにと 来し吾そ
野を懐かしみ 一夜|宿《ね》にける
[#地付き](『万葉集』巻八、一四二四)<t-left>
このスミレも何スミレかなと思うのだが、江戸時代の国文学者の中には、これはスミレでなくてレンゲソウだという説をたてているひともある。
ジンヨウキスミレは、旭岳から黒岳まで縦走して来たとき、その山腹に咲いていたのを、環境庁の沢田栄介氏に教えていただき、その葉の形が腎臓に似ているからとうかがって、眼を近づけてみた。その後、まだ出あったことがない。ヨーロッパアルプスでは黄のタカネスミレに出あったが、ジンヨウキスミレを見たことがない。ただジギタリスもオドリコソウも黄に咲くのを見た。高い山では、どうして下で赤や紫に咲く花が黄に咲くのであろう。