ミカワバイケイソウ・キリンソウ・チゴユリ
弓張山地、あるいは弓張山系、弓張山脈ともよばれるのは、赤石山系が、その南にゆるやかな準平原的地形をみせて、三河の国になだれ落ちている低い丘陵地である。その連なりのまん中のあたりに二等辺三角形の石巻山が見え、その南に|葦毛《いもう》湿原がある。
石巻山には石灰岩地特有の植生があり、葦毛湿原は東海の尾瀬ともよばれ、石巻山は豊橋駅から六キロ、葦毛湿原は五キロの近さにあって、貴重な自然を豊かに残していることで、豊橋自然歩道の一環として、豊橋市民全体に護られ、地元の豊岡中学の生徒たちがつねに清掃運動を受けもっている。
はじめて葦毛湿原を訪れたのは、この自然歩道もその一部を占める、古代の道の姫街道を走って|三《みつ》ケ|日《び》にゆく途中であった。三ケ日は考古学的にも太古の民の居住したあとを残して有名だが、この豊橋自然歩道のあたりにも古墳が多い。私は車を待たせて、湿原の木道の上を歩き、まだ六月で、湿原植物はようやく芽を出したばかりであったが、モチツツジやノイバラの花が咲き、その上に純白のカザグルマの花が盛り上がるように咲いているのを見て感動した。豊橋市から車で二十分とかからぬ場所にこんな素晴らしい野生の花たちがあるとは。ノハナショウブも真っさかりであった。その後、山仲間をつれて数度訪れ、一度は、この湿原の価値を世間に知らせ、この木道を設置するために山岳会や有志の協力を求め、私有地であった湿原を買い上げたりして、豊橋文化協会を中心とする大きな市民運動を起こす火つけ役になった植物学者の恒川敏雄氏の案内で、三時間近くかけて、丘陵地から湿原のすみずみまで歩くことができた。
この湿原は尾瀬のように長い年月かけての堆積物によるのではなくて、丘陵の扇状地の何ケ所かに湧水があるのが、岩盤が水を通さないために、絶えず水が流れている状態による。長い間空閑地となっていたのは、強酸性の土壌で作物をつくるのにふさわしくなかったからである。おかげで野生植物や生物の天国ともなり、七百五十種の植物と、トンボだけでも四十種、蝶は六十種が棲息しているという。
二〇〇〜三〇〇メートルの丘陵には、イヌツゲの原生林があり、アカガシ、ウラジロモミなどの照葉樹が北側の寒風を防いで、この山地から湿原に咲く花々は、春はショウジョウバカマ、カタクリ、ハルリンドウ、チゴユリ、キンランなど。初夏にかけては、カザグルマ、ミカワバイケイソウ、サワオグルマ、トキソウ、ササユリ、ハンカイソウ、ノハナショウブ、カキラン、コオニユリなど。夏から秋にかけてはシラタマホシクサ、サギソウ、ミズギク、ミミカキグサ、サワギキョウ、秋はサワヒヨドリ、ミカワシオガマ、ウメバチソウ、ヤマラッキョウなど。
湿原の高度は一〇〇メートルに満たないのに、一五〇〇メートル以上のような花々が咲くのは、かつて赤石山系が氷河に被われていた頃の名残ではないだろうか。ミカワバイケイソウと全く同じに、花穂が細長いバイケイソウを、私はヨーロッパアルプスの山麓地帯で見ている。
石巻山には豊橋市の教育委員会のひとびとや元豊岡中学、現在の牟呂中学の鈴木淳氏が案内してくれて、いつも電車の窓からでのみ見仰いでいた頂きまで登ることができた。遠くからはなだらかな山容と見えたが、頂上は鋭くとがった石灰岩の岩峰で神坐となっていたという。ツルデンダや、クモノスシダなどのシダ類やキリンソウ、イワシモツケなどの花々が咲き、珍しい陸貝も多いという。開発ブームでゴルフ場建設流行の世相に対し、全市一丸となって、弓張山系の自然保護に熱心な豊橋市は、やはり古墳が多いだけ、市民全体の文化度が高いのであろうと思った。
