イワギキョウ・シコタンソウ
仙丈ケ岳は、高遠の町の東側の空に雄大な姿を見せ、その堂々とした山容がなにかひとの心をおちつかせてくれると思う。
仙丈ケ岳に登りたいと思ったのは、大奥の醜い権力闘争にまきこまれ、ほとんど無実の罪によって正徳四年(一七一四)、高遠に配流された絵島のことを書くために、高遠に訪れて以来である。絵島は六代将軍家宣の側室月光院に仕えて、七百石を与えられた大年寄であったが、歌舞伎俳優との情事で失脚した。高遠藩から江戸幕府に対して提出された報告書には、絵島の扱いを厳重に、粗衣粗食に甘んじさせているように書いているけれど、実際に資料館に残されたものは、大年寄にふさわしい高級な衣裳や調度であり、高遠の市民は今もなお、絵島を尊敬し、よびつけにせずに、絵島さんとよぶ。絵島は、のちに幕府が江戸への帰京を許しても帰らなかった。ひたすらに法華経に打ちこみ、警固の武士たちに書を教えた。
高遠の町角のどこに立っても、東は仙丈ケ岳である。絵島は六十歳でこの地に没するまで、どんな思いで、この大きな山を仰いでいたであろう。
あの山のかなたの江戸の地に、もう一度足を踏み入れたいと願ったであろうか。裏切りや暴露に明け暮れる醜い人間関係がおぞましく、二度と江戸にはゆくまい、あの山は江戸の方から吹く風をさえぎって、自分を守ってくれると頼もしく眺めたろうか。
さて、私が仙丈ケ岳に登ったのは十年以上の昔で、まだ北沢峠に向かう野呂川林道は建設工事の最中であった。広河原までバスで来て、フジアザミとシナノナデシコの咲く野呂川沿いの道を長衛小屋まで歩いたのだが、シナノナデシコは、白馬に登った時、蓮華温泉の庭に植えられているのを見て以来だったので、こんなにたくさん生えているというのがうれしかった。フシグロセンノウもクルマユリもヤマハハコも咲き、長衛小屋へと、道から下ってゆく河原にはシデシャジン、クガイソウ、センジュガンピ、ズダヤクシュ、サンカヨウも咲いていて、麓にこんなにいっぱい花があるのだから、仙丈にはどんなにきれいなお花畑があるだろうと胸がはずんだ。
その晩は雨で、川が増水し、河原にキャンプを張ったひとびとが、大さわぎしているのであまりよく眠れず、早朝の三時半に小屋を出てしまった。登山口は、すぐ道の反対側にあって、懐中電灯の光の中に、木々の|根瘤《ねこぶ》だけが浮かぶ急坂を登りつめてゆくうちに明るくなって、コメツガやシラビソの原生林に、朝陽のさしこむのが美しかった。足許に細かい葉で、花の白いセリバシオガマがいっぱい咲いていた。
仙丈は北岳に次ぐ花の山と聞いて来たが、大滝ノ頭から、廃屋になった藪沢小屋あたりまでに、ヤマオダマキ、コイチヤクソウ、コウゾリナ、シナノオトギリ、キツリフネ、アカバナと道の両側に咲きつづき、馬ノ背に向かう左側の山腹には、シオガマギク、マルバダケブキ、ヤグルマソウ、ホソバトリカブトが咲き次いでいて、花の絶える間がない。
右側は谷がひらけて、ダケカンバの林の上に甲斐駒のいかめしい岩峰が見える。明日は長衛小屋から仙水峠を越えて、あの岩峰によじ登るのかと思うと、胸がどきどきするような、緊張感であった。
馬ノ背ヒュッテの屋根が見え出したところに、上から土砂くずれのあったようなガレ場があり、押し流されて辛うじて止まったような、|礫《こいし》まじりの|土塊《つちくれ》の上にイワギキョウの紫が固まっていた。チシマギキョウより紫の色が濃い。このあたりは二六〇〇メートルぐらいで、それにふさわしい花が咲いている。北斜面で、雪が一番おそくまで残り、春の雪崩を起こしたのかもしれないと思ったが、いかにも不安定なところに盛大に咲いているのが、逆境に誇りをくずさぬ絵島の心意気とも見えた。
馬ノ背を右に、標高差三〇〇メートルの二キロあまり、ハイマツ地帯と岩礫地帯の交互をあえぎ登って頂上の三〇三三メートルを目指した。そこには羅臼や礼文で見て以来のシコタンソウのうす紅が待っていると胸をときめかせて。
