スカシユリ
信濃川は長野県下を千曲川となって流れる。源流は韮崎より北の天狗山、男山、女山の谷である。山々の北麓の大深山に縄文の遺跡が発見されたのは、八ケ岳山麓よりも新しい昭和二十八年(一九五三)であった。村道を建設しようとした工事のとき、土器を伴う炉址が出て来た。つい最近のこと、天狗山に登って北に浅間を仰ぎながら、千曲川に沿うこの佐久平の地が、なんといろいろの歴史的な舞台になるのであろうと感慨にふけった。明治十七年(一八八四)に起きた秩父事件の農兵たちが、十石峠をこえてなだれこんだのもこの地方である。弘治元年(一五五五)の昔、武田信玄が、川中島での上杉氏との戦いに、甲斐から信濃に向かったのもこの千曲川沿いの道であった。さまざまの人間の姿をこの流れは知りながら新潟平野に悠々たる姿をあらわして日本海に注ぐ。
兄が新潟医大の病理にいたので、娘時代からよく新潟市を訪れた私は、信濃川口に近い三つの山に親しみを持った。一番西が、良寛の庵を結んだ国上山、次が日本三彦山の一つ弥彦。隣りの角田山には、春はカタクリが夏はスカシユリが咲くという。そしてこれらは皆古い火山だという。登ったのは十年前の夏の一日。案内してくれたのは『越後の山旅』の著者の藤島玄氏と新潟ゴミ会議の主宰者の故猪俣信市氏。頂上の休憩所で、名物のササダンゴを食べるのをたのしみに、標高一八〇メートルの五ケ峠から杉林の中を登り出す。スカシユリは登り口の岩場に点々と咲いていた。標高三六〇メートルで、五ケ浜よりの登山道と合流、四五〇メートルの三望平に出て、右の林間にサラシナショウマ、ナツノタムラソウ。左は佐渡の浮かぶ海である。カキランなどがあって九州の祖母山以来の対面。あそこも古い火山岩の山であった。四八二メートルの頂上はアカマツ林と広い芝生になって、市民の公園である。南の|稲島《とうしま》登山道を急降下。松林の中にウバユリ、クルマユリも咲き、カンアオイが多かった。コシノカンアオイであったろうか。
兄が新潟医大の病理にいたので、娘時代からよく新潟市を訪れた私は、信濃川口に近い三つの山に親しみを持った。一番西が、良寛の庵を結んだ国上山、次が日本三彦山の一つ弥彦。隣りの角田山には、春はカタクリが夏はスカシユリが咲くという。そしてこれらは皆古い火山だという。登ったのは十年前の夏の一日。案内してくれたのは『越後の山旅』の著者の藤島玄氏と新潟ゴミ会議の主宰者の故猪俣信市氏。頂上の休憩所で、名物のササダンゴを食べるのをたのしみに、標高一八〇メートルの五ケ峠から杉林の中を登り出す。スカシユリは登り口の岩場に点々と咲いていた。標高三六〇メートルで、五ケ浜よりの登山道と合流、四五〇メートルの三望平に出て、右の林間にサラシナショウマ、ナツノタムラソウ。左は佐渡の浮かぶ海である。カキランなどがあって九州の祖母山以来の対面。あそこも古い火山岩の山であった。四八二メートルの頂上はアカマツ林と広い芝生になって、市民の公園である。南の|稲島《とうしま》登山道を急降下。松林の中にウバユリ、クルマユリも咲き、カンアオイが多かった。コシノカンアオイであったろうか。