なお、弓張山地は幾つかの峠を持って、交通の要路になっているけれど、トラックがゆききする道端にジャケツイバラがいろ鮮やかに咲いていたりする。
谷よりの小綬鶏の声にさそはれて
下る山路にチゴユリの花
石巻山には石灰岩地特有の植生があり、葦毛湿原は東海の尾瀬ともよばれ、石巻山は豊橋駅から六キロ、葦毛湿原は五キロの近さにあって、貴重な自然を豊かに残していることで、豊橋自然歩道の一環として、豊橋市民全体に護られ、地元の豊岡中学の生徒たちがつねに清掃運動を受けもっている。
はじめて葦毛湿原を訪れたのは、この自然歩道もその一部を占める、古代の道の姫街道を走って|三《みつ》ケ|日《び》にゆく途中であった。三ケ日は考古学的にも太古の民の居住したあとを残して有名だが、この豊橋自然歩道のあたりにも古墳が多い。私は車を待たせて、湿原の木道の上を歩き、まだ六月で、湿原植物はようやく芽を出したばかりであったが、モチツツジやノイバラの花が咲き、その上に純白のカザグルマの花が盛り上がるように咲いているのを見て感動した。豊橋市から車で二十分とかからぬ場所にこんな素晴らしい野生の花たちがあるとは。ノハナショウブも真っさかりであった。その後、山仲間をつれて数度訪れ、一度は、この湿原の価値を世間に知らせ、この木道を設置するために山岳会や有志の協力を求め、私有地であった湿原を買い上げたりして、豊橋文化協会を中心とする大きな市民運動を起こす火つけ役になった植物学者の恒川敏雄氏の案内で、三時間近くかけて、丘陵地から湿原のすみずみまで歩くことができた。
この湿原は尾瀬のように長い年月かけての堆積物によるのではなくて、丘陵の扇状地の何ケ所かに湧水があるのが、岩盤が水を通さないために、絶えず水が流れている状態による。長い間空閑地となっていたのは、強酸性の土壌で作物をつくるのにふさわしくなかったからである。おかげで野生植物や生物の天国ともなり、七百五十種の植物と、トンボだけでも四十種、蝶は六十種が棲息しているという。
二〇〇〜三〇〇メートルの丘陵には、イヌツゲの原生林があり、アカガシ、ウラジロモミなどの照葉樹が北側の寒風を防いで、この山地から湿原に咲く花々は、春はショウジョウバカマ、カタクリ、ハルリンドウ、チゴユリ、キンランなど。初夏にかけては、カザグルマ、ミカワバイケイソウ、サワオグルマ、トキソウ、ササユリ、ハンカイソウ、ノハナショウブ、カキラン、コオニユリなど。夏から秋にかけてはシラタマホシクサ、サギソウ、ミズギク、ミミカキグサ、サワギキョウ、秋はサワヒヨドリ、ミカワシオガマ、ウメバチソウ、ヤマラッキョウなど。
湿原の高度は一〇〇メートルに満たないのに、一五〇〇メートル以上のような花々が咲くのは、かつて赤石山系が氷河に被われていた頃の名残ではないだろうか。ミカワバイケイソウと全く同じに、花穂が細長いバイケイソウを、私はヨーロッパアルプスの山麓地帯で見ている。
石巻山には豊橋市の教育委員会のひとびとや元豊岡中学、現在の牟呂中学の鈴木淳氏が案内してくれて、いつも電車の窓からでのみ見仰いでいた頂きまで登ることができた。遠くからはなだらかな山容と見えたが、頂上は鋭くとがった石灰岩の岩峰で神坐となっていたという。ツルデンダや、クモノスシダなどのシダ類やキリンソウ、イワシモツケなどの花々が咲き、珍しい陸貝も多いという。開発ブームでゴルフ場建設流行の世相に対し、全市一丸となって、弓張山系の自然保護に熱心な豊橋市は、やはり古墳が多いだけ、市民全体の文化度が高いのであろうと思った。
なお、弓張山地は幾つかの峠を持って、交通の要路になっているけれど、トラックがゆききする道端にジャケツイバラがいろ鮮やかに咲いていたりする。
谷よりの小綬鶏の声にさそはれて
下る山路にチゴユリの花