ヒメシャガ
栃尾市にいった時、市役所のひとに近くにいい山はと聞くと、言下に守門岳。花が多いですよとのこと。では浅草岳のヒメサユリと守門の花をと企画して数年前の夏の梅雨明けに登った。その前々日にノラ猫に左のてのひらをがっぷりと噛まれ、医者にゆくと破傷風の注射をしてくれて、明日は守門岳ですといえば、死んでも知りませんと見放されてしまった。ほうたいの上にゴム手袋をはめて、大白川からはすぐに鉄砲登りの急坂にかかり、イデシ尾根の突端八五〇メートル。右側がダケカンバの林。左側はいい花の咲く木が多かった。ユキツバキ、ムシカリ、オオカメノキと花は終わっていたが、ウラジロヨウラク、ホツツジの花は残り、林床にベニバナイチヤクソウやシラネアオイやミヤマママコナが咲いて、尾瀬周辺の山に似ていると思った。
一五三八メートルの頂上にはまだ雪田が残り、池塘もあった。ここまでのコースタイムは四時間だったが、私は六時間かかっている。医者が安静にといったので、せめてものことにゆっくりゆっくり歩いたのだが、一つには花が多いのと、先にいったものが、マムシがいたと大声をあげるので、あたりを警戒しながらこわごわいったせいもある。仲間の一人は、こんなにマムシが多いから一匹とって帰ると追っかけたりしていた。下りは守門岳から|青雲《あおくも》の一四九〇メートルまでの稜線を歩いて、|二分《にぶ》登山道を三時間で下りた。マムシはこちらの方がもっと多く、一番先に通ったものは一メートルおきにトグロをまいていたとのこと。浅草岳へゆく途中の酒屋にマムシ酒五千円と札がでていて早速一本買ったが、今度は無抵抗のマムシを見るのがおもしろく、一人でニコニコ眺めていた。しかし私が本当にニコニコしていた最大の意味は、この山で多年あこがれの野生のヒメシャガを見たからである。
ヒメシャガが東北地方へゆくと、野生していると教えてくれたのは、巧緻細密な野の花の絵と随筆で、エッセイスト賞を得られた故佐藤達夫氏だが、守門で出あうとはゆめにも思わなかった。
一五三八メートルの頂上にはまだ雪田が残り、池塘もあった。ここまでのコースタイムは四時間だったが、私は六時間かかっている。医者が安静にといったので、せめてものことにゆっくりゆっくり歩いたのだが、一つには花が多いのと、先にいったものが、マムシがいたと大声をあげるので、あたりを警戒しながらこわごわいったせいもある。仲間の一人は、こんなにマムシが多いから一匹とって帰ると追っかけたりしていた。下りは守門岳から|青雲《あおくも》の一四九〇メートルまでの稜線を歩いて、|二分《にぶ》登山道を三時間で下りた。マムシはこちらの方がもっと多く、一番先に通ったものは一メートルおきにトグロをまいていたとのこと。浅草岳へゆく途中の酒屋にマムシ酒五千円と札がでていて早速一本買ったが、今度は無抵抗のマムシを見るのがおもしろく、一人でニコニコ眺めていた。しかし私が本当にニコニコしていた最大の意味は、この山で多年あこがれの野生のヒメシャガを見たからである。
ヒメシャガが東北地方へゆくと、野生していると教えてくれたのは、巧緻細密な野の花の絵と随筆で、エッセイスト賞を得られた故佐藤達夫氏だが、守門で出あうとはゆめにも思わなかった。