仙丈ケ岳に登りたいと思ったのは、大奥の醜い権力闘争にまきこまれ、ほとんど無実の罪によって正徳四年(一七一四)、高遠に配流された絵島のことを書くために、高遠に訪れて以来である。絵島は六代将軍家宣の側室月光院に仕えて、七百石を与えられた大年寄であったが、歌舞伎俳優との情事で失脚した。高遠藩から江戸幕府に対して提出された報告書には、絵島の扱いを厳重に、粗衣粗食に甘んじさせているように書いているけれど、実際に資料館に残されたものは、大年寄にふさわしい高級な衣裳や調度であり、高遠の市民は今もなお、絵島を尊敬し、よびつけにせずに、絵島さんとよぶ。絵島は、のちに幕府が江戸への帰京を許しても帰らなかった。ひたすらに法華経に打ちこみ、警固の武士たちに書を教えた。
高遠の町角のどこに立っても、東は仙丈ケ岳である。絵島は六十歳でこの地に没するまで、どんな思いで、この大きな山を仰いでいたであろう。
あの山のかなたの江戸の地に、もう一度足を踏み入れたいと願ったであろうか。裏切りや暴露に明け暮れる醜い人間関係がおぞましく、二度と江戸にはゆくまい、あの山は江戸の方から吹く風をさえぎって、自分を守ってくれると頼もしく眺めたろうか。
さて、私が仙丈ケ岳に登ったのは十年以上の昔で、まだ北沢峠に向かう野呂川林道は建設工事の最中であった。広河原までバスで来て、フジアザミとシナノナデシコの咲く野呂川沿いの道を長衛小屋まで歩いたのだが、シナノナデシコは、白馬に登った時、蓮華温泉の庭に植えられているのを見て以来だったので、こんなにたくさん生えているというのがうれしかった。フシグロセンノウもクルマユリもヤマハハコも咲き、長衛小屋へと、道から下ってゆく河原にはシデシャジン、クガイソウ、センジュガンピ、ズダヤクシュ、サンカヨウも咲いていて、麓にこんなにいっぱい花があるのだから、仙丈にはどんなにきれいなお花畑があるだろうと胸がはずんだ。
その晩は雨で、川が増水し、河原にキャンプを張ったひとびとが、大さわぎしているのであまりよく眠れず、早朝の三時半に小屋を出てしまった。登山口は、すぐ道の反対側にあって、懐中電灯の光の中に、木々の|根瘤《ねこぶ》だけが浮かぶ急坂を登りつめてゆくうちに明るくなって、コメツガやシラビソの原生林に、朝陽のさしこむのが美しかった。足許に細かい葉で、花の白いセリバシオガマがいっぱい咲いていた。
仙丈は北岳に次ぐ花の山と聞いて来たが、大滝ノ頭から、廃屋になった藪沢小屋あたりまでに、ヤマオダマキ、コイチヤクソウ、コウゾリナ、シナノオトギリ、キツリフネ、アカバナと道の両側に咲きつづき、馬ノ背に向かう左側の山腹には、シオガマギク、マルバダケブキ、ヤグルマソウ、ホソバトリカブトが咲き次いでいて、花の絶える間がない。
右側は谷がひらけて、ダケカンバの林の上に甲斐駒のいかめしい岩峰が見える。明日は長衛小屋から仙水峠を越えて、あの岩峰によじ登るのかと思うと、胸がどきどきするような、緊張感であった。
馬ノ背ヒュッテの屋根が見え出したところに、上から土砂くずれのあったようなガレ場があり、押し流されて辛うじて止まったような、|礫《こいし》まじりの|土塊《つちくれ》の上にイワギキョウの紫が固まっていた。チシマギキョウより紫の色が濃い。このあたりは二六〇〇メートルぐらいで、それにふさわしい花が咲いている。北斜面で、雪が一番おそくまで残り、春の雪崩を起こしたのかもしれないと思ったが、いかにも不安定なところに盛大に咲いているのが、逆境に誇りをくずさぬ絵島の心意気とも見えた。
馬ノ背を右に、標高差三〇〇メートルの二キロあまり、ハイマツ地帯と岩礫地帯の交互をあえぎ登って頂上の三〇三三メートルを目指した。そこには羅臼や礼文で見て以来のシコタンソウのうす紅が待っていると胸をときめかせて。