この事件の直後、サドは義妹のアンヌとともに、イタリアに逃げることになるのです。七二年七月から十月にかけて、ジェノヴァ、ヴェニスを中心にイタリア北部を、二人は夫婦気取りで泊まりあるきます。警察に追われる身なのに、のんきなランデブーといったところ。それにくらべて妻のほうは、警察の注意を引くための囮《おとり》として、ラ・コストに残ったのですから、割りがあわないとはこのこと。だいたいアンヌは、「イタリアとの国境までお兄さまを送っていくわ」と姉をだまして、さっさとサドについて出発してしまったというのですから。ルネにすれば一泡ふかされた思いだったでしょう。アンヌは姉と違って大胆で現代的な女だったらしく、要注意人物だった義兄にかえって好奇心を抱き、自分から積極的にアタックしたといいます。サドのほうもこの溌剌《はつらつ》とした現代娘にどんどん惹《ひ》きつけられていきました。
アンヌとの恋は、サドの一生にとって決定的な事件でした。この軽はずみな恋のおかげで、なんと彼は、十三年ものあいだ、ヴァンセンヌとバスティーユの牢獄に呻吟《しんぎん》するはめになるからです。マルセイユ事件の罪がいかに重かろうと、十三年の拘留とは……、それはないんじゃない?
勅命拘引状で七七年二月、再びサドを牢獄に追いやったのは、なんと義母モントルイユ夫人でした。いままでサドのため、もっぱら事件をもみ消してくれていた彼女が、突如、彼の不倶戴天の敵になったのは、アンヌとの恋が原因でした。二人の不倫が世間の噂になっている限り、アンヌに良縁を見つけることはできない。さっさと娘をいいところに嫁がせるには、一日もはやくこの人騒がせな婿を牢に閉じ込めなければならない。もうこれ以上、彼のおかげで家族の名誉を傷つけられるのはまっぴら。アンヌの結婚の邪魔までされてたまるもんですか!
これはごく普通の常識家であるモントルイユ夫人にすれば、当然の考えでした。
サドが監禁されると同時に、アンヌとの短い恋は終わりました。ふたりのイタリア旅行は、あまりに短かくはかない夢でした。が、サドの心にもアンヌの心にも、失われた恋の甘美な思い出は、消えずに生々しく生きつづけていました。
暗い獄中で、自分の運命を呪《のろ》うとき、アンヌの美しいおもかげが彼の心をよぎるのでした。それこそあまりに短かいサドの青春だったのです。その後、独身のままで一七八一年、天然痘《てんねんとう》にかかってあえなく死んでいくアンヌとの恋は、サドの生涯でもっとも美しい牧歌でした。
アンヌとの恋は、サドの一生にとって決定的な事件でした。この軽はずみな恋のおかげで、なんと彼は、十三年ものあいだ、ヴァンセンヌとバスティーユの牢獄に呻吟《しんぎん》するはめになるからです。マルセイユ事件の罪がいかに重かろうと、十三年の拘留とは……、それはないんじゃない?
勅命拘引状で七七年二月、再びサドを牢獄に追いやったのは、なんと義母モントルイユ夫人でした。いままでサドのため、もっぱら事件をもみ消してくれていた彼女が、突如、彼の不倶戴天の敵になったのは、アンヌとの恋が原因でした。二人の不倫が世間の噂になっている限り、アンヌに良縁を見つけることはできない。さっさと娘をいいところに嫁がせるには、一日もはやくこの人騒がせな婿を牢に閉じ込めなければならない。もうこれ以上、彼のおかげで家族の名誉を傷つけられるのはまっぴら。アンヌの結婚の邪魔までされてたまるもんですか!
これはごく普通の常識家であるモントルイユ夫人にすれば、当然の考えでした。
サドが監禁されると同時に、アンヌとの短い恋は終わりました。ふたりのイタリア旅行は、あまりに短かくはかない夢でした。が、サドの心にもアンヌの心にも、失われた恋の甘美な思い出は、消えずに生々しく生きつづけていました。
暗い獄中で、自分の運命を呪《のろ》うとき、アンヌの美しいおもかげが彼の心をよぎるのでした。それこそあまりに短かいサドの青春だったのです。その後、独身のままで一七八一年、天然痘《てんねんとう》にかかってあえなく死んでいくアンヌとの恋は、サドの生涯でもっとも美しい牧歌でした。