ワタスゲ
会津駒に登った時、駒ノ小屋の前でなつかしそうに北西に連なる山々に見入っている若い女のひとにあった。平ケ岳に一人で登って来たのだという。道は大変ですかと聞くと、二岐沢からの林道を標高差七〇〇メートル近くまで車を入れてもらい、二時間半で登り、一時間半で下って来たと言う。
それにしても利根源流の最奥の山といわれるところに、女一人でと心中ひそかに舌をまいた。
私の平ケ岳は、カナディアンロッキーから帰って体調をくずしたまま、秋田駒から乳頭山へと歩いた翌日に銀山平の湖山荘に泊まり、その翌朝に、二十人のいつもの仲間と登った。林道を通して下さった小出町の桜井原町長のおかげで、登山口まで車を入れ、あの若い女のひとと同じ道を辿ったのだが、私は山路に入るなり、急坂に次ぐ急坂であごを出し、湿った土に足を滑らし、シラビソやダケカンバが丈高く茂りあう両側のチシマザサの茎をつかみながらの気息えんえんの登山であった。三時間もすると木々の高さが低くなり、ヤブは逆に高くなって道がぬかるんで来たのは、いよいよ池塘のある頂上近い湿原に来たのかとうれしく、ヤブをかきわけかきわけゆくと、健脚の仲間の先頭たちがどんどん下りて来た。今一息、おもしろい玉子石という石があるなどとはげましてくれたが、こちらは全身の力を出しきってしまった感じ。秋田駒からつづけて三日間の絶食。口に入れているのは、カタクリ粉のお湯ときだけである。
四時間たって、やっと上層湿原の一面に花崗岩の風化された名残だという大きな卵形の石のそばにたつことができた。小高い丘になっていて、眼の下にひろがる一面の草地の中に点々とワタスゲがあり、足許にツルコケモモやネバリノギランがある。池塘のそばまでゆけばモウセンゴケやトキソウなどにあえるかもしれないと思ったが、今は頂上が大事と足を引きずり引きずり木道の上を歩き、この広大な平坦地が、かつて海の底であったという地球の歴史の悠久を思っていた。
それにしても利根源流の最奥の山といわれるところに、女一人でと心中ひそかに舌をまいた。
私の平ケ岳は、カナディアンロッキーから帰って体調をくずしたまま、秋田駒から乳頭山へと歩いた翌日に銀山平の湖山荘に泊まり、その翌朝に、二十人のいつもの仲間と登った。林道を通して下さった小出町の桜井原町長のおかげで、登山口まで車を入れ、あの若い女のひとと同じ道を辿ったのだが、私は山路に入るなり、急坂に次ぐ急坂であごを出し、湿った土に足を滑らし、シラビソやダケカンバが丈高く茂りあう両側のチシマザサの茎をつかみながらの気息えんえんの登山であった。三時間もすると木々の高さが低くなり、ヤブは逆に高くなって道がぬかるんで来たのは、いよいよ池塘のある頂上近い湿原に来たのかとうれしく、ヤブをかきわけかきわけゆくと、健脚の仲間の先頭たちがどんどん下りて来た。今一息、おもしろい玉子石という石があるなどとはげましてくれたが、こちらは全身の力を出しきってしまった感じ。秋田駒からつづけて三日間の絶食。口に入れているのは、カタクリ粉のお湯ときだけである。
四時間たって、やっと上層湿原の一面に花崗岩の風化された名残だという大きな卵形の石のそばにたつことができた。小高い丘になっていて、眼の下にひろがる一面の草地の中に点々とワタスゲがあり、足許にツルコケモモやネバリノギランがある。池塘のそばまでゆけばモウセンゴケやトキソウなどにあえるかもしれないと思ったが、今は頂上が大事と足を引きずり引きずり木道の上を歩き、この広大な平坦地が、かつて海の底であったという地球の歴史の悠久を思っていた。