事件のもう一人の主役となるジャンヌ・デ・ザンジュは、二年前に創立されたばかりの、この街のウルスラ会修道院の院長で、まだ二十二歳の若さでした。この地方屈指の名門、コーズ男爵の娘として生まれ、幼いときの事故で肩と腰が少しねじれているほかは、ブロンドとつぶらな瞳《ひとみ》のかなりの美人でした。
この町では十七世紀、カトリックとプロテスタントの争いがひときわ激しく繰りひろげられ、新教徒が街を占領してはカトリックが奪いかえす、それをまた新教徒が奪いとるという具合でした。『ナントの勅令』(一五九八年)で一応平和がもどりましたが、その後は新教徒のほうが優勢になり、それだけになおさら少数派のカトリックは、勝利への使命感に燃えるのでした。新しいウルスラ会修道院が設立されると、そこの修道女たちは重要な任務を課せられました。新修道院に町の上流家庭の娘たちを勧誘することです。
そんな狂熱的な空気のなかで、この事件は起こったのでした。
当時の修道院の生活は単調で退屈なもので、修道女たちは何の気晴らしもない、欲望を抑圧された生活を送っていました。その結果、女ざかりを持てあました彼女たちは、夜ごと異様な幽霊に悩まされることになったのです。
ルーダンは人口一万四千でしたが、その年(一六三二年)のペストの大流行で、わずか二カ月のあいだに三千七百人の人間が死にました。当時ペストは神の天罰と考えられ、いったんこの病気に街が襲われると、人々はそこを逃げ出すか、諦《あきら》めて死を待つほかはなかったのです。通りにはバタバタと倒れて死んでいく者があふれ、その数の多さに葬式も間に合わないほどで、町には目に見えない恐怖がはびこっていました。
そんなときウルスラ会修道院の尼僧たちは、恐ろしい幽霊を見たのです。あるときは黒い玉のようなものが部屋を飛んだり、あるときは一人の男の後ろ姿が現れました。誰も触らないのに突然ものが壊れたり、姿は見えないのに誰かの呼ぶ声が聞こえたり、とつぜん拳骨《げんこつ》や平手打ちを食らわされることもありました。
この町では十七世紀、カトリックとプロテスタントの争いがひときわ激しく繰りひろげられ、新教徒が街を占領してはカトリックが奪いかえす、それをまた新教徒が奪いとるという具合でした。『ナントの勅令』(一五九八年)で一応平和がもどりましたが、その後は新教徒のほうが優勢になり、それだけになおさら少数派のカトリックは、勝利への使命感に燃えるのでした。新しいウルスラ会修道院が設立されると、そこの修道女たちは重要な任務を課せられました。新修道院に町の上流家庭の娘たちを勧誘することです。
そんな狂熱的な空気のなかで、この事件は起こったのでした。
当時の修道院の生活は単調で退屈なもので、修道女たちは何の気晴らしもない、欲望を抑圧された生活を送っていました。その結果、女ざかりを持てあました彼女たちは、夜ごと異様な幽霊に悩まされることになったのです。
ルーダンは人口一万四千でしたが、その年(一六三二年)のペストの大流行で、わずか二カ月のあいだに三千七百人の人間が死にました。当時ペストは神の天罰と考えられ、いったんこの病気に街が襲われると、人々はそこを逃げ出すか、諦《あきら》めて死を待つほかはなかったのです。通りにはバタバタと倒れて死んでいく者があふれ、その数の多さに葬式も間に合わないほどで、町には目に見えない恐怖がはびこっていました。
そんなときウルスラ会修道院の尼僧たちは、恐ろしい幽霊を見たのです。あるときは黒い玉のようなものが部屋を飛んだり、あるときは一人の男の後ろ姿が現れました。誰も触らないのに突然ものが壊れたり、姿は見えないのに誰かの呼ぶ声が聞こえたり、とつぜん拳骨《げんこつ》や平手打ちを食らわされることもありました。
やがて尼僧たちは、毎夜、美男の幽霊が修道院にやってくると思いこむようになりました。しかもその幽霊は誰あろう、町で評判の美男司祭グランディエだというのです。といっても彼女たちは、グランディエに一度も会ったことはありません。ただこの司祭の芳《かんば》しくない噂《うわさ》について、いろいろ聞いていたことは事実です。欲求不満の彼女たちのなかに、グランディエという人物が異様な存在感で居すわり、いつのまにか彼女たちの見た幽霊とグランディエ司祭の姿が、想像のなかで一つになってしまったのではないでしょうか。
困ったことに真っ先にそれに染まってしまったのが、修道院長のジャンヌだったのです。もともと色情狂の気《け》のある彼女は、一度も会ったことのないグランディエ司祭に、なんと身も心も燃やしつくす、大恋愛をしてしまったのでした……。
困ったことに真っ先にそれに染まってしまったのが、修道院長のジャンヌだったのです。もともと色情狂の気《け》のある彼女は、一度も会ったことのないグランディエ司祭に、なんと身も心も燃やしつくす、大恋愛をしてしまったのでした……。