ユウスゲ
赤城には、娘の頃から登ったが、榛名山には戦後も二十年くらいたって、山の仲間と登るまで、一歩も足を踏み入れたことがなかった。榛名山といえば伊香保温泉を思い、その有名さゆえに、多分その地域も俗化してしまったであろうと勝手に思いこんでいた。
もう十数年の昔となったが、温泉街を抜けて春の榛名の外輪山を、天神峠から湖畔を通り、天目山の一三〇二メートルに取りついて、三ツ峰から、松之沢峠、磨墨峠と歩き、火口原であろう沼ノ原を横切り、中央火口丘の榛名富士一三九一メートルに、足弱はケーブルで、健脚組は歩いて登って下りたのがはじめてである。私はケーブルで登って、歩いて下りたのだったが、その稜線歩きの道が、花が多くてうれしかった。山腹にはヤマザクラ、トウゴクミツバツツジが、ようよう芽ぶいたミズナラやクマシデやヤマボウシの林の中に咲き、まだ枯れ残っている草地にはキバナノアマナやキランソウに、ヒナスミレ、アケボノスミレ、ニオイタチツボスミレ、チシオスミレなどが赤紫の濃淡を競っていた。沼ノ原にはショウジョウバカマの紅、サワオグルマの黄もチラホラしている。
秋にはどんな花が咲くかと九月にまた、同じ稜線を辿ったが、ヤマボウシの赤い実ばかりがいっぱいあり、防火線とかですっかり伐り払われていて残念であった。
晩秋の一日、相馬山に登り、たまたま、修験者の一行と一緒になって、御堂の中で護摩など焚いてもらったが、山の木々はすでに落葉し、樹林の間から見える湖面の青さ。初雪をうっすらとかぶった榛名富士の美しさに見とれ、赤城より榛名の方が、ずっと閑寂さを保っていることを知った。同行の上毛新聞社の柳田さんが言われるには、夏に沼ノ原が私の好きなユウスゲのうす黄に埋まるとのこと。ヤナギランやコオニユリもその間に咲きさかるとのことで、今度はぜひ夏にと思っている。
夕菅や湖心はいまも舟寄せず
もう十数年の昔となったが、温泉街を抜けて春の榛名の外輪山を、天神峠から湖畔を通り、天目山の一三〇二メートルに取りついて、三ツ峰から、松之沢峠、磨墨峠と歩き、火口原であろう沼ノ原を横切り、中央火口丘の榛名富士一三九一メートルに、足弱はケーブルで、健脚組は歩いて登って下りたのがはじめてである。私はケーブルで登って、歩いて下りたのだったが、その稜線歩きの道が、花が多くてうれしかった。山腹にはヤマザクラ、トウゴクミツバツツジが、ようよう芽ぶいたミズナラやクマシデやヤマボウシの林の中に咲き、まだ枯れ残っている草地にはキバナノアマナやキランソウに、ヒナスミレ、アケボノスミレ、ニオイタチツボスミレ、チシオスミレなどが赤紫の濃淡を競っていた。沼ノ原にはショウジョウバカマの紅、サワオグルマの黄もチラホラしている。
秋にはどんな花が咲くかと九月にまた、同じ稜線を辿ったが、ヤマボウシの赤い実ばかりがいっぱいあり、防火線とかですっかり伐り払われていて残念であった。
晩秋の一日、相馬山に登り、たまたま、修験者の一行と一緒になって、御堂の中で護摩など焚いてもらったが、山の木々はすでに落葉し、樹林の間から見える湖面の青さ。初雪をうっすらとかぶった榛名富士の美しさに見とれ、赤城より榛名の方が、ずっと閑寂さを保っていることを知った。同行の上毛新聞社の柳田さんが言われるには、夏に沼ノ原が私の好きなユウスゲのうす黄に埋まるとのこと。ヤナギランやコオニユリもその間に咲きさかるとのことで、今度はぜひ夏にと思っている。
夕菅や湖心はいまも舟寄せず