イワカガミ
佐渡には娘時代に弟やその学友と渡った。家を出るとき母が言った。山に登ってはいけませんよ。
昭和六年(一九三一)三月の末に、今の筑波大附属の前身、東京高師附属中学の十七人が金北山に登り、二人の死者を出していた。
母が、兄や弟や私に強い口調で戒めたのは、登山に遭難はつきものだというその頃の常識であった。昭和三年の三月に登山家として有名な大島亮吉が前穂高で滑落死。昭和二年の十二月には早大のスキー部隊が、針ノ木の雪渓で四名の死者を出している。昭和四年の十二月、剣沢で小屋が雪崩にやられて、案内人二人と共に、東大のOBたち四人が死んだ。
佐渡は日本で一番大きい島で、戦後に何度もいったが、いつも山国へ来たという感じである。島は金北山一一七三メートル、妙見山一〇四二メートルを連ねる大佐渡山地と、経塚山の六三六メートルを主峰とする小佐渡山地が南北に走り、西南に真野湾、北東に両津湾の湾入でくびれて、国中平野となる。大佐渡山地は金鉱を持ち、戦前は廃坑のままであったが、今はすっかり観光地化されている。
さて、金北山に登ったのは数年前の七月で、前日に雨の弥彦山の六三八メートルに歩いて登って両津へ。金坑のあとを見て、スカイラインから防衛庁管理道路に入って妙見直下の白雲荘泊まり。早朝の四時に雨と風の中を、妙見をすぎて金北山頂の神社に詣った。高師附属中のひとたちは、妙見から下りて強い雨と風に倒れたのである。防衛庁道路の道ばたにイブキジャコウソウとイワカガミが砂礫地の間に咲き、宿の近くにマツムシソウを見ただけ。シラネアオイやヤマシャクヤクやカキツバタも咲くと藤島玄さんの本にあったが、とにかく寒い。四辺を海にさらされて風も強いので、霧の中に花々を想像して宿に帰った。春はイチリンソウもカタクリも咲くという。北麓にはシャクナゲの大群落もと聞き、晴れた初夏の日にと思った。
いはかがみ しらねにんじん つがざくら
今日より雪にうづまりゆかむ
昭和六年(一九三一)三月の末に、今の筑波大附属の前身、東京高師附属中学の十七人が金北山に登り、二人の死者を出していた。
母が、兄や弟や私に強い口調で戒めたのは、登山に遭難はつきものだというその頃の常識であった。昭和三年の三月に登山家として有名な大島亮吉が前穂高で滑落死。昭和二年の十二月には早大のスキー部隊が、針ノ木の雪渓で四名の死者を出している。昭和四年の十二月、剣沢で小屋が雪崩にやられて、案内人二人と共に、東大のOBたち四人が死んだ。
佐渡は日本で一番大きい島で、戦後に何度もいったが、いつも山国へ来たという感じである。島は金北山一一七三メートル、妙見山一〇四二メートルを連ねる大佐渡山地と、経塚山の六三六メートルを主峰とする小佐渡山地が南北に走り、西南に真野湾、北東に両津湾の湾入でくびれて、国中平野となる。大佐渡山地は金鉱を持ち、戦前は廃坑のままであったが、今はすっかり観光地化されている。
さて、金北山に登ったのは数年前の七月で、前日に雨の弥彦山の六三八メートルに歩いて登って両津へ。金坑のあとを見て、スカイラインから防衛庁管理道路に入って妙見直下の白雲荘泊まり。早朝の四時に雨と風の中を、妙見をすぎて金北山頂の神社に詣った。高師附属中のひとたちは、妙見から下りて強い雨と風に倒れたのである。防衛庁道路の道ばたにイブキジャコウソウとイワカガミが砂礫地の間に咲き、宿の近くにマツムシソウを見ただけ。シラネアオイやヤマシャクヤクやカキツバタも咲くと藤島玄さんの本にあったが、とにかく寒い。四辺を海にさらされて風も強いので、霧の中に花々を想像して宿に帰った。春はイチリンソウもカタクリも咲くという。北麓にはシャクナゲの大群落もと聞き、晴れた初夏の日にと思った。
いはかがみ しらねにんじん つがざくら
今日より雪にうづまりゆかむ