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花の百名山141

时间: 2020-06-28    进入日语论坛
核心提示:乙女高原《おとめこうげん》   シモツケソウ 山に登るとき、この山は幾つまで登れるかと考える。八十歳から九十歳を標準にし
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乙女高原《おとめこうげん》
   シモツケソウ
 
 山に登るとき、この山は幾つまで登れるかと考える。八十歳から九十歳を標準にして、最後を九十歳とすれば、乙女高原、小楢山をあげなければならぬ。北海道の礼文島も九十歳、東北の種山高原も九十歳で可能だが、勿論、十代二十代の青春真盛りのときにいってもすばらしい。花が多い。
私は富士山に登る登ると何十年と言い続けていて、まだ実行する気にならないのは、そこには六合目ぐらいから上の植生が乏しく、七合、八合目ともなれば、ごろごろした火山岩火山礫ばかりの味気なさだから。そういう山は疲れた時の心の安らぎが得られない。今まで登った活火山の浅間山、十勝岳、三原山、すべて登ったけれど、味気なかった。
乙女高原は中央線の塩山から、塩平ゆきのバスに乗ると、終点から二時間は歩く。それよりタクシーで、焼山峠までゆく方が賢明である。この道は、国師と金峰の鞍部の大弛峠まで、マイクロバスを仕立てれば十分に入れる道である。
焼山峠の一五三六メートルを右に辿れば、一七一三メートルの小楢山。五月から六月はレンゲツツジの花盛り。四月、五月はワラビの大群生。スミレの種類もたくさんある。
乙女高原は焼山峠から左の森の中の道をだらだらと登りで三十分。あるいは乙女高原だけならば、タクシーに入ってもらって十分もすると、牧丘町町営の大きなロッジの前に出る。標高は一五〇〇メートルから一七〇〇メートルで、一七二五メートルのヨモギの頭の北斜面にひろがる高原である。先ずその地形がよい。
ヨモギの頭あたりにはシラカバやツガやミズナラの大樹が茂っている。その森を目ざす幾筋かの草径が広大な野の中を縦横に走っている。子供の頃に歌った唱歌に、
青葉三里 野路を辿る
馬追いの 笠の上に
白し白し ま白 小百合
朝風にゆれて咲く
というのがあったけれど、目もはるかに見わたせるというのは、こういう眺めをいうのかと思ってしまう。
私はこの高原の初夏に三度出あった。ワラビの芽が少し穂をゆるませて、葉になりかかった五月、レンゲツツジの花はまだつぼみであった。アヤメもつぼみであった。
そして六月はマツムシソウやヤマハハコやコウゾリナやタムラソウのつぼみのふくらんだのを見た。レンゲツツジは花盛りであった。
七月の半ば、櫛形山のアヤメの大群落が、盛んな紫の花の波となる頃、乙女高原はどうかしらと甲府から塩山に出てタクシーをとばした。アヤメはここにも点々と咲き、タムラソウやミヤマハハコもうす紫に白に咲き、シシウドが見ごとであった。シモツケソウのうす紅もレンゲショウマのうすいピンクもウバユリの白も咲き初めて、八月になったらハクサンフウロもマツムシソウもシナノキンバイもオオバギボウシも全開の花盛りになるであろうと思った。
そして九十歳になったら、九月から十月にかけて、カラ松林の黄葉の中を歩き、高原へオミナエシ、フシグロセンノウの花を見に来ようと思った。焼山峠を北に下ると、金峰泉がある。ゲルマニウムやラドンなどをふくんで、飲んで胃腸や心臓、肝臓に効くという。牧丘町には、夢遊苑という名の庭園の美しい民宿があり、金峰泉、夢遊苑などを基地にした、登山というのではなくて山歩き、山散策を楽しむのもよいと思う。ロッジも町の観光課に頼むと安く泊まれる。
津和野の乙女峠は明治初年に浦上のキリシタンを集めて拷問死者を出した暗い歴史を持つ。そこはいのちをかけて信仰を守った者を讃えるための巡礼地になっている。乙女峠の名は、かつてこの地の領主周見氏の娘が非業の死を遂げたことによるという。この乙女高原の名は何をもとにしているのか。牧丘町は巨峰の産地として名高いが、武田家ゆかりの古い歴史も残されている。乙女の名はその美しい姫が野の花を愛でて、しばしば馬かお駕籠にのって遊びに見えたところと思いたい。
小楢山は幾つかの起伏があるがゆるやかである。
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