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花の百名山126

时间: 2020-06-28    进入日语论坛
核心提示:日光白根山《につこうしらねさん》   シラネアオイ 戸隠の中社の民家の庭で、大きなうす紫の花片が四つ。葉が大きなカエデの
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日光白根山《につこうしらねさん》
   シラネアオイ
 
 戸隠の中社の民家の庭で、大きなうす紫の花片が四つ。葉が大きなカエデのような形の花を見た時、トガクシショウマですかと私は聞いた。トガクシショウマにあこがれていた。シラネアオイですと答えられて、はじめて聞く名だと思った。野生の花と思えない華麗さであった。
はじめての尾瀬は雨の三平峠から登り、秋であったので、草は皆枯れていた。二度目は初夏の鳩待峠から入ったが、下り道の沢のほとりの笹藪の中に、戸隠で見たのと同じうす紫の花を見つけ、シラネアオイ、シラネアオイと大声をあげて仲間を呼んだ。
シラネアオイは、その後、鳩待峠から至仏に登った時も、同じ沢筋の笹藪の中に咲き、同行の故平野長英さんが、日光白根山にゆくと、シラネアオイはもっといっぱい咲いていますと教えてくれた。
もう二十年の昔になる。やっぱり雨の日光白根に、菅沼からシラネアオイを見に登ったが、病人が出て私は連れて引き返し、頂上直下の弥陀池のかたわらの山腹は、シラネアオイの大群落であったという話を羨ましく聞いた。あのうす紫の大輪の花が山腹を埋める。思うさえ胸がおどる。そして翌年の六月、自分の眼でそれをたしかめた。菅沼のロッジの脇からまっすぐに歩き出して笹原に入り、登山道を左折、右折と稲妻形にくりかえすこと三時間、ムラサキヤシオの花が咲き、ダケカンバの芽ぶきが新鮮な緑である。その時私は体調が悪く、木の根がやたらに出ている道や、明らかに白根火山の熔岩とわかる巨岩が露呈しているところが少し厄介だったが、健脚のひとならば、二時間で弥陀池まで容易に達せるだろうと思った。木の間越しに根名草山や金精山が見える。
現在は金精峠を広いドライブウエイで越えられるけれど、これができる前は火山地帯特有のガレ場の多い道で、学生時代の昔、一人で滑って谷におちまいと、山腹にしがみつくようにして息あえがせて越えたことがある。私は菅沼を目指し、学友たちは前白根に向かったが、これまた崩壊地形で難儀して、一時は遭難かと、湯元の旅館でひとを集めて出迎えにいった。朝八時に出発して到着が夜の十一時。皆四つん這いで月明かりの中を、手さぐりで下りたという。菅沼ゆきの私も途中でクマに出あって腰を抜かし、夕暮れの金精峠を四つん這いで下りて来た。
さてその日、急坂に次ぐ急坂を過ぎて平坦地となり、弥陀池に近づくにつれて、山腹に点々とシラネアオイがあらわれ、池の右手の山腹はまったくシラネアオイ以外の花は何にも見えず、溜息の出るような美しさで、野生の花がこんな典雅な風情をあらわすということに感動した。
池のほとりで昼食をとって一時間の休みの間に、強くなった陽射しを受けて、蕾がいっせいに大きな蕚片をひろげ出したのにも感動した。
健脚組は、日光火山群のうちの最高峰である奥白根の二五七八メートルまで登ったが、私は、花を見ただけで満足して下山した。
ところで、つい最近、今度は頂上を目指して同じ時季に登っておどろいた。やはりムラサキヤシオの花は見覚えのある位置に咲いていたが、シラネアオイが激減しているのを知って、胸をつかれる思いであった。たった十数年の間に、花盗人たちに持ち去られたのではないだろうか。
シラネアオイは十分の一ほどになり、ネバリノギランやイワイチョウなどが目立つ。
弥陀池の右手の山腹をうす紫で埋めたあのシラネアオイたちはどこへいったかと暗然たる思いになり、ふと、十数年前に、病人を旅館に連れ戻す時、雨中だったので、手をあげて止めて乗せてもらった自動車の中のひとびとの話を思い出した。これから尾瀬に何か珍しいものをとりにゆくのだという。その頃、尾瀬の監視は現在ほどきびしくなかったのである。
シラネアオイは、日本の特産種である。ヨーロッパアルプスでもカナディアンロッキーでも出あわなかった。私は、眼の前に花盗人たちがいるような大きな怒りを感じて、弥陀池から頂上を目指した。
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