アヤメ・テガタチドリ・センジュガンピ
十年前に『花の百名山』を出版し、その年の七月に櫛形山に登り、アヤメ平を一面の紫に染めるアヤメの大群落を見て、「あっ、しまった」と思った。櫛形山こそ、その中にあげたい山であった。
櫛形山は山梨県中巨摩郡櫛形町の山である。甲府駅前に立って南方を見ると、|黄楊《つげ》の櫛のようにゆるい曲線を描いて、頂きがなだらかに左右に落ちる大きな山容が浮かぶ。甘利山、入笠山などと同じに、フォッサマグナとよばれる糸魚川から静岡に至る大断層によって日本海から太平洋を結ぶ海ができ、その底から噴出した海底火山が隆起してできた巨摩山地の一画を占めている。町は、武田家の一族で、信玄の父の信虎の妻となった大井夫人の誕生の地で、大井信達の領有するところであった。
戦前の二十万分の一の「甲府」には山名が出ていない。それだけ長くこの山は神秘につつまれ、悠久の昔から、この上層湿原にこのアヤメたちは咲いていたのだと思うと、はじめて発見したひとのおどろきが思いやられてしまう。
櫛形山のアプローチの長いというのは、芦安温泉からのミネバリ尾根で、今は櫛形山林道ができたからもっと早くアヤメ平に辿りつくことができる。八月には槍ケ岳に登る足馴らしにと、北尾根から標高差五〇〇メートルの、かなりの急坂を二時間かけて登ったのは十数年前で、その両側の花の多さにまずおどろきの声をあげた。センジュガンピの白、レンゲショウマのうす紅、クルマユリの赤の花盛りである。ナデシコ科のセンジュガンピは花びらの裂け目が深くて、いかにも繊細な感じだが、加賀の白山で、上高地の大正池のほとりで見つけた時は、野生の花と思えない清楚な姿に見とれた。レンゲショウマもまた、秋川の谷などでよく見かけるけれど、ここでは大群落をつくっていて、これも野生というよりは栽培種のような華麗さを持っている。クルマユリは同じようなコオニユリ、オニユリよりも、花の少なさが気品を感じさせる。また、これらの花々にまじって、赤城山や御坂山塊で出あって以来のクサタチバナにもあうことができた。登りが終わって、シラビソやコメツガの大樹が茂る草原に出ると、点々として紫のアヤメが眼につき出した。ヤナギランやクガイソウの花穂ものびている。立派な避難小屋を左に見て、ゆるやかな斜面をアヤメ平へと向かう道には、アヤメの根元にうす紅のテガタチドリが点々と咲いている。そして、一歩アヤメ平に足を踏み入れ、その広さ。その花の量のゆたかさ。深い緑の針葉樹林にかこまれた広い草原が、葉の緑より、花の紫に被われている見事さに、息をのんでしばらくは立ちつくすばかりであった。藤本孟雄氏指導の下に、地元の巨摩高校生が、二十数年にわたって山の地形、地質、気候などと共に研究した記録では、全山の花の数はおよそ三十万本に近く、東洋一を誇っているけれど、あるいは世界一といっていいのではないだろうか。
紫の花の好きな私は、北海道の濤沸湖でヒオウギアヤメの、サロベツ原野でノハナショウブの群落に出あっているけれど、この櫛形山の花の面積の広さにはとても及ばないと思う。
さて、櫛形山では毎年七月の第三日曜日にアヤメ祭りを行い、石川豊町長をはじめとする職員たちが千数百名を超える参加者と共に、アヤメの美を讃え、アヤメの保存保護を誓いあっているが、私は、そのうちの二回に、二回とも雨の中を参加して、アヤメのためならどんなに濡れてもいとわない思いであった。道は、丸山林道から池ノ茶屋林道を通って馬場平に行き、標高差二〇〇で二〇五二メートルの頂上に着き、裸山をまわって、アヤメ平にと下ってゆくのだが、途中の針葉樹の大木たちの間を霧が這い、枝々にかかったサルオガセが老いたる山姥のすがれおどろに乱れた髪の毛のようにも見えて不気味であり、奥秩父の山々より深山の趣をつくっている。櫛形山にはかつてキバナノアツモリソウなどもあったが、今は盗まれて絶滅にひとしいとか。
