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きれいなお城の怖い話31

时间: 2020-06-30    进入日语论坛
核心提示:祖父に育てられるブルターニュ地方の大貴族の家にうまれたジル・ド・レは、幼いころから一流の家庭教師に教育をほどこされ、文学
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祖父に育てられる

ブルターニュ地方の大貴族の家にうまれたジル・ド・レは、幼いころから一流の家庭教師に教育をほどこされ、文学や芸術にも造詣《ぞうけい》が深い、最高の教養人のひとりでした。頭も切れて礼儀正しく、優雅なラテン語を話し、たくみに楽器を演奏し、絵もうまくて蔵書のエナメル装丁を自分の手でやってのけるほどでした。
ジルは十一のとき、わずか一年のあいだに両親をつぎつぎと病気で失いました。父が遺言でそれを禁じていたにもかかわらず、祖父のジャン・ド・クランが、彼と弟のルネを引きとって育てることになりました。この祖父はとても野蛮で常識はずれの人だったようで、その性格をよく知っていた父は、子供たちにその影響を与えたくないと思い、祖父に子供たちを預けたがらなかったのでしょう。
案の定、祖父は孫たちを引きとったのはいいが、やたらと甘やかすだけで教育らしい教育もほどこさず、いつも孫たちの言いなりだったといいます。ジル自身、祖父に引きとられてからは、誰にも干渉されず好き勝手な毎日をおくるようになったと、語っています。
祖父は自分の王国を築きあげることを夢みて、つぎつぎと領地を広げようとしていましたが、その年、一人息子(ジルの父)や娘婿や娘がたてつづけに死んだことで、すっかりショックを受けていました。なんだか自分の家系が死神に取りつかれているような気がして、なおさらふたりの孫を自分の手からはなれないようにと甘やかし、過保護にしてしまったのだろうと思われます。ジルが幼くして両親を失ったことや、祖父に育てられたことが、彼の後年の「罪」に悪影響を与えたことは想像できます。
当時の貴族の子弟の教育はとても厳格なものでした。三十ポンドの鎖かたびらを身につけ、十一ポンドの丸兜《まるかぶと》をかぶり、鎧《よろい》の腕あてや肩あてや脚あてで動きがとれないほど身を固めて馬にのらねばなりませんでした。それに金属の籠手《こて》をはめた手で十一ポンド以上の武器を操ったり馬の手綱をひいたり、十二フィートもある木の楯《たて》や、剣や棍棒《こんぼう》やオノまで持たねばなりませんでした。が、これらの訓練にも、ジルは雄々しく耐えぬきました。彼は大柄でガッシリした体格の、前途有望な青年でした。貴族の子弟にとって最高の出世街道である、軍人への道を着々と進み、雄々しくたくましく育っていました。
ジルが幼いとき、野心的な祖父は二度ほど彼を地方の名家の娘と婚約させましたが、なぜかそのどれも途中で破棄し、この度ジルは三度目の婚約をむすぶことになりました。祖父も今度は乗り気になっているようでした。相手の家系はいずれジルが相続する領地の隣の広大な領地の持主で、ティフォージュ、プソージュ、コンフォランその他の、豊かな領地をふくんでいました。
いずれそれは、ジルの婚約者であるカトリーヌ・ド・トゥアールの手に入ることになるので、祖父はその領地とジル・ド・レの領地の合併を考えていたのです。しかし、この結婚にはカトリーヌとジルが遠縁だという差しさわりがあり、結婚するには法王に結婚許可をお願いしたり、莫大《ばくだい》な金と時間が必要でした。
そこで気の短かい祖父は、一四二〇年十一月二十二日、なんと理不尽にも武装した兵士たちをしたがえて花嫁の城におもむき、花嫁の父が旅行に出かけて留守なのをいいことに花嫁を無理やりかっ攫《さら》って自分の城につれかえったのです。そしてさらってきたその日に、まだ十七歳の少女に、祖父はジルとの床入りを強制したのです。娘が汚され市場価値を失ってしまった以上、花嫁側の両親も、あとは一刻も早く結婚させるより他はありませんでした。
こうして十一月三十日、金で買収した司祭の立会いのもとに、この世紀の「掠奪《りやくだつ》結婚」は行われました。
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