ショウジョウバカマ
比婆山は、|道後山《どうごやま》、|帝釈《たいしやく》峡を合わせて、国定公園となっている。奥多摩や秩父のあらあらしい壮年期の谷や、植林による針葉樹の緑を見馴れた眼に、これらの準平原的な草地の多い山々や、浸蝕された石灰岩の露呈した|渓《たに》の眺めは何か物語めいてたのしい。帝釈峡には大猿が出没したとか。比婆山には歴史的な興味がある。道後山の次は比婆山にとあこがれ、願いを果たせたのは数年前の晩秋である。
立山から上高地の山歩き以来の環境庁の沢田栄介さんに案内され、倉敷から入って、吾妻山国民休暇村に泊まった。支配人がワニを食べさせるというのでぞっとしたら、これは『古事記』の大国主と|因幡《いなば》の|素兎《しろうさぎ》の話に出てくるワニ。|鱶《ふか》のことであった。マグロのトロそっくりの味。あくる朝は八時出発。吾妻山の一二四〇メートルにむかって、湧水のある草原がひろがり、十一月なのにまだカワラナデシコもマツムシソウも咲いて、ヤマラッキョウの紫の花がいっぱいあった。春から初夏にかけてはアヤメもササユリも咲くという。レンゲツツジも咲くという。
草紅葉も美しいが、足許一面の草原の緑の中に咲き盛る花々をみたいと思った。
比婆山も、一二四〇メートル。天然記念物のブナの純林の中に、ツガやイチイの大木にかこまれて、イザナミの陵だという古墳がある。その伝承のためにこの山地の自然が原始の姿を保っているのではないかと思った。ツキノワグマも出るという。ブナの実はクマの大好物である。
立烏帽子の一二七九メートルに向かう道は針葉樹が多く、ショウジョウバカマが点々とあり、谷をめぐる道は熊野路の雰囲気と似ている。
いつか滋賀県の湖北町のひとたち大勢と小谷山に、歩いて下から登ったとき、高天ケ原は近江にあり、イザナミはイザナギの皇后で、その陵は彦根市|男鬼《おうり》町のヒバケ谷にあると、同行の中村英男氏からうかがった。今度は、やはり原生林の中にあるという、その陵にいってみたいと思っている。
立山から上高地の山歩き以来の環境庁の沢田栄介さんに案内され、倉敷から入って、吾妻山国民休暇村に泊まった。支配人がワニを食べさせるというのでぞっとしたら、これは『古事記』の大国主と|因幡《いなば》の|素兎《しろうさぎ》の話に出てくるワニ。|鱶《ふか》のことであった。マグロのトロそっくりの味。あくる朝は八時出発。吾妻山の一二四〇メートルにむかって、湧水のある草原がひろがり、十一月なのにまだカワラナデシコもマツムシソウも咲いて、ヤマラッキョウの紫の花がいっぱいあった。春から初夏にかけてはアヤメもササユリも咲くという。レンゲツツジも咲くという。
草紅葉も美しいが、足許一面の草原の緑の中に咲き盛る花々をみたいと思った。
比婆山も、一二四〇メートル。天然記念物のブナの純林の中に、ツガやイチイの大木にかこまれて、イザナミの陵だという古墳がある。その伝承のためにこの山地の自然が原始の姿を保っているのではないかと思った。ツキノワグマも出るという。ブナの実はクマの大好物である。
立烏帽子の一二七九メートルに向かう道は針葉樹が多く、ショウジョウバカマが点々とあり、谷をめぐる道は熊野路の雰囲気と似ている。
いつか滋賀県の湖北町のひとたち大勢と小谷山に、歩いて下から登ったとき、高天ケ原は近江にあり、イザナミはイザナギの皇后で、その陵は彦根市|男鬼《おうり》町のヒバケ谷にあると、同行の中村英男氏からうかがった。今度は、やはり原生林の中にあるという、その陵にいってみたいと思っている。