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花の百名山166

时间: 2020-06-28    进入日语论坛
核心提示:北信五岳《ほくしんごがく》   リュウキンカ・ザゼンソウ 北信五岳とは、戸隠、黒姫、妙高、|飯縄《いいづな》、|斑尾《ま
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北信五岳《ほくしんごがく》
   リュウキンカ・ザゼンソウ
 
 北信五岳とは、戸隠、黒姫、妙高、|飯縄《いいづな》、|斑尾《まだらお》で、これらの山々にはそれぞれの山麓に高原の名がついている。この中で妙高だけは裾野が信濃にちょっとかかる越後の山である。岩波書店の『日本の山』によれば、明治八年(一八七五)に来日して、長野県の旅をしたドイツの地質学者E・ナウマンは、八ケ岳山麓の高原から南に連なる赤石山脈が、二五〇〇メートル近い高度差で、甲府盆地を流れる釜無川の谷に、鋭い急斜面をもって迫っているのを見た。それから松本、大町とゆき、飛騨山脈にも同じ現象を見て、日本列島を横断する大きな断層線が走ったことを考える。フォッサマグナ、裂け目、または陥没地帯として発表され、千七百万年から一千万年前に、日本海と太平洋の水は、一つになって、糸魚川から静岡を結ぶ海水浸入地帯を持ったことがわかった。
この海底に堆積したものが隆起して一五〇〇〜二〇〇〇メートルの山地になった。妙高、黒姫、飯縄をふくむ|西頸城《にしくびき》山地、入笠、甘利、櫛形山のある|巨摩《こま》山地など。そして、西頸城山地にはその上に富士火山系の火山が噴出した。斑尾は飯山山地だが、その東南の一三五二メートルの|高社《たかやしろ》山と共にやはり富士火山系で美しい成層火山の形を示す。斑尾は一三八二メートル。その噴火によって、堰止湖の野尻湖ができた。
戸隠表山の一九一一メートルは、それらの火山より古く、海底にあったときの火山が隆起したもので、浸蝕が激しく、凝灰角礫岩の、鋭い岩礁となっている。妙高は二四四六メートル。黒姫は二〇五三メートル。飯縄は一九一七メートル。私はこのうち黒姫と戸隠表山と飯縄と斑尾に登った。妙高は、その北西の火打山の二四六二メートルに登り、途中の天狗ノ庭から南東の黒沢岳の二二一二メートルを経てゆけるとわかったが、まだ登らず、麓の池ノ平では一夏をすごした。
黒姫は戦前に表参道から、斑尾は十年前に荒瀬原から共に夏に登った。斑尾は飯山に近い東の方がスキー場化したらしいが、頂上から眼の下にひろがる野尻湖や、その背景に君臨する妙高の姿が圧巻である。何よりも登山道のかたわらにオミナエシ、キキョウなどを見つけて、黒姫の裾野もススキの中にオミナエシのあったことを思い出したが今はどうか。高社山の麓の城主の高森氏の姫は、黒姫山の大蛇に見こまれて池の中に身を投げたという伝説があり、ダケカンバやブナやシラビソの生い茂った登山道が、ハイマツ帯になり、笹原となり、池は登山道の右側に青黒く静まっていて、何となくうす気味悪く、ほとんど走るようにして一面の笹原の中を駆け下り、野尻湖畔の夏の家に戻った。裾野はマツムシソウの大群落であったが、今はスキー場化されて、赤城山のマツムシソウのように激減したかもしれない。
飯縄山に登ったのは数年前の夏で、コオニユリ、カワラナデシコ、オミナエシ、ハンゴンソウ、ヤマハハコと美しく、頂上からの西に後立山連峰、北の妙高、火打山、東の志賀高原から菅平までの眺めが素晴らしかった。
戸隠には一番よくいっていて、戦後間もない頃から見れば、大分観光客がふえたが、中社の奥の湿原や、越水ケ原に一歩足を入れると、初夏はミズバショウ、リュウキンカ、ザゼンソウ、盛夏はハクサンチドリ、サワギキョウの世界になる。そして奥社の奥の表山縦走は岩壁にリュウノウギクが咲き、谷々の黄紅葉がいろとりどりで、日本画の中を歩いているようである。八〇〇メートルか一二〇〇メートルのこれらの山々の裾野の高原は、小鳥も多く修験道の山が多いせいもあって、軽井沢のように俗化しないのがよい。
私が野尻湖畔にいったのは、軽井沢の宣教師たちが、軽井沢の俗化を避けて、野尻湖畔で夏をすごすようになったからである。英会話を習っていた。半世紀以上たって、軽井沢の喧騒はいよいよひどくなったが、野尻湖畔の高原は、どの山の麓であれ、まだ緑の爽やかさと、たくさんの花々を残している。北信五岳高原とでも名づけたいところである。
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