グランディエ処刑から間もなく、死刑執行者ラクタティウス神父、悪魔祓いの提唱者トランキーユ神父、悪魔祓いの助手バレ神父などの身に、つぎつぎ異変が起こったといいます。
ラクタティウス神父はその月のうちに、「許してくれ、グランディエ、私のせいじゃないんだ!」と叫びながら狂死しました。トランキーユ神父も五年後に狂死し、針刺しを行なったマヌーリ博士は、自分の嘘八百の判定に良心をさいなまれ、精神錯乱を起こして死にました。バレ神父は別の悪魔つき事件にかかわって、一六四〇年にフランスから追放されたといいます。
一方、ジャンヌの性的妄想の相手は、悪魔祓いの僧侶《そうりよ》たちから、果ては聖者やキリストにまで及んでいきました。彼女は両腕に聖痕《せいこん》をつけ、ついに自分がキリストの腕のなかで道ならぬ快楽に浸ったと言いだすのでした。
やがて集まった野次馬にかこまれ、ジャンヌを先頭に異様な姿でとびはねていく修道女らのあとには、無数の妊婦らがつき従うようになりました。ジャンヌの御利益《ごりやく》にあずかろうというのです。
ジャンヌが身につけていたものは奇蹟的な治療効果があると言われ、宰相リシュリューは痔《じ》をなおすために彼女の汚れた下着を身につけ、王妃アンヌは安産のお守りとしてそれをおなかに巻きました。いまやジャンヌは忌まわしい悪魔つきの修道女ではなく、奇蹟の治療医として人々から崇《あが》められるようになったのです。
その後ジャンヌは一六六五年まで生きて、全身不随、大小便垂れながしの、無残な最期を遂げました。宰相リシュリューからの援助金もとっくに来なくなっていたので、修道女たちは観光客相手の見世物となって、わずかばかりの資をかせいでいたといいます。