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きれいなお城の怖い話42

时间: 2020-07-08    进入日语论坛
核心提示:「串刺し公」そもそもドラキュラの父ヴラド二世も残虐な男として、国民から恐れられていました。父はトルコ軍と勇敢に戦った功績
(单词翻译:双击或拖选)
「串刺し公」

そもそもドラキュラの父ヴラド二世も残虐な男として、国民から恐れられていました。父はトルコ軍と勇敢に戦った功績で、当時の神聖ローマ皇帝からドラゴン勲章を授かり、トランシルヴァニアの二地方の領主に封じられるという栄誉を与えられていました。
ドラゴンには「龍の騎士」という意味と、「悪魔」という意味があります。息子であるヴラドのあだなドラキュラとは、「小ドラゴン」のことですが、彼の場合は「龍の子」というより「悪魔の子」と訳したほうがふさわしいようですね? そして彼のヴラド・ツェペシュのツェペシュとは「串刺し公」のことなのです。どちらも彼の残虐性にはピッタリで、作家ストーカーが吸血鬼のモデルに選んだのもうなずけます。
「串刺し刑」は当時、ごく普通に行われていた処刑法ですが、ドラキュラはなによりこれがお気に入りでした。普通は両足をそれぞれ馬にくくりつけて、少しずつ股《また》を裂きながら棒に刺していくのですが、ドラキュラは棒の先を丸くして、犠牲者の断末魔の苦しみができるだけ長びくよう苦心したといいます。また、杭《くい》への刺しかたも、ときには体を宙づりにして上から刺したり、手足をむしりとってから刺したりもしました。
一四五九年四月、トランシルヴァニア山麓《さんろく》のブラショブの町で、ドラキュラが貴族たちを集めて宴会を開いたとき、なんと悪趣味にも屋外の会場には、串刺しになった死体が何百も並んでいたのです。ドラキュラにしてみれば、ほんの座興ぐらいの軽い気持ちでした。が、貴族たちのある者がたちこめる腐臭に思わず顔をしかめたのを、彼は目ざとく見つけてしまったのです。彼はすかさずその貴族を捕えて串刺しにして言ったといいます。「どうだ、もう臭くはなくなったろう!」
またあるときは、首都チルゴビシテのドラキュラの宮殿に、トルコ王の使節団が訪れました。君主のまえに通されるときはかぶり物を脱ぐのが礼儀なのですが、使節たちはイスラムの教えにそむくことになると、それをしませんでした。するとドラキュラは、「そんなにターバンを脱ぎたくないなら、一生脱がなくていいようにしてやろう」と、彼らの体を左右から動けないようにしておいて、ターバンを頭に釘《くぎ》で打ちつけてしまったといいます。
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