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きれいなお城の怖い話13

时间: 2020-06-30    进入日语论坛
核心提示:悪名がパリ中に 六八年四月三日の朝、パリのヴィクトワール広場に、灰色のフロックコートと白いマフ(手袋)にステッキという出
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悪名がパリ中に

 六八年四月三日の朝、パリのヴィクトワール広場に、灰色のフロックコートと白いマフ(手袋)にステッキという出立《いでた》ちのサドがさっそうと馬車から降りたちました。彼はもの乞いしている若い女乞食に近づいて、実は女中を探しているのだが、うちで働く気はないかともちかけます。女が承知すると、彼は女を馬車にのせ、馬車は牧場の間の道を走って、やがて郊外のアルクイユの町の、サドの別宅のまえでとまりました。
サドは女乞食を一階の小部屋に通しました。そして急に乱暴な口調で彼女に服をぬげと命じたのです。おびえた女がそれでは話が違うというと、「言うことをきかないと殺すぞ」と脅され、無理やり服と下着をはぎとられました。
そしてサドは女をとつぜん長椅子《ながいす》に腹ばいに押したおすと、麻縄で手足を長椅子にくくりつけたのです。脇《わき》にあった鞭《むち》を手にすると、彼はいきなり女を力のかぎり打ちはじめました。女が痛さにかなきり声をあげると、「黙らないと殺すぞ」と短剣を突きつけて脅されます。
女は必死でうめき声をこらえ、なおもサドは皮鞭で彼女の背や尻《しり》をうちつづける。こらえようとしても、うめき声はもれ、女は縄でしばられて自由にならない手や足を必死でもがき続けます。そのうちにサドが息をはずませ、鞭がだんだん激しく早くなると、なんと甲高い叫びをあげて、サドはその場で射精したのです。
拷問は終わり、背も尻も血だらけになった女は、やっと縄をとかれました。恐怖と痛みですすり泣きながら下着を着ようとすると、サドがタオルと水とコニャックの瓶をもってきました。これを傷口に擦り込むと痛みが和らぐというのです。その通りにしても、痛みは激しくなるばかりでした。
サドが姿を消したすきに、女乞食はふと思いついて、ベッド・カバーを二枚結びあわせて丈夫な縄をつくりました。そばにあった短刀で鎧戸《よろいど》のすき間をこじあけて窓をひらき、例のベッド・カバーを窓わくに結びつけて、それをつたって裏庭に滑りおりました。そして女は塀をよじのぼって裏の空き地に抜け、からだの傷がひりひり痛み、やぶれた下着が足にからみつくのもかまわず、泣きながらどんどん歩き続けました。途中で会った村の女がびっくりしてどうしたのかと尋ねるのに、一部始終を話すと、村中が大騒ぎになりました。女は村人の家に保護され、誰かが憲兵隊のところにさっそく走っていったのです。
またたく間に、サドの悪名がパリにひろまりました。女乞食をテーブルに縛りつけ、彼が解剖学者よろしくナイフやハサミを手に、恐怖の叫びをあげる女の肉体を切り刻もうとしたとか。女乞食が通された部屋には、すでにほかの女の死体が二、三個ころがっていたとか……。
のちの年代記作家たちは、中傷や興味本位の噂をもとに、嘘《うそ》八百の伝説をつくりあげ、そのなかでサドを恐ろしい怪物、生体実験家にしてしまったのです。彼が実際にやったことは、それほどたいしたことではなかったのに……?
あの大革命をまえに、貴族への風あたりが強くなっていて、とみに勢力をましていた高等法院が宮廷派貴族にきびしい態度を打ちだそうとしていたことと、彼の事件を担当した刑事部がモントルイユ家の政敵だったことが原因でした。
が、今度もモントルイユ夫人の奔走で、国王による勅命免刑状が発せられ、審理は中止されてしまいました。免刑状とは国王の署名のある司法上の至高命令で、進行中の訴訟のすべてを中断させることができるのです。
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