エイザンスミレ
小学校の遠足は高尾山。次の上の学校では、武州御岳を下から歩いて登って下りた。今もケーブルに乗りながら、林間につづく登山道を眺めて、今度は歩いて登らなければといつも思う。武州御岳が高尾山よりずっと花の多い山と知ってからは、なお思う。全山どこへいってもエイザンスミレが咲いている。
武州御岳は、木曾|御岳《おんたけ》より、秩父|御岳《おんたけ》より花が多いと私は思う。それは武州御岳に娘の頃から二十回近く登っているからかもしれない。御嶽神社は古い歴史を持ち、崇神天皇時代の創建で、聖武天皇の天平年間に行基が、蔵王権現をまつったというと、吉野の金峰山の系列の神仏混淆であったのであろう。大和朝廷をつくった大陸からの渡来人は、崇神天皇あたりから実在性を持つというから、関東地方に多かった大陸の民の信仰の中心になったのかもしれない。山は九二九メートルと低いが、神社の北から多摩川の鳩ノ巣渓谷に下りたり、西に進んで、途中から日ノ出山への尾根を歩いて東に進んで吉野の梅林に下りたり、日ノ出山を南に下って、金比羅尾根を秋川の谷に出たり、神社の西を大岳にゆき、北の氷川へ下りたり、南の|馬頭刈《まずかり》尾根を歩くこともできる。大岳山への途中の長尾平から、七代ノ滝のある谷に下りて、沢沿いに登ってもとの道に合流するのもおもしろい。
畠山重忠がこの神社を信仰したというのも、秩父山地の一つの戦略地点として、四方八方に道が通じているということが魅力だったのかもしれない。
|馬頭刈《まずかり》尾根の花で忘れられないのは春のイワウチワの大群落。大岳山への道の途中には、サツキヒナノウスツボが咲いていた。皆、春の四月である。ヤマザクラも多かった。
七代ノ滝の谷はまさに花の谷で、一番多いのがギンバイソウ、ジロボウエンゴサク、ヤマネコノメソウ、ヒロハコンロンソウ。滝の崖にはイワナンテン。日ノ出山への道にはミヤマキケマン、ヤマルリソウ。鳩ノ巣への下りではヤワタソウなど。金比羅尾根ではカタクリを見た。
武州御岳は、木曾|御岳《おんたけ》より、秩父|御岳《おんたけ》より花が多いと私は思う。それは武州御岳に娘の頃から二十回近く登っているからかもしれない。御嶽神社は古い歴史を持ち、崇神天皇時代の創建で、聖武天皇の天平年間に行基が、蔵王権現をまつったというと、吉野の金峰山の系列の神仏混淆であったのであろう。大和朝廷をつくった大陸からの渡来人は、崇神天皇あたりから実在性を持つというから、関東地方に多かった大陸の民の信仰の中心になったのかもしれない。山は九二九メートルと低いが、神社の北から多摩川の鳩ノ巣渓谷に下りたり、西に進んで、途中から日ノ出山への尾根を歩いて東に進んで吉野の梅林に下りたり、日ノ出山を南に下って、金比羅尾根を秋川の谷に出たり、神社の西を大岳にゆき、北の氷川へ下りたり、南の|馬頭刈《まずかり》尾根を歩くこともできる。大岳山への途中の長尾平から、七代ノ滝のある谷に下りて、沢沿いに登ってもとの道に合流するのもおもしろい。
畠山重忠がこの神社を信仰したというのも、秩父山地の一つの戦略地点として、四方八方に道が通じているということが魅力だったのかもしれない。
|馬頭刈《まずかり》尾根の花で忘れられないのは春のイワウチワの大群落。大岳山への道の途中には、サツキヒナノウスツボが咲いていた。皆、春の四月である。ヤマザクラも多かった。
七代ノ滝の谷はまさに花の谷で、一番多いのがギンバイソウ、ジロボウエンゴサク、ヤマネコノメソウ、ヒロハコンロンソウ。滝の崖にはイワナンテン。日ノ出山への道にはミヤマキケマン、ヤマルリソウ。鳩ノ巣への下りではヤワタソウなど。金比羅尾根ではカタクリを見た。