サドの妻あての手紙には、時々ひどくエロティックな言い回しが出てきます。「お前の尻にキスするよ。お袋さんには言うなよ。彼女にいわせりゃ、ご亭主は『繁殖のツボ』以外には突っこまなかったし、それ以外のことをすりゃ皆、地獄行きなんだそうだからな。だが、お前のむっちむちの部分は手ざわりもいい。『背離』のなかはせまいし、『直腸』のなかはあったかい。だからオレはお前とはぴったりくるんだよな」
これは彼の妻とのアナル・セックスをほのめかしたものですが、こんなエッチな手紙をたのしげに書いているところを見ると、彼らの夫婦生活は、相当進んだものだったかも?
根拠のない不貞をでっちあげて自分の嫉妬をかきたて、妻を責めぬいては、勝手にカンジテいたのかもね? これはいまでも倦怠期《けんたいき》の夫婦がよくやることではないかしら? たとえば奥さんが夫とセックスしながら、美男俳優の顔を思い浮かべたり、夫のほうでも昼間会社で会うカワイコちゃんのセクシーな腰を思い浮かべたりする。そんな初歩的なものから、昼間パートに出てる妻の浮気をあれこれ詮索して、あらぬ嫉妬をしてねちねち妻をイジメる夫も……。
要するに、のぞき見趣味の心理です。疑いながらも、心のどこかにだまされたいという甘い欲望がある。信じてもいない浮気の情景を頭にえがいては、エロティックに興奮する……。サドは言います。「夢のなかのお前は本当の年よりふけていて、何かわたしに言えない秘密を持っていて、母の言うなりになっていつも私を裏切っている。そんな夢をもう何百回見ただろうか……?」そして妻も彼とぴったり呼吸をあわせ、夫に責められてうろたえる、貞淑な妻の役割を演じぬく……。
これは彼の妻とのアナル・セックスをほのめかしたものですが、こんなエッチな手紙をたのしげに書いているところを見ると、彼らの夫婦生活は、相当進んだものだったかも?
根拠のない不貞をでっちあげて自分の嫉妬をかきたて、妻を責めぬいては、勝手にカンジテいたのかもね? これはいまでも倦怠期《けんたいき》の夫婦がよくやることではないかしら? たとえば奥さんが夫とセックスしながら、美男俳優の顔を思い浮かべたり、夫のほうでも昼間会社で会うカワイコちゃんのセクシーな腰を思い浮かべたりする。そんな初歩的なものから、昼間パートに出てる妻の浮気をあれこれ詮索して、あらぬ嫉妬をしてねちねち妻をイジメる夫も……。
要するに、のぞき見趣味の心理です。疑いながらも、心のどこかにだまされたいという甘い欲望がある。信じてもいない浮気の情景を頭にえがいては、エロティックに興奮する……。サドは言います。「夢のなかのお前は本当の年よりふけていて、何かわたしに言えない秘密を持っていて、母の言うなりになっていつも私を裏切っている。そんな夢をもう何百回見ただろうか……?」そして妻も彼とぴったり呼吸をあわせ、夫に責められてうろたえる、貞淑な妻の役割を演じぬく……。
けれどサドはいつまでも、こんなS・Mゲームに興じていたわけではありません。しだいに彼は、何の楽しみもない獄中生活で、自分を唯一熱中させてくれる、書くことの喜びを発見していくのです。
「イメージの向くまま書くときが、不幸が慰められる唯一のときだ」とサドはあるとき書いています。このころ彼はすでにエロティックな空想を頭のなかで駆けめぐらせ、ひそかに執筆計画もたてていました。四年になろうとしている牢獄生活のあいだに読んだ本の量も厖大《ぼうだい》で、この知識と空想の集積が、彼の頭のなかで独自の作品に昇華され、せきを切ってあふれだすのも遠いことではないでしょう。
肉体の故障や孤独にもめげず、次第に落ち着きを取りもどしていたサドは、自分を客観的にみつめ、腰をすえて書き出せるようになりました。何度かの挫折《ざせつ》もとおりすぎ、ようやく彼は作家として生きることを決意するようになったのです。汚辱と苦悩の底をつらぬいて流れでる作家としての熾烈《しれつ》な決意が、そのころの彼の手紙には感じられます。
「私の考え方は私の存在や体質と切りはなせない関係にあるので、それを変えようとは思わない。人が非難するこの考え方こそ、私の人生の唯一の慰めで、私の牢獄での苦悩をやわらげ、私の快楽いっさいを形作っているもので、私にとっては人生以上に大切なものだ。自分の道徳や趣味を捨て去れば自由にしてやると言われても、そんなことをしようとは思わない。私の道徳や趣味は、私のなかで狂信的なほどに成長してしまったのだ!」
「イメージの向くまま書くときが、不幸が慰められる唯一のときだ」とサドはあるとき書いています。このころ彼はすでにエロティックな空想を頭のなかで駆けめぐらせ、ひそかに執筆計画もたてていました。四年になろうとしている牢獄生活のあいだに読んだ本の量も厖大《ぼうだい》で、この知識と空想の集積が、彼の頭のなかで独自の作品に昇華され、せきを切ってあふれだすのも遠いことではないでしょう。
肉体の故障や孤独にもめげず、次第に落ち着きを取りもどしていたサドは、自分を客観的にみつめ、腰をすえて書き出せるようになりました。何度かの挫折《ざせつ》もとおりすぎ、ようやく彼は作家として生きることを決意するようになったのです。汚辱と苦悩の底をつらぬいて流れでる作家としての熾烈《しれつ》な決意が、そのころの彼の手紙には感じられます。
「私の考え方は私の存在や体質と切りはなせない関係にあるので、それを変えようとは思わない。人が非難するこの考え方こそ、私の人生の唯一の慰めで、私の牢獄での苦悩をやわらげ、私の快楽いっさいを形作っているもので、私にとっては人生以上に大切なものだ。自分の道徳や趣味を捨て去れば自由にしてやると言われても、そんなことをしようとは思わない。私の道徳や趣味は、私のなかで狂信的なほどに成長してしまったのだ!」