ツバメオモト
北天ノタルという名にあこがれていた。北天、北斗七星、北辰、北峰、北陸。北という文字がつくとすぐそれだけで気が引き締まるような気がする。
雲取に登ったとき、ただ、鴨沢にまっすぐ下りるばかりではつまらないと言うと、西の稜線をゆき、北天ノタルから三条ノ湯へいってもよし、飛龍から笠取まで歩いて|雁《がん》峠から下りてもよいと小屋主の新井さんが言った。私の兄弟たちは学生時代に天幕をかついで、この道をいっている。とてもそこまでは及びもないが、笠取、雁峠は歩いているので、せめて飛龍から北天ノタルまでと、つい最近の五月半ば、|将監《しようげん》峠経由の道をえらんだ。
笠取へゆく時に泊まった三之瀬から笠取への道と分かれて、その夜の泊まりの将監小屋を目指したが、峠の西の|牛王院《ごおういん》平は、武田信玄が金鉱をさがしたあととかで、昔から多くのひとが通り、馬も歩いたのであろう。緩やかな歩きよい道である。右側は|龍喰《りゆうばみ》、|大常木《おおつねぎ》などの急峻な谷で、ここも金鉱さがしに歩いたあととか。ツバメオモトが芽を出している。もしやアツモリソウではないかとよく葉を見たが、次々とあるのが皆ツバメオモト。この花をはじめて見たのは、槍ケ岳から槍沢を下りて、西糸小屋に泊まった時であった。浴室の窓の下に咲いていて、宿のひとが図鑑をひらいて教えてくれた。その後ウィーンの森に何度かゆき、この花の多いのも知った。
北天ノタルへの山腹についた道は、すべて若い谷の源頭を桟橋で渡ってゆくので、ところどころかしいでいたりして、谷に下り、またよじ登ったり、意外に時間をとり、飛龍権現から北天ノタルまでの道がことに危うく、やっぱり、秩父もこのあたりは山深いなあと思った。花のないシャクナゲの群落もあり、花はヤハズヒゴタイ、ソバナ、シオガマギク、シモツケソウ、アケボノソウの芽がいっぱい。ウワミズザクラやフジザクラも咲き残っていて、北天ノタル到着午後二時。健脚組は雲取にゆき、私はタルとは鞍部であることを確認して三条ノ湯へまっすぐ下りた。
雲取に登ったとき、ただ、鴨沢にまっすぐ下りるばかりではつまらないと言うと、西の稜線をゆき、北天ノタルから三条ノ湯へいってもよし、飛龍から笠取まで歩いて|雁《がん》峠から下りてもよいと小屋主の新井さんが言った。私の兄弟たちは学生時代に天幕をかついで、この道をいっている。とてもそこまでは及びもないが、笠取、雁峠は歩いているので、せめて飛龍から北天ノタルまでと、つい最近の五月半ば、|将監《しようげん》峠経由の道をえらんだ。
笠取へゆく時に泊まった三之瀬から笠取への道と分かれて、その夜の泊まりの将監小屋を目指したが、峠の西の|牛王院《ごおういん》平は、武田信玄が金鉱をさがしたあととかで、昔から多くのひとが通り、馬も歩いたのであろう。緩やかな歩きよい道である。右側は|龍喰《りゆうばみ》、|大常木《おおつねぎ》などの急峻な谷で、ここも金鉱さがしに歩いたあととか。ツバメオモトが芽を出している。もしやアツモリソウではないかとよく葉を見たが、次々とあるのが皆ツバメオモト。この花をはじめて見たのは、槍ケ岳から槍沢を下りて、西糸小屋に泊まった時であった。浴室の窓の下に咲いていて、宿のひとが図鑑をひらいて教えてくれた。その後ウィーンの森に何度かゆき、この花の多いのも知った。
北天ノタルへの山腹についた道は、すべて若い谷の源頭を桟橋で渡ってゆくので、ところどころかしいでいたりして、谷に下り、またよじ登ったり、意外に時間をとり、飛龍権現から北天ノタルまでの道がことに危うく、やっぱり、秩父もこのあたりは山深いなあと思った。花のないシャクナゲの群落もあり、花はヤハズヒゴタイ、ソバナ、シオガマギク、シモツケソウ、アケボノソウの芽がいっぱい。ウワミズザクラやフジザクラも咲き残っていて、北天ノタル到着午後二時。健脚組は雲取にゆき、私はタルとは鞍部であることを確認して三条ノ湯へまっすぐ下りた。