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きれいなお城の怖い話43

时间: 2020-07-08    进入日语论坛
核心提示:厳しい性格当時のワラキアは中央集権国家ではなく、貴族たちが次々と頭をもたげ、君主の地位をおびやかしていたのです。ドラキュ
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厳しい性格

当時のワラキアは中央集権国家ではなく、貴族たちが次々と頭をもたげ、君主の地位をおびやかしていたのです。ドラキュラ自身も数回、王位を追われているし、彼の父や兄も裏切り者に殺されています。ドラキュラにとっての急務は、中央集権の強化でした。
一四五六年のある日、チルゴビシテ宮殿にワラキア中の数千の貴族や高位聖職者たちが集められました。そのなかには、ドラキュラの父や兄の暗殺に参加した人間たちもまじっていました。四方山話《よもやまばなし》のあいだにドラキュラはさりげなく、「これまで何人の主君に仕えたことがおありかな?」と、彼らに尋ねたのです。
酒がまわって口が軽くなっていた貴族たちは、にやりとして答えました。「さよう。八人でしょうか」「いやいや、私なんか三十人は下りませんよ……」
彼らは腹のなかで、ドラキュラの権力もいつまでも保《も》つまいと、ひそかにあざ笑っていたのです。もっとも少ない者でも八人の主君に仕えていました。それが乱世というものかも知れませんが、ドラキュラは彼らの過去を許しておく気はありませんでした。
自分の権力を見せつけるつもりか、彼らの傲慢《ごうまん》さを腹にすえかねてか、彼は、ただちに十人以上の主君に仕えたことのある貴族をすべて捕えて、串刺しにしてしまいました。「国の力を弱めたのは、地方貴族であるお前たちの恥しらずな陰謀と反目のせいだ」これが彼の言い分でした。処刑者の数は五百をこえたといいます。父や兄の仇討《あだうち》という目的もありましたが、一方で裏切りを許さないドラキュラの厳しい性格のせいでもありました。
かつてドラキュラが築き、トルコ軍襲撃の拠点となった山頂のポイエナリー城に行くには、千四百段の石段をのぼらねばなりません。ここを築くときドラキュラは、自分の父と兄を殺した貴族やその家族たちを、宴《うたげ》のさ中に襲ってパーティ服姿のまま誘拐してきて、ここで働かせたといいます。水もパンも与えられず、長い石段を毎日、重い石材をかかえて上り降りさせられた彼らは、たちまち過労と飢えで死んでしまいました。
ドラキュラは国民に、異常なまでに厳格なモラルを課しました。おきてをやぶった者への彼の罰のきびしさは、普通ではありませんでした。不倫した人妻は子宮を裂かれ生皮をはがれて戸外にさらされ、親にそむいた娘は乳房をえぐりとられ、ふしだらな未亡人は真っ赤に焼いた鉄の串で子宮を突きさされました。不実な妻の乳房をむしりとり、それを食べることを夫に強いたこともありました。
ドラキュラの最初の妻はワラキア貴族の娘でしたが、結婚生活はうまくいかなかったようです。彼女は不倫を見つかって虐殺されたとも、近づくトルコ軍を恐れて川に身をなげたともいいます。結婚生活に恵まれなかったドラキュラは、夜な夜な仮面をかぶっては町の通りを歩きまわり、通りすがりの女を襲っては情欲のえじきにしたといいます。
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