クサタチバナ
榛名山と赤城山は、ほとんど似たような形の複合成層火山で、関越自動車道を、上越線・信濃線を利用するとき、いつも車窓から眺めて、その悠然として、上毛の空にそびえる姿に見とれてしまう。
はじめて赤城山に登ったのは、六十年近い昔の九月で、前橋からバスで一杯清水というところまでゆき、カルデラ湖の|大沼《おの》で和船を漕ぎ、|大洞《おおぼら》から|小沼《この》と歩いて、一面のマツムシソウの紫の中に身を埋めていた。うす紫の着物姿で、うす黄の洋傘をさし、たった一人であったとは、今思うと大胆であったと思う。仰向けに寝てマツムシソウ越しに空の青さにうっとりしていたら、白衣姿の行者が二人下りて来て、若い娘が、こんなところに一人でいてはいけないと注意してくれ、ゆきには道路工事の人夫たちが大声でからかったので、急にこわくなって、駆け下りたのだが、どの道であったか。
戦後二十年して、レンゲツツジの満開の頃に、山の仲間と赤城にゆき、大沼周辺の乱雑なひらけようにがっかりし、あの山の緑と花の美しかった赤城はもうなくなってしまったと嘆いた。
それでも地蔵岳の一六七四メートルを歩いて登り、クサタチバナの白い花に出あった。はじめての出あいだったからうれしく、忠治温泉に向かって新緑のミズナラの中を歩いて、このあたりにはまだ昔の赤城の面影があるとよろこんだ。クサタチバナは鮮緑の葉も美しく、その後、御坂峠、鳳来寺山、櫛形山、熊野路でも出あって、この花が中央構造線の南にのみ咲くことを知った。赤城は北限ではないだろうか。
赤城が俗化してつまらないというと、上毛新聞の柳田芳武さんが、いやいや、まだよいところがいっぱいあると、外輪山の駒ケ岳の一六八五メートル、|黒檜《くろび》山の一八二八メートル、鈴ケ岳の一五六五メートルに案内してくれ、アカヤシオ、シロヤシオの満開を見、アズマシャクナゲのうす紅の群落にあい、赤城はまだ花の山だと安心した。その後紅葉の頃にも外輪山を歩き、紅葉の山だとも思った。
はじめて赤城山に登ったのは、六十年近い昔の九月で、前橋からバスで一杯清水というところまでゆき、カルデラ湖の|大沼《おの》で和船を漕ぎ、|大洞《おおぼら》から|小沼《この》と歩いて、一面のマツムシソウの紫の中に身を埋めていた。うす紫の着物姿で、うす黄の洋傘をさし、たった一人であったとは、今思うと大胆であったと思う。仰向けに寝てマツムシソウ越しに空の青さにうっとりしていたら、白衣姿の行者が二人下りて来て、若い娘が、こんなところに一人でいてはいけないと注意してくれ、ゆきには道路工事の人夫たちが大声でからかったので、急にこわくなって、駆け下りたのだが、どの道であったか。
戦後二十年して、レンゲツツジの満開の頃に、山の仲間と赤城にゆき、大沼周辺の乱雑なひらけようにがっかりし、あの山の緑と花の美しかった赤城はもうなくなってしまったと嘆いた。
それでも地蔵岳の一六七四メートルを歩いて登り、クサタチバナの白い花に出あった。はじめての出あいだったからうれしく、忠治温泉に向かって新緑のミズナラの中を歩いて、このあたりにはまだ昔の赤城の面影があるとよろこんだ。クサタチバナは鮮緑の葉も美しく、その後、御坂峠、鳳来寺山、櫛形山、熊野路でも出あって、この花が中央構造線の南にのみ咲くことを知った。赤城は北限ではないだろうか。
赤城が俗化してつまらないというと、上毛新聞の柳田芳武さんが、いやいや、まだよいところがいっぱいあると、外輪山の駒ケ岳の一六八五メートル、|黒檜《くろび》山の一八二八メートル、鈴ケ岳の一五六五メートルに案内してくれ、アカヤシオ、シロヤシオの満開を見、アズマシャクナゲのうす紅の群落にあい、赤城はまだ花の山だと安心した。その後紅葉の頃にも外輪山を歩き、紅葉の山だとも思った。