ドナチアン=アルフォンス=フランソワ・ド・サドは十八世紀、南フランスの名門貴族に生まれました。父はプロヴァンスに広大な領地を有し、母はフランスのブルボン王家にもつながる、そうそうたる名門でした。
金髪で色白のサド少年は皆からちやほやされて育ち、名門ル・グラン校から大貴族の子弟だけが入学できる士官学校にすすみ、十九の年にはもう騎兵隊の大尉に昇進……という、まあ、絵に描いたような名門育ちのおぼっちゃん。家族の期待を一身に背負っていました。ただし当時のサド家は父伯爵が金づかいが荒いため家運はかたむき、サド自身もはやくから女癖が悪いというよからぬ噂《うわさ》をたてられていましたが……。
二十三歳のとき、サドは終身税裁判所長官のモントルイユ氏の娘、ルネと結婚することになりました。サド家のほうは成金貴族である相手の莫大《ばくだい》な資産が目あて。いっぽうモントルイユ家のほうは、この縁談で王家と親戚《しんせき》になれるのが目的でした。ミエっぱりなモントルイユ夫人はこの縁談にもう有頂天。いろいろ入ってくる婿の女あそびの噂にも、「そんなの若いときのハシカみたいなものです」と、理解あるところを見せていました。のちにこの義母が態度を一変。不倶戴天《ふぐたいてん》の敵としてサドの前に立ち塞《ふさ》がることになるのですが……。
一方、新妻のルネは特に美人じゃないけど、控えめだし大人しいし、夫のすることには口を出さない理想の妻タイプ。彼女のほうでは美男で秀才のサドに一目ぼれ。一方サドのほうも、つつましく出しゃばらない彼女が気に入ったようでした。
こうしてモントルイユ家の城で、まずは平和な新婚生活がはじまりました。義母との関係もはじめは円満で、夫人のほうではサドをちょっと軽いが気さくで面白い男だと思い、サドも何でもズケズケものを言って、たちまち遠慮のない仲になりました。夫婦仲もわがままで気のみじかいサドと、おっとりして従順な妻と……、まさに理想的な組みあわせでした。
けれど間もなくサドは、新婚生活のあいまを縫《ぬ》ってパリに通いだし、郊外のヴェルサイユやアルクイユに別宅をかまえるようになります。「なあに、ちょっと仕事に必要なんでね」との言い訳に、ルネもモントルイユ夫人もすっかり騙《だま》されていました。が、それから半年もたたない一七六三年十月、とつぜんサドは、「パリの妾宅《しようたく》でのけた外れな乱行」のかどで牢《ろう》にほうり込まれるのです。
はじめて義母と妻は、彼が結婚の翌日からパリでひそかに娼婦《しようふ》たちと乱行にふけっていた事実を知らされます。家庭ではよき婿でよき夫。ところが一歩外に出ると、恐るべき性的倒錯者……。まるでジキル博士とハイド氏です。その二つの顔をサドは、しばらくは巧みに使い分けていたのです。
娼婦たちの密告でサドが牢獄にぶち込まれると、父伯爵はショックで寝込んでしまいました。ショックを受けたのは、サド自身も同じこと。これまで他人から白い目で見られたことなどない彼が、このときはじめて自分の好む快楽が、社会から罪とよばれるものであることを知ったのです。
父や義母の奔走《ほんそう》で、このときは幸いにも、サドは十五日の拘留ののち自由の身になれました。ちょうど三カ月の身重だった妻のルネは、この騒ぎのショックで流産してしまいました。けれどその苦しみを乗りこえて、ルネは良妻賢母として生きる決意をしていました。この決意は九〇年についにサドと別れるまで変わることなく、彼女は忠実で従順な妻の役をみごとに演じぬいていくのです。