ヤマハハコ
風越山の一五三五メートルは、伊那谷の飯田市のまうしろにある。飯田は、脇坂氏の五万五千石の城下町で、後醍醐天皇の皇子で南朝のために東奔西走した宗良親王が駿河から北陸にとゆかれる途中で、伊那谷で活躍した伝承を持つ。西に中央アルプスとよばれる木曾山脈が走り、その盟主の木曾駒ケ岳の二九五六メートルには、十月のはじめに登って、氷河のあとの谷を登る道のかたわらに、ヒメウスユキソウの小さくすがれたのを見たことがある。
ヨーロッパアルプスには、エーデルワイスとよばれるキク科のウスユキソウ属に入る花が氷河の末端の草地に生え、ドイツ語で「高貴なる白」の意味であるという。アルプスの女王ともいわれているけれど、学名はラテン語で「レオントポディウム」。英語で「ライオンの足」を示し、柔らかい白い綿毛につつまれた形をあらわしているのであろう。
日本には北海道、本州、四国、九州にかけて五種類ほどのエーデルワイスがあり、戦前の千島、樺太、朝鮮、台湾をかかえていた頃は十種類にも及んで、世界で一番その種類の多さを誇っているとは、畏友、山下滋子さんの亡き夫君、山下一夫氏の遺著『かんあおい』で教えられたことである。
木曾駒には日本のエーデルワイスで一番小形のヒメウスユキソウがあることを、明治の初期に、矢田部・松村両教授によって発見された。
さて、風越山は二度とも晩秋、初冬の頃で、滝ノ沢川沿いにツガやモミやコナラの大樹の茂りあう参道を登り、途中でベニマンサクの自生地の中を抜けたが、枯れ草の中にウスユキソウが、ドライフラワーのように群生しているのを見て、木曾駒のヒメウスユキソウは今、雪の下であろうと思った。千手観音や秋葉大権現などの大きな石碑が、この山が麓の人々の生活と密着していることを思わせ、四時間かかって辿り着いた国の重文の白山社奥殿は荘厳で、よくこんな高いところまで建材を運び上げたものと感心させられたが、南アルプスは白根三山、荒川岳などの眺めも素晴らしかった。
ヨーロッパアルプスには、エーデルワイスとよばれるキク科のウスユキソウ属に入る花が氷河の末端の草地に生え、ドイツ語で「高貴なる白」の意味であるという。アルプスの女王ともいわれているけれど、学名はラテン語で「レオントポディウム」。英語で「ライオンの足」を示し、柔らかい白い綿毛につつまれた形をあらわしているのであろう。
日本には北海道、本州、四国、九州にかけて五種類ほどのエーデルワイスがあり、戦前の千島、樺太、朝鮮、台湾をかかえていた頃は十種類にも及んで、世界で一番その種類の多さを誇っているとは、畏友、山下滋子さんの亡き夫君、山下一夫氏の遺著『かんあおい』で教えられたことである。
木曾駒には日本のエーデルワイスで一番小形のヒメウスユキソウがあることを、明治の初期に、矢田部・松村両教授によって発見された。
さて、風越山は二度とも晩秋、初冬の頃で、滝ノ沢川沿いにツガやモミやコナラの大樹の茂りあう参道を登り、途中でベニマンサクの自生地の中を抜けたが、枯れ草の中にウスユキソウが、ドライフラワーのように群生しているのを見て、木曾駒のヒメウスユキソウは今、雪の下であろうと思った。千手観音や秋葉大権現などの大きな石碑が、この山が麓の人々の生活と密着していることを思わせ、四時間かかって辿り着いた国の重文の白山社奥殿は荘厳で、よくこんな高いところまで建材を運び上げたものと感心させられたが、南アルプスは白根三山、荒川岳などの眺めも素晴らしかった。