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花の百名山143

时间: 2020-06-28    进入日语论坛
核心提示:九鬼山《くきやま》   フジザクラ 山梨県下の寺院の庭を訪ねて歩く仕事で、天目山|栖雲《せいうん》寺の石庭へいった時、こ
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九鬼山《くきやま》
   フジザクラ
 
 山梨県下の寺院の庭を訪ねて歩く仕事で、天目山|栖雲《せいうん》寺の石庭へいった時、この山腹を利用した、雄大かつ豪壮な巨岩から成る石庭は、武田家が亡びてのち、四百年も土に埋もれていたのを、九鬼山麓朝日小沢の造園家の、大原孝治氏が十年がかりで、たった一人、スコップや|鍬《くわ》をつかって土をのぞき、見事な三尊石、霊泉石、龍門石、鯉魚石、座禅石など、禅寺の庭特有の石組みを現出させたという。九鬼山の九七〇・三メートルは、都留と大月の境にあって、猿橋で中央線を下車。南西に四キロ、小沢川の谷をつめたところにそびえたっている。わたしは大原氏にあう前に登っていて、この沢筋は、甲斐から駿河に出る山越えに利用されたのではないかと思った。
都留は岩殿山に小山田信茂の城があり、武田領の南の要害となっている。しかし信玄の没後、信茂は敗亡の勝頼を笹子峠で裏切って、都留の地に一歩も入れず、勝頼は、栖雲寺の手前の大蔵河原で一族の敗死を迎えるのである。大原氏はせめて勝頼の霊を慰めたくて、この石庭の復活に生涯の力をそそいだのではないか。しかし、また、都留のひとびとは、信茂が、からだを張って勝頼を拒んで、都留を守ってくれたことを、今も名君と仰いで感激している。
九鬼山はそのような四百年昔の、悠久の歴史をしのぶのにふさわしい花の山である。山腹のほとんど三分の一ぐらいまで畑になっているのも、生活と密着した親しみを感じさせるが、|札金《さつかね》峠へ出るまでの道は、アズマイチゲ、ハルリンドウ、チゴユリ、ユキザサが咲き、エンレイソウ、ヤマユリ、ソバナ、フシグロセンノウと、美しい花を咲かせる草が芽をのばしていた。札金峠を西に下れば、信玄のかくし湯とかいう田野倉温泉に出る。
二等三角点のある頂上にと向かうアカマツ林のだらだら登りの山道には、マメザクラともよばれるフジザクラが、両方から枝をさしかわし、白く小さく真ん中に、紅をさした花が満開で、戦いに明け暮れた武士たちもこの山道をゆく時は、しばし心が和んだであろうと思われた。
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