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花の百名山154

时间: 2020-06-28    进入日语论坛
核心提示:長九郎山《ちようくろうやま》   カンアオイ 若かった日々の山歩きは、ただ、歩きに歩いて、時間の早かったことをよろこび、
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長九郎山《ちようくろうやま》
   カンアオイ
 
 若かった日々の山歩きは、ただ、歩きに歩いて、時間の早かったことをよろこび、ウマノスズクサ科のカンアオイのように、葉っぱが地面に張りついて、花はその下にかくれて地味な暗紫色というようなのは、全然気づかなかった。
では、古典の時間の『枕草子』に「草は」とあって、「葵いとをかし。祭の折、神代よりして、さるかざしとなりけむ、いみじうめでたし」などというのを、どう解釈していたのか。この葵は、カモアオイ、すなわちフタバアオイである。多分、先生は、フタバアオイと言われ、自分もうなずくだけであったのは、まことに怠惰な学生であったと今、思う。
戦後の十年近く、京都の下鴨の|糺 森《ただすのもり》のほとりにすんでいたが、庭のカエデの木の下に、フタバアオイの二、三本出ていたのを、|蜆《しじみ》を売りに来た行商の女が見つけ「これが祭りのカモアオイどすえ」と教えてくれた。『新古今集』にも出ていたと頁をひらいた。「いかなればそのあふひぐさとしはふれどもふたばなるらむ」。そのあふひぐさの解釈がやはりカモアオイであった。
カンアオイは、フタバアオイより葉も大きくたくましく、花も大きいと知ったのは、東京へ引きあげ、息子と中島睦玄、高村忠彦両氏の「野草友の会」に入って、三浦半島でランヨウアオイの一種をみたのがはじめてである。それからタマノカンアオイ、カントウカンアオイと知り、比叡山で、鈴鹿山地で、越後の山で、佐和山で、それぞれに少しずつちがうカンアオイを知った。その分布が限られ、その繁殖が一万年たってやっと一キロに及ぶことも知り、日本が大陸とつづいていた頃からの古い植物だということも知った。
伊豆の長九郎山の九九六メートルには、初冬の一日、松崎から池代川に沿って、池代林道の終点まで車を入れ、三時間ほどの歩きで頂上まで往復したが、シャクナゲやドウダンツツジに初夏の花盛りを思わせ、下草にカンアオイの多い静かな山であった。アマギカンアオイであったろうか。
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