ベニバナイチヤクソウ
医王山とは薬師如来を本尊とするお寺の山号であるという。小松勤労者山岳会の機関誌に医王山の説明がのっていて、養老三年(七一九)に泰澄上人が開山し、真言宗の寺が四十余坊もあったという。
泰澄上人は加賀の白山を開山したひとである。『歴史の山100選』によれば、養老元年(七一七)に二人の弟子と一緒に白山に登って祈っていたら御前峰にイザナギ、大汝峰にオオナムチ、別山に大行事という三人の神が出現、これを白山三所権現としたとなっているけれど、これは時代的にちょっとどうかしらと思う。権現というのは仏が日本の神となって仮りに現われたという、平安時代初期の神仏混淆説によって生まれたものなので、多分あとからつけた話であろう。白山|比《ひめ》神社という神社を泰澄が開山し、医王山という寺も開山したということ自体が神仏混淆である。『続日本紀』に奈良時代にあって、新羅の僧尼を迎えたという記録があり、|石裂《おざく》山の勝道上人、長谷寺をつくった徳道上人、またこの泰澄上人はいずれも大陸渡来の僧で、その修行の場とした山に寺をたて、そこに神社をつけたのではないだろうか。泰澄上人がゆききしたという行基もまた大陸のひとである。
医王山とは山から薬草が多くとれたからここにたてた寺の名の山号となったのであろう。なお白山比神社は、平泉寺との結びつきが濃い。
この山のおもしろいのは、九三九メートルと低いけれど、古い火山地形の名残を示して、|鳶岩《とんびいわ》というスリル満点の岩場や三蛇ケ滝、大沼などの変化ある眺めと、つねに能登半島の浮かぶ日本海が見られることである。
ベニバナイチヤクソウ、オオイワウチワ、アカモノ、イワナシ、タケシマランの外、三十種以上の花を見かけ、山は低いのに一五〇〇メートル以上の山々にあるような花々が多いのは、日本海からの風に吹きさらされる豪雪地帯のせいかもしれない。冬季にはしばしば遭難者が出るから要注意とのこと。
泰澄上人は加賀の白山を開山したひとである。『歴史の山100選』によれば、養老元年(七一七)に二人の弟子と一緒に白山に登って祈っていたら御前峰にイザナギ、大汝峰にオオナムチ、別山に大行事という三人の神が出現、これを白山三所権現としたとなっているけれど、これは時代的にちょっとどうかしらと思う。権現というのは仏が日本の神となって仮りに現われたという、平安時代初期の神仏混淆説によって生まれたものなので、多分あとからつけた話であろう。白山|比《ひめ》神社という神社を泰澄が開山し、医王山という寺も開山したということ自体が神仏混淆である。『続日本紀』に奈良時代にあって、新羅の僧尼を迎えたという記録があり、|石裂《おざく》山の勝道上人、長谷寺をつくった徳道上人、またこの泰澄上人はいずれも大陸渡来の僧で、その修行の場とした山に寺をたて、そこに神社をつけたのではないだろうか。泰澄上人がゆききしたという行基もまた大陸のひとである。
医王山とは山から薬草が多くとれたからここにたてた寺の名の山号となったのであろう。なお白山比神社は、平泉寺との結びつきが濃い。
この山のおもしろいのは、九三九メートルと低いけれど、古い火山地形の名残を示して、|鳶岩《とんびいわ》というスリル満点の岩場や三蛇ケ滝、大沼などの変化ある眺めと、つねに能登半島の浮かぶ日本海が見られることである。
ベニバナイチヤクソウ、オオイワウチワ、アカモノ、イワナシ、タケシマランの外、三十種以上の花を見かけ、山は低いのに一五〇〇メートル以上の山々にあるような花々が多いのは、日本海からの風に吹きさらされる豪雪地帯のせいかもしれない。冬季にはしばしば遭難者が出るから要注意とのこと。