櫛形山は山梨県中巨摩郡櫛形町の山である。甲府駅前に立って南方を見ると、|黄楊《つげ》の櫛のようにゆるい曲線を描いて、頂きがなだらかに左右に落ちる大きな山容が浮かぶ。甘利山、入笠山などと同じに、フォッサマグナとよばれる糸魚川から静岡に至る大断層によって日本海から太平洋を結ぶ海ができ、その底から噴出した海底火山が隆起してできた巨摩山地の一画を占めている。町は、武田家の一族で、信玄の父の信虎の妻となった大井夫人の誕生の地で、大井信達の領有するところであった。
戦前の二十万分の一の「甲府」には山名が出ていない。それだけ長くこの山は神秘につつまれ、悠久の昔から、この上層湿原にこのアヤメたちは咲いていたのだと思うと、はじめて発見したひとのおどろきが思いやられてしまう。
櫛形山のアプローチの長いというのは、芦安温泉からのミネバリ尾根で、今は櫛形山林道ができたからもっと早くアヤメ平に辿りつくことができる。八月には槍ケ岳に登る足馴らしにと、北尾根から標高差五〇〇メートルの、かなりの急坂を二時間かけて登ったのは十数年前で、その両側の花の多さにまずおどろきの声をあげた。センジュガンピの白、レンゲショウマのうす紅、クルマユリの赤の花盛りである。ナデシコ科のセンジュガンピは花びらの裂け目が深くて、いかにも繊細な感じだが、加賀の白山で、上高地の大正池のほとりで見つけた時は、野生の花と思えない清楚な姿に見とれた。レンゲショウマもまた、秋川の谷などでよく見かけるけれど、ここでは大群落をつくっていて、これも野生というよりは栽培種のような華麗さを持っている。クルマユリは同じようなコオニユリ、オニユリよりも、花の少なさが気品を感じさせる。また、これらの花々にまじって、赤城山や御坂山塊で出あって以来のクサタチバナにもあうことができた。登りが終わって、シラビソやコメツガの大樹が茂る草原に出ると、点々として紫のアヤメが眼につき出した。ヤナギランやクガイソウの花穂ものびている。立派な避難小屋を左に見て、ゆるやかな斜面をアヤメ平へと向かう道には、アヤメの根元にうす紅のテガタチドリが点々と咲いている。そして、一歩アヤメ平に足を踏み入れ、その広さ。その花の量のゆたかさ。深い緑の針葉樹林にかこまれた広い草原が、葉の緑より、花の紫に被われている見事さに、息をのんでしばらくは立ちつくすばかりであった。藤本孟雄氏指導の下に、地元の巨摩高校生が、二十数年にわたって山の地形、地質、気候などと共に研究した記録では、全山の花の数はおよそ三十万本に近く、東洋一を誇っているけれど、あるいは世界一といっていいのではないだろうか。
紫の花の好きな私は、北海道の濤沸湖でヒオウギアヤメの、サロベツ原野でノハナショウブの群落に出あっているけれど、この櫛形山の花の面積の広さにはとても及ばないと思う。
さて、櫛形山では毎年七月の第三日曜日にアヤメ祭りを行い、石川豊町長をはじめとする職員たちが千数百名を超える参加者と共に、アヤメの美を讃え、アヤメの保存保護を誓いあっているが、私は、そのうちの二回に、二回とも雨の中を参加して、アヤメのためならどんなに濡れてもいとわない思いであった。道は、丸山林道から池ノ茶屋林道を通って馬場平に行き、標高差二〇〇で二〇五二メートルの頂上に着き、裸山をまわって、アヤメ平にと下ってゆくのだが、途中の針葉樹の大木たちの間を霧が這い、枝々にかかったサルオガセが老いたる山姥のすがれおどろに乱れた髪の毛のようにも見えて不気味であり、奥秩父の山々より深山の趣をつくっている。櫛形山にはかつてキバナノアツモリソウなどもあったが、今は盗まれて絶滅にひとしいとか。