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花の百名山183

时间: 2020-06-28    进入日语论坛
核心提示:藤原岳《ふじわらだけ》   フクジュソウ・ヒロハアマナ・アワコバイモ・エンレイソウ 鈴鹿山麓には関所があった。名古屋から
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藤原岳《ふじわらだけ》
   フクジュソウ・ヒロハアマナ・アワコバイモ・エンレイソウ
 
 鈴鹿山麓には関所があった。名古屋から四日市を経て、鈴鹿峠に向かう手前の関町で、江戸へは百六里二丁、四三〇キロあまり、京へ七八キロ。古代にあって、この伊勢の国の関と、美濃の不破の関と、近江の逢坂の関が三関と言われ、中でも鈴鹿が一番山も深く、雨も多くて難渋したらしい。日本列島は伊勢湾と若狭湾でくびれて北東と西南にのびる。日本海の季節風は鈴鹿山地に吹きつけ、伊吹山にぶつかり、その麓の関ケ原にいち早い雪を運んでくる。鈴鹿も岐阜県と滋賀県との県境に連なる霊仙山の一〇八四メートル、滋賀県と三重県との境の|御池《おいけ》岳の一二四一メートル、藤原岳の一一六五メートル、御在所岳の一二一〇メートル、鎌ケ岳の一一五七メートルあたりの山々は十二月のはじめには頂きが雪に被われる。
これらの山々にはすべて登ったが、半分は雨か雪であった。鈴鹿の旅人は足許の悪さと横行する山賊に悩まされ『今昔物語』には、鈴鹿の山賊が蜂の大群に襲われて死んだ話も出ている。
しかし私は、新幹線が米原に近づく頃、左手の車窓に盛り上がる鈴鹿山塊を見ると、時間があれば下りて霊仙に御池に御在所にとゆきたくなる。一番もう一度、もう二度と思うのは藤原岳である。
霊仙には春のフクジュソウやカタクリの頃、夏のミヤマキケマンやイカリソウやヒロハコンロンソウの盛んな頃、また、晩秋の草紅葉の頃、新雪の枯れ草の頃、御池はヤマシャクヤクやエンゴサクの美しい初夏の頃に登ったが、藤原岳は二度も雨で山麓までいって引き返し、三度目にやっと成功。そして藤原岳の春の盛りほど、すばらしい山の花の大群にであったことはなかったと感激した。フクジュソウも山腹を埋めてびっしりと咲いている。
鈴鹿山地に花が多いのは、かつて日本列島が海中に沈んでいたことを示す、石灰岩が多いからだそうだが、そう言えば秩父もまたフクジュソウの野生地があり、セツブンソウもある。藤原岳にも早春の三月には咲くという。山腹の一方がずっとフクジュソウというのは、全く植えつけたように見えるのだが、麓の自然科学館の管理がゆきとどいて盗掘されないからだとのこと。かつて霊仙のフクジュソウは毎年京都御所に届けられたという。フクジュソウがすぎると赤い花のエンレイソウの群落となり、反対側の山腹はヒロハノアマナやヤマエンゴサクと、珍しくもアワコバイモの群生となっている。アワコバイモは、じつは『万葉集』の中で大伴家持が歌っている「カタカゴ」のことだとは故前川文夫氏の意見で、カタクリをカタカゴと言うのはまちがいであるという。アワコバイモの花の咲きかたは、いかにもうつむいたカゴのかたちであり、その根の鱗片も大きいから、澱粉を大量にとることができる。カタクリが現在も残り、アワコバイモが減少してしまったのは、食用に採取しつくされたからであろうと言う。
私がアワコバイモを見たのはこの山がはじめてで、あとは信州の一つの峠で見ている。
霊仙や御池や藤原岳の頂上は皆石灰岩が、白々と草の中に露呈し、根もとにはイチリンソウ、アズマイチゲなどのキンポウゲ科の花が勢揃いしている。
この鈴鹿山地は北方系や南方系の花が咲いて、その種類が多いと言われるが、御在所や鎌ケ岳の方になると花崗岩が母体となって、ドウダンツツジやモチツツジの木が目立ち、花はヒヨドリバナやタテヤマリンドウを見つけたぐらいであった。しかし御在所も鎌ケ岳もツツジの紅葉が松の緑に映えて美しい。藤原や御池の方はミズナラやブナが多く、コブシやヤマザクラが咲くので、春は新緑の芽ぶきとヤマザクラをたのしむことができる。ただ私が、鈴鹿山地でいつも警戒するのはマムシとヤマビルである。湿潤な谷が多いのでマムシの群生地ともなり、ヤマビルは大杉谷でも出あったことのないような大きいのが雨と共に降ってくる。関ケ原の戦いで敗れた島津軍は、鈴鹿山地をつっきって堺港から薩摩を目ざしたのだが、その逃走路は霊仙の西から鍋尻山の八三九メートルの東を五僧峠へと今も残り、いつか雨の五月に歩いたら、何匹も首筋に吸いつかれた。
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