ママコナ
私たちの山の会は、雨天決行が普通になっている。槍や穂高や南アルプスの北岳、仙丈のような、三〇〇〇メートル級の山々は、勿論雨であったら登らないが、一五〇〇メートルから二〇〇〇メートルあたりで、岩場の少ない山には大てい雨でも登る。但しそれ以前に天気図を見ていて、今は雨でも、高気圧がもうすぐそばに来ているとわかっている場合だけである。低気圧が二日も続いて山のある地方の空を被っているときは行動しない。
さてはじめての天狗山は十一月。長野県と山梨県の県境に近く、千曲川がその裾を洗って南壁に大深山遺跡を持つ。その西に小海線が走って駅は信濃川上である。この山に登る数年前の四月、韮崎から信州峠まで車で走り、その西の横尾山の一八一八メートルに登った。ここが県境である。頂きから北方を見ると、天狗山、男山を結ぶ稜線が東に進んで、武蔵、甲斐、信州をわかつ三国山にむかってのびてゆくのが見え、戦国時代にあって、武田氏はこれらの山々を越えなければ関東にも信濃にも出られなかったのだと思い、又、天狗山の麓に縄文中期から後期の大深山遺跡を残す民は、他の地方を侵略することもなく、この山々にかこまれた千曲川源流の地に平和な暮しを送ったのではないかと思われた。
天狗山の西の馬越峠は一六八〇メートル。一八八二メートルの天狗山までは標高差二〇〇メートルなので、一時間か一時間半で頂上に達して三時間もあれば十分かと思ったのが大誤算。登りはじめにポツポツ来た雨が、南に向かう馬の背のような稜線を過ぎるとき、強風が西から東へとわたって吹きとばされそうになり、ミツバツツジ、ドウダンツツジが多くて、花の頃は眺望もよくヤマツツジも加わって、どんなに美しい眺めになるかと想いながらガタガタ震えて敗退した。
二度目は二年目の八月半ば。中軽井沢を出て、佐久から岩村田を通って馬越峠を目ざした。同行は土岐市役所の金子政則さんと新鋭の陶芸家林恭助さん、名古屋の成田恭子さん。空は日本晴れだが、この道は水戸の天狗党が、中仙道から和田峠を目指して通った道。又佐久は、明治十七年に秩父困民党が、|神流《かんな》川沿いに十石峠を越えてなだれこんだ地と思うと、何か心がひきしまる。幕末から明治初頭にかけての、日本の大変革時代に生きる民の嘆き、うめき、苛立ちの激しい息づかいをこの山々は知っている。そんな思いにかられて登りはじめた天狗山は、大深山遺跡を守る大岩壁なのであった。
それにしても何という花々の多さ。稜線に出る途中の急坂の道の両側には、シラヤマギクが咲き、キオン、クガイソウ、カニコウモリ、ヤグルマソウ、リュウノウギク、ベニバナイチヤクソウ、コゴメグサ、ミヤマハハコが白に黄色に咲きそろい、浅間高原ではすでに失われた花たちが、ここにはまだたくさん残っていると思った。縄文の民もまたこれらの花々が草の芽であったとき、食用にしたものもあったろうけれど、食べても食べても花々は次々に芽ぶいたのである。一ところカラマツの林間をママコナのピンクが埋めていた。白いママコナもあった。そして今回は二時間半で往復した。
さてはじめての天狗山は十一月。長野県と山梨県の県境に近く、千曲川がその裾を洗って南壁に大深山遺跡を持つ。その西に小海線が走って駅は信濃川上である。この山に登る数年前の四月、韮崎から信州峠まで車で走り、その西の横尾山の一八一八メートルに登った。ここが県境である。頂きから北方を見ると、天狗山、男山を結ぶ稜線が東に進んで、武蔵、甲斐、信州をわかつ三国山にむかってのびてゆくのが見え、戦国時代にあって、武田氏はこれらの山々を越えなければ関東にも信濃にも出られなかったのだと思い、又、天狗山の麓に縄文中期から後期の大深山遺跡を残す民は、他の地方を侵略することもなく、この山々にかこまれた千曲川源流の地に平和な暮しを送ったのではないかと思われた。
天狗山の西の馬越峠は一六八〇メートル。一八八二メートルの天狗山までは標高差二〇〇メートルなので、一時間か一時間半で頂上に達して三時間もあれば十分かと思ったのが大誤算。登りはじめにポツポツ来た雨が、南に向かう馬の背のような稜線を過ぎるとき、強風が西から東へとわたって吹きとばされそうになり、ミツバツツジ、ドウダンツツジが多くて、花の頃は眺望もよくヤマツツジも加わって、どんなに美しい眺めになるかと想いながらガタガタ震えて敗退した。
二度目は二年目の八月半ば。中軽井沢を出て、佐久から岩村田を通って馬越峠を目ざした。同行は土岐市役所の金子政則さんと新鋭の陶芸家林恭助さん、名古屋の成田恭子さん。空は日本晴れだが、この道は水戸の天狗党が、中仙道から和田峠を目指して通った道。又佐久は、明治十七年に秩父困民党が、|神流《かんな》川沿いに十石峠を越えてなだれこんだ地と思うと、何か心がひきしまる。幕末から明治初頭にかけての、日本の大変革時代に生きる民の嘆き、うめき、苛立ちの激しい息づかいをこの山々は知っている。そんな思いにかられて登りはじめた天狗山は、大深山遺跡を守る大岩壁なのであった。
それにしても何という花々の多さ。稜線に出る途中の急坂の道の両側には、シラヤマギクが咲き、キオン、クガイソウ、カニコウモリ、ヤグルマソウ、リュウノウギク、ベニバナイチヤクソウ、コゴメグサ、ミヤマハハコが白に黄色に咲きそろい、浅間高原ではすでに失われた花たちが、ここにはまだたくさん残っていると思った。縄文の民もまたこれらの花々が草の芽であったとき、食用にしたものもあったろうけれど、食べても食べても花々は次々に芽ぶいたのである。一ところカラマツの林間をママコナのピンクが埋めていた。白いママコナもあった。そして今回は二時間半で往復した。