キタダケソウ・ミソガワソウ・タカネマンテマ
北岳は三一九二メートル。日本第二位の高さを持つ山。その年、富士山とどちらかに登ろうと思い、北岳をえらんだ。キタダケソウに一眼あいたい、私の好きなナデシコ科のタカネビランジを見たい。うす紫の麗人ミヤマハナシノブの群落もあるという。そして、八十歳になった夏の八月の二十日過ぎに芦安温泉泊まりで、翌朝六時、広河原から登ることにしたが、中央高速で都留あたりを過ぎようとする頃、猛烈な雷雨となり、雷嫌いの私は猛頭痛で堪えられなくなった。甲府駅前の談露館に飛びこんで、かねてから知り合いの経営者夫人、中沢敏子さんに医者につれていってもらうと、上が二一〇の下が一二〇という急性高血圧であった。注射一本してもらい、明日は安静にと言われたが、私は山に登れば下がると自信を持ち、|大樺沢《おおかんばざわ》の樹林から、多分氷河のカールの底と思われる河原や、沢をわたり、ガレ場を過ぎて御池小屋との分岐点の二俣まで、高度差七〇〇メートルを、四時間半かかって登ったが、林の下草にグンナイフウロやサンカヨウやミヤマハナシノブを見いだして、うれしさにひとりでにわらいがこみあげ、頭痛はすっかり消えてしまっていた。
リーダーの三木慶介さんは心配して、御池小屋泊まりをすすめたが、肩ノ小屋までコースタイムの二倍を覚悟して右俣コースに入った。マルバダケブキ、ハンゴンソウ、ウサギギクの黄も鮮やかに、ミヤマハナシノブ、ミソガワソウの紫、オオカサモチの白を加えた大斜面の中を、右に左にと花々の美しさに見とれながら登って、一向に疲れを感じないのであった。御池小屋からの草すべりの路と合流するあたりは、シナノキンバイ、ヨツバシオガマ、キバナノコマノツメ、ハクサンイチゲ、ハクサンチドリと溜息が出るほどの花々である。小太郎尾根に上がって、すぐ眼の前に仙丈ケ岳がうつ然とした大きな山容をあらわしてくると、なつかしさに思わず、いつかはお世話になりましたと叫びたくなってしまった。三〇〇〇メートルの地点にある小屋着四時半。週日なのと、花の盛りの七月を過ぎたせいか、小屋は私たちの仲間だけである。小屋主はキタダケソウももう終わっていると言い、葉っぱだけの場所を教えてくれた。キタダケソウは花盗人の標的になり、去年一人の不心得ものがごっそりと持っていってしまったから、いつかは絶えるかもしれないと悲しいことを言う。
あくる朝の日の出は、濃霧で駄目。しかし、頂上に向かう岩礫地で、キンロバイ、イワオウギ、タカネマンテマ、オヤマノエンドウ、イワウメ、ムカゴユキノシタなど、北海道の山々を歩いているような花々に出あって、やっぱり北岳、ざらにはない花が出そろっていると感心。ミヤマミミナグサ、イワツメクサのほか、利尻山以来のシコタンハコベも岩かげにあった。キタダケと名のつくものはキタダケナズナ、キタダケキンポウゲなど。雷鳥の母子にもあった。北岳山荘に十二時に着いて、健脚組は|間《あい》ノ岳に。私は、小屋で昼寝した。
次の朝は富士が朝陽にかがやいて、北斎の赤富士のように濃い朱に染めあげられた姿に感激し、八本歯経由で大樺沢にと下山する急傾斜の岩場の道で、岩かげに咲き残るタカネビランジのうす紅の花を見出して大感激。天の恵みか、まったく花盗人の手のとどかないような距離をおいた岩場にばかり咲いている。キタダケソウは南向きの草つきの斜面に葉っぱだけ茂っていた。
