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花の百名山161

时间: 2020-06-28    进入日语论坛
核心提示:浅間高原《あさまこうげん》   ハクサンイチゲ・ヒメシャジン 浅間山にはじめて登ったのは十九歳の夏であった。|沓掛《くつ
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浅間高原《あさまこうげん》
   ハクサンイチゲ・ヒメシャジン
 
 浅間山にはじめて登ったのは十九歳の夏であった。|沓掛《くつかけ》とよんでいた中軽井沢から、千ケ滝の環翠楼まで歩いて一泊。浅間は木も生えない活火山だと思っていたのに、山麓にはこんなに大きな緑の谷があるのかとおどろいた。ミズナラやハンノキやクルミなどの濶葉樹に、カラマツの大木がまじっていた。緑の深さが、浅間の赤茶けた山肌と美しい対照をつくり出していたと思う。当時は着物に袴姿の登山で、私は運動靴で足のかかとがこすれ、つきそいの学校の用務員さんが|草鞋《わらじ》を出して履かせてくれた。一歩進んでは半歩下る火山灰の山腹は、歩きづらくてしばしば休み、眼の下にひろがる一面の緑の野に、これが浅間高原かと思い、緑が陽に映えてエメラルドグリーンにかがやくのを何か神秘的なものに眺めた。そこにどんなひとびとが住むのであろう、どんな生きものがいるのかと。戦前も戦後も千ケ滝やその近くに夏のひとときをすごすようになって、高原をかこむ山々にも登るようになった。浅間はあと二回。その西の小諸からの石尊山。高峰山。|水《みず》ノ|登《とう》。籠ノ|登《とう》。池ノ平の三方ケ峰。湯ノ丸山。東は|浅間隠《あさまがくし》山や|鼻曲《はなまがり》山。霧積山。
これらの山々は皆、浅間の火山活動とかかわりがあり、そのどこに登っても必ず浅間山の噴煙を見ることができる。総称して浅間を盟主とする浅間連峰とでもよびたいところだが、この五十年来、群馬県の長野原側から入ったり、碓氷峠から、その南の和見峠から来たりして、浅間山麓地帯の花の少なくなったのにはじめはおどろき、次は嘆き、今は昔の花の多かった頃の面影を求めて、浅間高原周辺の山々を歩きまわっているというところである。
まず失われた花から言えばキキョウ。これは草軽電鉄で北軽井沢へと向かうとき、|嬬恋《つまごい》あたりの林や土手に栽培しているのかと思われるほどたくさん咲いていた。戦後も追分や南軽井沢の草地に少しは見かけたが、それから三、四十年たった今は平地にはほとんどない。高峰山にも水ノ登、籠ノ登にもない、鼻曲にも浅間隠にも霧積にもなくて、わずかにキキョウの紫をしのぶことのできるのは、高峰山から小諸に下りる、車坂峠周辺のヒメシャジンだけ。オミナエシもまた戦後まで信濃追分や和見峠に残っていたのが、今は高山性のコキンレイカとなって、右にあげた山々に生えている。
キキョウとオミナエシが、うたかたのように消えたのは、多分キキョウはその根が漢方の薬用になること。オミナエシはそのまま花屋に売ることができるからであろうと思う。
マツムシソウもよく戦前は軽井沢駅から町に入るまでの道の両側に、沓掛から千ケ滝のグリーンホテルへゆく道の両側に、鬼押出しの東の六里ケ原などにもうす紫の小波がたつかと思うほど咲いていたのが、これも土地の開発によって失われ、花は高峰山や|黒斑《くろふ》山、池ノ平や湯ノ丸や鼻曲、浅間隠など、何の施設も住宅もないあたりに残っている。
ことに高峰山や三方ケ峰の池ノ平あたりの夏は、三峰や高峰山のシャクナゲが終わると三峰の下の池ノ平や高峰山には五十種をこえる花々が咲き競う。
両方とも南に下る斜面を埋めているので、午後の陽射しを受けた花たちは、逆光となって花々のいろが一段と冴えて美しい。シシウドが紅や黄や紫の花々の中に、純白の花を見せているのもすがすがしい。このあたりほどの種類はないけれど、東の鼻曲や浅間隠の裾野が浅間の裾野と重なりあうあたりも花が多く、せめて強引な土地会社よ、私たちの子孫のために、最小限度の線で現在の花たちを守ってほしいと思う。
高峰山にはハクサンイチゲも咲く。十月の秋の終わり頃、ひとびとが都会へと去った高原を歩いて、すがれたシシウドのすがれたまま、草紅葉の中に白々と立っている姿など、なかなか捨て難い味わいがある。カラマツも一せいに狐いろに枯れて、一晩のうちにさっと落ちつくし、その頃は浅間の黒ずんだ、暗い錆び朱の山肌が、青ぞらに冴えて浮かぶ。
|陽表《ひおもて》の|雪消《ゆきげ》の草生にししうどは
線香花火の枯れ花かざす
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