ヒイラギソウ
両神山一七二三・五メートルの、天に向かって、|鋸《のこぎり》の歯をかざしているような鋭い切れ込みを持つ山容は、秩父の武甲山、破風山、|城峰《じようみね》山の頂きからみてもすぐわかり、登りたいといつも思っていた。
両神山のアカヤシオは、きびしい岩場に生え、固い岩と、やさしいうす紅の花の対比が美しいという。いつか武甲山や破風山で、雪どけの林の中にセツブンソウを見つけたので、春先にはきっと両神山にもセツブンソウが咲くかもしれないと思ったが、実際に登れたのは秋も十月の終わりだった。
小森川沿いの道を辿り、|白井差《しらいざす》の登山口から少しゆくと昇龍ノ滝があり、「植物をとるな、川の魚をとるな」という標識。両神山には、フクジュソウが咲くと聞いたことがあるし、これらのキンポウゲ科の花は石灰岩地が好きである。しかし私が、両神山で見たいのは、鳴神山とここにあるというヒイラギソウであった。紫のシソ科の花で、その葉がヒイラギの葉に似ているという。山の花の好きな友人は、反対側の日向大谷から登ってその花を見ている。セツブンソウもヒイラギソウも珍しいので、わざわざこんな標識がたてられたのであろう。
「一位ケタワ」まで、急坂をあえぎながら登り、左折して頂きに向かう。紅黄葉したドウダンツツジやヤシオツツジやミツバツツジがいっぱいあって、花どきは見事だろうと思った。両神神社の前を通ると、眼の前に峨々たる大岩壁があらわれ、これが遠くから見た、あの鋸の歯だなと思う。両神神社は、ヤマトタケルが、イザナギ、イザナミの二神をまつるために創建したという。ヤマトタケルノミコト東征の旅は、鉱山さがしの旅だとは民俗学者の谷川健一さんの説だが、西麓には日窯鉱山がある。
頂上は剣ケ峰の名にふさわしく、ガラガラの岩場だが、途中で私は、一本だけヒイラギソウの来年のための新しい葉を見つけた。とられては困ると、その前にかくれるような石をおいて来たが、日光があたらなくても困ると、また戻って外し、とられてはダメよと葉っぱに言った。
両神山のアカヤシオは、きびしい岩場に生え、固い岩と、やさしいうす紅の花の対比が美しいという。いつか武甲山や破風山で、雪どけの林の中にセツブンソウを見つけたので、春先にはきっと両神山にもセツブンソウが咲くかもしれないと思ったが、実際に登れたのは秋も十月の終わりだった。
小森川沿いの道を辿り、|白井差《しらいざす》の登山口から少しゆくと昇龍ノ滝があり、「植物をとるな、川の魚をとるな」という標識。両神山には、フクジュソウが咲くと聞いたことがあるし、これらのキンポウゲ科の花は石灰岩地が好きである。しかし私が、両神山で見たいのは、鳴神山とここにあるというヒイラギソウであった。紫のシソ科の花で、その葉がヒイラギの葉に似ているという。山の花の好きな友人は、反対側の日向大谷から登ってその花を見ている。セツブンソウもヒイラギソウも珍しいので、わざわざこんな標識がたてられたのであろう。
「一位ケタワ」まで、急坂をあえぎながら登り、左折して頂きに向かう。紅黄葉したドウダンツツジやヤシオツツジやミツバツツジがいっぱいあって、花どきは見事だろうと思った。両神神社の前を通ると、眼の前に峨々たる大岩壁があらわれ、これが遠くから見た、あの鋸の歯だなと思う。両神神社は、ヤマトタケルが、イザナギ、イザナミの二神をまつるために創建したという。ヤマトタケルノミコト東征の旅は、鉱山さがしの旅だとは民俗学者の谷川健一さんの説だが、西麓には日窯鉱山がある。
頂上は剣ケ峰の名にふさわしく、ガラガラの岩場だが、途中で私は、一本だけヒイラギソウの来年のための新しい葉を見つけた。とられては困ると、その前にかくれるような石をおいて来たが、日光があたらなくても困ると、また戻って外し、とられてはダメよと葉っぱに言った。