センブリ
「この道はいつか来た道」という歌がある。私には「この道はまた来たい道」というのがあり、古熊野路はその一つである。古熊野路を那智滝から山路に入り、船見峠、色川辻、石倉峠、越前峠と歩いて小口に下りたのは十年以上前のことである。新宮山の会の『南紀の山と谷』によれば、このコースタイムは六時間三十分。歩程は約二〇キロ。この道は熊野三山詣での旧道で、大雲取越という。
小口は熊野川の支流に面したところで、川を渡ったひとたちは、対岸の小和瀬から中辺路へと小雲取越をして、如法山から請川に出る。このコースタイムは約三時間三十分。歩程約一七キロ。請川は新宮川(十津川)に面していて、四キロ近く歩くと、本宮に着く。数年前に、請川の方から歩いて小和瀬についた。大雲取越は夏の七月、春の四月、どちらもヘビに出あうことの多い山歩きで、大雲取越は八時間かかり、小雲取越は五時間かかった。
熊野三山は、三熊野ともいう。本宮は、|熊野坐《くまのにます》神社。新宮は熊野速玉神社、もう一つは、那智滝自身が御神体となっている熊野|夫須美《ふすみ》神社。いずれもその神のいる場所は、川の中洲であり、海の浜辺であり、滝であって、熊野信仰とはもっとも原始的な大自然信仰がもとになっているように私は思う。
京都から二〇〇キロの道を、平安末期の、貴族政治が、武家の勢力に脅かされるようになった頃、白河法皇も鳥羽上皇も三十回前後をせっせと通って来られた。私が思うのに、熊野の雄大豪壮な大自然にふれて、その生命の躍動する息吹を吸収したかったのではないだろうか。
私は熊野路の山々が一〇〇〇メートル以下でありながら、断層やら、隆起やらと複雑な地理的条件によって谷が複雑にきざまれ、大勢のひとが歩くにふさわしく、まき道がゆるやかにつけられているため、無限に魅力ある山路がたのしめ、多くの花に出あうことができるのがうれしい。センブリ、コケリンドウ、ナツエビネなど。アサマリンドウらしい葉も見かけた。
小口は熊野川の支流に面したところで、川を渡ったひとたちは、対岸の小和瀬から中辺路へと小雲取越をして、如法山から請川に出る。このコースタイムは約三時間三十分。歩程約一七キロ。請川は新宮川(十津川)に面していて、四キロ近く歩くと、本宮に着く。数年前に、請川の方から歩いて小和瀬についた。大雲取越は夏の七月、春の四月、どちらもヘビに出あうことの多い山歩きで、大雲取越は八時間かかり、小雲取越は五時間かかった。
熊野三山は、三熊野ともいう。本宮は、|熊野坐《くまのにます》神社。新宮は熊野速玉神社、もう一つは、那智滝自身が御神体となっている熊野|夫須美《ふすみ》神社。いずれもその神のいる場所は、川の中洲であり、海の浜辺であり、滝であって、熊野信仰とはもっとも原始的な大自然信仰がもとになっているように私は思う。
京都から二〇〇キロの道を、平安末期の、貴族政治が、武家の勢力に脅かされるようになった頃、白河法皇も鳥羽上皇も三十回前後をせっせと通って来られた。私が思うのに、熊野の雄大豪壮な大自然にふれて、その生命の躍動する息吹を吸収したかったのではないだろうか。
私は熊野路の山々が一〇〇〇メートル以下でありながら、断層やら、隆起やらと複雑な地理的条件によって谷が複雑にきざまれ、大勢のひとが歩くにふさわしく、まき道がゆるやかにつけられているため、無限に魅力ある山路がたのしめ、多くの花に出あうことができるのがうれしい。センブリ、コケリンドウ、ナツエビネなど。アサマリンドウらしい葉も見かけた。