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きれいなお城の怖い話29

时间: 2020-06-30    进入日语论坛
核心提示:裁判官への挑戦ベアトリーチェの挑戦を、裁判官は受けて立つことになりました。ドラマチックな場面がはじまります。ベアトリーチ
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裁判官への挑戦

ベアトリーチェの挑戦を、裁判官は受けて立つことになりました。ドラマチックな場面がはじまります。ベアトリーチェは兄弟や継母と対面させられたばかりか、彼らが拷問を受けるところにも立ち会わされることになります。
最初に連れてこられたのが兄ジャーコモで、彼はベアトリーチェの前で縄にかけられ、宙に吊りさげられました。ジャーコモは悲痛な声で妹に助けてくれと叫びましたが、ベアトリーチェは冷静な声で、「兄の言うことはみな、事実無根です。兄はきっと悪魔にとりつかれてしまったに違いありません」と言い放つだけでした。
つぎには髪をふりみだし、目のまわりを老婆のようにくぼませたルクレツィアが、引きだされます。彼女はふたたび縄で吊るされ、泣き叫びながら、これまで述べたことはみな本当だと誓います。けれど今度も、ベアトリーチェの返事は冷淡なものでした。
「あの女は口から出まかせを言っているだけです。継母ですから、このわたしをこころよく思っていないのですわ。きっとわたしが死ねばいいと思っているのでしょう」
これを聞くとルクレツィアは取り乱して、激しく身をくねらせ、縄で吊るされたままグッタリしてしまい、大急ぎで降ろされて、獄所に運んでいかれました。
 すべてが終わったあと、ベアトリーチェと裁判官はしばらく黙って見つめあいました。何気なさを必死で装いながらも、ベアトリーチェはいらいらと指をよじりあわせ、冷汗が額を濡《ぬ》らしていました。もう四時間も法廷に立たされて、極度の緊張にさらされているのですから、無理もありません。
それでもなお、ベアトリーチェは勇敢に、ジャーコモらの白状はみな嘘っぱちだ、単に拷問で無理に言わせられたに過ぎないと主張するのでした。
彼女の強情さにほとんど感嘆した裁判官は、とことん彼女の挑戦を受けることにしました。なんと、それまでまだ若すぎるというので手をつけないでいた、弟のベルナルドまで拷問させることにしたのです。
ベルナルドはそこに引きだされ、縄で吊りさげられると、悲痛な声をあげ、身悶《みもだ》えしました。「はなして、はなして、お願いです。死んでしまいます!」
ベアトリーチェの表情に、目にみえて動揺が走りました。ベアトリーチェは顔をそむけ、必死に手で耳をふさごうとしました。多分その胸には弟のいたましい悲鳴が、針のように突きささっていたのでしょう。
「降ろして、お願い、僕は本当のことを言った。お願いです。降ろして!」
それでもなお、ベアトリーチェはほとんど死人のような真っ青な顔で言い張るのでした。
「みんな、嘘です。誰も父を殺してはおりません」
夕暮れ近くなって、ついにベアトリーチェ自身に拷問の命が下りました。ベアトリーチェは両手を背中で縛られ、兄や弟がされたと同じように、宙に吊るしあげられました。腕の骨が関節のところで突出し、胸は苦しそうにあえぎはじめ、ベアトリーチェは叫びました。「ああ! 聖母マリア、わたしを助けたまえ! 降ろして! 何もかもお話しします!」
ベアトリーチェの屈伏があまりに早いことに、意外に思われたかも知れません。本当のところ彼女は、ベルナルドが拷問されたとき、すでに自白を決意していたのです。ただ二つの誇り高い理由が、これまで彼女を持ち堪《こた》えさせてきました。一つはチェンチ家のなかで、自分だけが拷問を免れるのを潔しとしなかったこと、もう一つは自分が屈したのは決して拷問のためではないことを、そばの人々、とくに裁判官に示したかったのです。
もはや一切の抵抗は無駄だと、ベアトリーチェは観念しました。すでに共犯者の自白と証拠は、十分すぎるほどに出揃《でそろ》っていました。けれど縄から降ろされ、ぐったりとした瞬間も、ベアトリーチェは毅然《きぜん》とした態度を失いませんでした。彼女の証言はもっぱら一切の責任を、もうその結果に苦しむことのない亡きオリンピオに負わせようとするものでした。
「わたしどもがペトレッラの城塞にいたとき、オリンピオがわたしとルクレツィア殿に、父を殺したほうがいいと説得しはじめたのです。わたしがそんなことをすれば縛り首になると言ったら、心配するな、自分が殺してやろうと言いました。ルクレツィア殿もわたしも城塞に閉じこめられ、鞭で叩かれたりひどい目にあっていましたので、ついオリンピオの誘いに乗ってしまったのです」
 ジャーコモ、ルクレツィア、ベアトリーチェには死刑の判決が下りましたが、無数の陳情が、時の法王クレメンテ八世のもとに殺到しました。とくにベアトリーチェへの憐《あわ》れみを訴えるものが、多数でした。けれどこれらの陳情にもかかわらず、ベアトリーチェらの死刑は確定しました。クレメンテ八世が特赦を与えなかったのは、チェンチ一族を根絶して、その莫大な資産を没収する魂胆があったからだと、もっぱら噂されました。
処刑の日が近づくと、ベアトリーチェはさまざまな教会や慈善施設への寄付を記した遺言状をしたためています。その最後で、彼女は、「ある不幸な少年」のため、五百スクードの金をサンティス夫人なる女性に委託するむねを記しています。
その金の利子で少年を養育すること、もしサンティス夫人が少年より早く世を去ることがあれば、他の誰かに同じ条件でその金を委託すること、もし少年がサンティス夫人より早く世を去ることがあれば、その金はサンティス夫人のものになること……この遺言状はさらに半月後、いよいよ処刑日が迫ってきたとき、全面的に書き改められました。それも単に、「ある不幸な少年」への養育費を、五百から八百スクードに値上げするためにだけ……。
歴史家たちは、このある不幸な少年[#「ある不幸な少年」に傍点]とは、ベアトリーチェがオリンピオとのあいだに産んだ子供だと仮定しています。死にのぞんで八百スクードの金をその子に残したベアトリーチェの行動は、わが子を思う母の、切ない心ではなかったかというのです。もっともこれは、すべて謎《なぞ》のままです。
いよいよ処刑の当日、ベアトリーチェの処刑のまえに、義母のルクレツィアがまず首を斬られ、その後、兄のジャーコモが熱したやっとこで背中や脚を焼かれ、鉄槌《てつつい》で頭を砕かれ、からだを八つ裂きにされて、処刑台の鉤《かぎ》に肉屋の肉のように吊《つ》るされました。
自分の番になると、ベアトリーチェは足早に断頭台に駆け上がり、自分から勇敢に首を斧《おの》の下に差し出したといいます。斧の一ふりのもとに切断された彼女の首を、死刑執行人は高々とかかげて、公衆にさらしました。
十八歳の弟ベルナルドは辛《かろ》うじて死を免《まぬが》れましたが、そのかわり処刑台のうえで、兄や姉たちの残酷な死にざまを、何度も気を失いかけながら、見守らなければなりませんでした……。
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