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花の百名山156

时间: 2020-06-28    进入日语论坛
核心提示:恵那山《えなさん》   オオチドメ・ズダヤクシュ 恵那山は、島崎藤村の『夜明け前』に出てくる山だけれど、戦後の昭和三十年
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恵那山《えなさん》
   オオチドメ・ズダヤクシュ
 
 恵那山は、島崎藤村の『夜明け前』に出てくる山だけれど、戦後の昭和三十年頃、今の中央高速でなく、中仙道を新宿からドライブした時、馬籠から清内路峠を越えて天龍川の谷に出ようとした下りの道で、前方の南の空に、大きく盛り上がった山容を見た。
その山麓の神坂峠から、古代の祭祀のあとが発見されたのは、それから十年後で、木曾川はその西を流れている。
恵那の名はアマテラスが生まれたときの胞衣だというけれど、アマテラスは、亡き妻のイザナミを墓所に訪れたイザナギが、その汚れを払うために、日向のアハギ原のそばの流れで左の眼を洗った時にアマテラスが生まれ、右の眼を洗った時にツキヨミが、鼻を洗った時、スサノオが生まれたと『古事記』や『日本書紀』に書かれていて、いわば男であるイザナギから、三人の子供が生まれたというわけ、胞衣などはなかったであろう。
朝日新聞編集委員の竹内俊男氏によれば、エは酔い、ナは大地。木曾川流域は活断層が走っているので地震が多く、土地がいつもゆれていて、船酔いになったような気分になる土地柄をさすのではないかというから、ちょっとおそろしい。しかし私がこのアマテラス誕生説に興味を持つのは、飛騨の高山の南に位山というイチイの木を特産とする山があり、ここにアマテラス伝説があることである。この山の南壁の|無數河《むすご》川は飛騨川となって木曾川に注ぐ。
恵那山は二一〇〇メートル。位山は一五二九メートル。高山の名山なので、一度案内されて登ったが、ミズナラやカエデ、トチ、ホオなどの落葉樹の大木があり、ショウジョウバカマの大群生する、頂上近い湿原に、天岩戸と言われる巨岩があって、恵那山山麓と位山山麓の民は、同系統の大陸渡来の民であろうと思われた。奈良の東大寺建立に多く参加したのは高山中心の技術者であり、建立の盛儀には新羅楽が奏されたという。スサノオがアマテラスにとがめられて渡った母なる国は新羅である。飛騨の初秋のまつりには鶏斗楽が舞われる。鶏は新羅の聖鳥である。そして伊勢神宮には鶏が放たれている。
さてその恵那山には二度登ったが、なかなか手強い山で、一回目は風邪をひいていたせいもあって、ミズナラやブナの大樹の茂りあう道の足許に、タチカメバソウやズダヤクシュの咲くのを見ながら急坂をのぼって、熊見の池のほとりでダウン。頂上へゆくひとを見送って、池畔の草地に洋傘をひろげて仰のけになって大休止。草地の中に一面にひろがっているチドメグサの葉を眺めていた。ふだんはわが家の庭の敷石の間にもいっぱいひろがっているチドメグサだが少しちがう。先ず背が大きい。庭のチドメグサの花は目立たないが、花柄が長く立っていて、頭の上の白い花もはっきりしている。賑やかである。葉の形が丸味を帯びている。はじめて見た。私の発見かと気をよくしていたら、一緒に登ってくれた土岐市役所の金子さんがオオチドメと教えてくれた。二度目はそれから二年目の六月のはじめ、一九八九年で私は八十一歳である。土岐市役所の金子さんや加藤さんや沢田さんや名古屋の成田恭子さん、名古屋につとめている私の次男という大部隊で、コースタイムは往復六、七時間というところを十時間かかり、息子にもうお母さんは山はやめなさいよと叱られ叱られ、熊見池のオオチドメグサを眺めるゆとりもなく、コメツガの森、クマザサのヤブと無我夢中で登りつづけて、頂上着は朝十時半出発の二時五十分。帰りは、熊見の池をすぎたところで真暗になり、テンポはひたすらスローアンドスローになり、すり足で、左側に渓流の音を聞きながら、一歩あやまれば谷底という恐怖心で全身硬直しながら、それでも闇の中に光るホタルの乱舞に、嘆声をあげつつ午後の八時に下りついたのである。
手強い山ほど未練が残るというか、やっぱりアマテラス伝説を持つほど、山は神秘な雰囲気を持ち、目立たないけれど、よく見れば華麗なオオチドメグサにはじめて出あい、やっぱり又もう一度、頂上の小屋に泊まるつもりで登りに来たいなあと思った。
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