二俣からガレ場にさしかかった時、仲間の一人がころんで眼の上を岩で打ち、見る見る眼ぶたが腫れていってどうしようと心がさわぎ、他の者に先にいってもらってゆっくりゆっくり片腕を支えて下りて来た時、夫人をつれて登ってくる紳士があり、八戸市の整形外科医、久本欽也と名乗られて、吐き気がなければ大丈夫とはげましてくれた。山と渓谷社から『花の山旅紀行』を出していることも語られて天の助けかとばかりうれしくその忠告にしたがって、ゆっくりゆっくりと広河原に向かう途中で日が暮れ、山荘の主人の塩沢久仙氏の協力で山荘に着いたのが午後八時。仲間も生気を取りもどした。
リーダーの三木慶介さんは心配して、御池小屋泊まりをすすめたが、肩ノ小屋までコースタイムの二倍を覚悟して右俣コースに入った。マルバダケブキ、ハンゴンソウ、ウサギギクの黄も鮮やかに、ミヤマハナシノブ、ミソガワソウの紫、オオカサモチの白を加えた大斜面の中を、右に左にと花々の美しさに見とれながら登って、一向に疲れを感じないのであった。御池小屋からの草すべりの路と合流するあたりは、シナノキンバイ、ヨツバシオガマ、キバナノコマノツメ、ハクサンイチゲ、ハクサンチドリと溜息が出るほどの花々である。小太郎尾根に上がって、すぐ眼の前に仙丈ケ岳がうつ然とした大きな山容をあらわしてくると、なつかしさに思わず、いつかはお世話になりましたと叫びたくなってしまった。三〇〇〇メートルの地点にある小屋着四時半。週日なのと、花の盛りの七月を過ぎたせいか、小屋は私たちの仲間だけである。小屋主はキタダケソウももう終わっていると言い、葉っぱだけの場所を教えてくれた。キタダケソウは花盗人の標的になり、去年一人の不心得ものがごっそりと持っていってしまったから、いつかは絶えるかもしれないと悲しいことを言う。
あくる朝の日の出は、濃霧で駄目。しかし、頂上に向かう岩礫地で、キンロバイ、イワオウギ、タカネマンテマ、オヤマノエンドウ、イワウメ、ムカゴユキノシタなど、北海道の山々を歩いているような花々に出あって、やっぱり北岳、ざらにはない花が出そろっていると感心。ミヤマミミナグサ、イワツメクサのほか、利尻山以来のシコタンハコベも岩かげにあった。キタダケと名のつくものはキタダケナズナ、キタダケキンポウゲなど。雷鳥の母子にもあった。北岳山荘に十二時に着いて、健脚組は|間《あい》ノ岳に。私は、小屋で昼寝した。
次の朝は富士が朝陽にかがやいて、北斎の赤富士のように濃い朱に染めあげられた姿に感激し、八本歯経由で大樺沢にと下山する急傾斜の岩場の道で、岩かげに咲き残るタカネビランジのうす紅の花を見出して大感激。天の恵みか、まったく花盗人の手のとどかないような距離をおいた岩場にばかり咲いている。キタダケソウは南向きの草つきの斜面に葉っぱだけ茂っていた。
二俣からガレ場にさしかかった時、仲間の一人がころんで眼の上を岩で打ち、見る見る眼ぶたが腫れていってどうしようと心がさわぎ、他の者に先にいってもらってゆっくりゆっくり片腕を支えて下りて来た時、夫人をつれて登ってくる紳士があり、八戸市の整形外科医、久本欽也と名乗られて、吐き気がなければ大丈夫とはげましてくれた。山と渓谷社から『花の山旅紀行』を出していることも語られて天の助けかとばかりうれしくその忠告にしたがって、ゆっくりゆっくりと広河原に向かう途中で日が暮れ、山荘の主人の塩沢久仙氏の協力で山荘に着いたのが午後八時。仲間も生気を取りもどした。