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花の百名山182

时间: 2020-06-28    进入日语论坛
核心提示:猿投山《さなげやま》   センボンヤリ 猿投山とはおもしろい名である。猿投神社の祭神には景行天皇がふくまれていて、大和か
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猿投山《さなげやま》
   センボンヤリ
 
 猿投山とはおもしろい名である。
猿投神社の祭神には景行天皇がふくまれていて、大和から伊勢に来て、連れてきた猿にケガレがあるからと海に投げたという伝承と、サは狭、ナギは谷の崩壊地形をあらわすという説がある。『日本国語大辞典』には「サナキ」は「鉄製の大きな鈴」とあり、それを銅鐸とすると、猿投山のある東三河は、古墳の多いところで、いずれにしても古代からひとが住みついていたのだと思う。
猿投山に案内してくれたのは、恵那山のときと同じ土岐市役所の金子政則さんや加藤精吾さんで、私が名古屋に用のあったとき、近くにある山として、又、古い伝説を持つ山として連れていってくれた。
名古屋を八時に出発してグリーンロードを左折、西回り自動車登山道で西の宮登山口まで一時間半、標高四〇〇メートルの地点から急勾配の木の段々を二百二十一段、石段を九十七段登って、垂仁天皇をまつるという西の宮の社殿の前に出る。そこから山頂に向かってゆく途中に、近代的な石段と鉄の門があって、説明板によれば、オオウスノミコトの廟とある。四十二歳で、この山中で毒蛇にかまれて死なれたという。
オオウスノミコトは、のちにヤマトタケルノミコトとよばれたオウスノミコトと双子の兄弟で、たしか『古事記』には、父の帝が召そうとした姫をうばい、怒った父君が弟のオウスノミコトに殺させたとしてあるが、伝承では、その姫と美濃の国にいったのだという。柿野温泉がその地と土岐のひとたちから聞かされ、オウスは兄君を殺したと父君に言って美濃へ逃したのであったかと思った。ヤマトタケルには、関東へ行った帰りに、伊吹山で毒蛇の害にあって死なれたという伝説があり、毒蛇とは異民族であろうと言われているが、兄弟が同じ運命で、ヤマト以外の地で死なれるのは、興味あることと思った。
墓所から東に向かって緩やかな傾斜の道を進む。道の右側は風化した黒雲母花崗岩が露呈していて、良質の陶土になるのだとか。猿投山の西に瀬戸市、北に土岐市、共に名陶の産地である。
一等三角点のある六二九メートルのピークについたのは十二時近く。中国地方の山々は、備前焼などのために山の木々が伐られつづけて来て、赤松やヤマツツジが目立つが、猿投山が低いのに深山の姿が保たれているのは、スギ、ヒノキ、シイ、カシなどの常緑樹が大木として茂りあう中に、ヤマザクラ、カツラ、ケヤキ、イヌブナなどの落葉樹がまた大樹となって、その混淆林は原生林かとも思われるような緑の深さを見せていることである。ミツバツツジ、アセビ、ツバキ、ドウダンツツジと花の咲く木々も多いので、眺めに変化がある。草の花ではツルニンジン、センボンヤリ、オカトラノオ、リンドウ、そして、これは三河の宮路山もそうだけれど、カンアオイが多い。武州御岳で見つけたサツキヒナノウスツボもあった。おもしろいのは、猿投山の南にある三河一の宮の|知立《ちりゆう》神社に、マムシよけのお札のあること。又、この神社は、ヤマトタケルノミコトが創建されたという。
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