この殺害未遂事件後、ラスネールがついに逃亡先のディジョンで逮捕されたのは、翌年の二月になってからでした。
パリ警視庁の鬼刑事カンレールは、これら二つの事件の犯人を突きとめようと、日夜、必死の捜査を続けていました。そんなときディジョンで、偽造手形を行使しようとしていたラスネールが、網にひっかかったのです。
このときは手形偽造の別件逮捕でしたが、たまたま監獄にいた二人の相棒がカンレールの誘導|訊問《じんもん》にのせられ、ラスネールの前科と人相を喋《しやべ》ってしまったのです。捜査をすすめると、すでに牢《ろう》に入っている手形偽造の犯人がその人相にそっくりだと分かりました。たちまちラスネールは手形偽造ならぬ殺人犯として、そのほうの管轄に身柄を移されたのでした。
彼は相棒の裏切りに真っ赤になって怒りまくりました。それからは二人を死への道連れにしてやろうと、それまで否認していた悪事を、すすんで一部始終ブチマケてしまったのです。
各新聞はこの事件を大きい見出しでセンセーショナルに書きたて、犯人の生い立ちやその作品などを掲載しました。たちまちラスネールはパリ中の人気者に……。
さあ、それからが大変な騒ぎでした。監獄のラスネールの部屋に、ジャーナリストや作家や貴族や、パリの上流の人々が押すな押すなで詰めかけたのです。彼の部屋はまるで人気スターなみになり、警官は必死の思いで後から詰めかける客を整理したといいます。しまいに面会人は番をとるのに前もって予約せねばならないことになり、一度に沢山通せるように、監獄の壁が三方くり抜かれたとさえ言います。
彼を食いいるように見つめる面会人たちに囲まれて、ラスネールは乱れとぶ彼らの質問に答えて、自分の作品のことや犯した犯罪のことなどを、静かに語りました。ふだんはごく穏やかで落ち着いていますが、ときどきその薄い唇から、ピリッと切れ味のいい皮肉がこぼれるのでした。
面会人たちは、今をときめく文豪デュマでも前にしているかのようにクソ真面目《まじめ》な顔で耳をすまし、女たちは彼のさわやかな弁舌とダンディな美貌にうっとりするのでした。
とあるファンが、戯曲を書く気はないかと聞けば、「材料はいっぱいあるんですが、なんせ時間がなくて……」と答え、とある神父さんが毎日監獄に彼を訪ねて何とか改心させようとしても、彼はそのたびに、「私は神は信じません」と、ケンもホロロに答えるだけだったといいます。
彼を食いいるように見つめる面会人たちに囲まれて、ラスネールは乱れとぶ彼らの質問に答えて、自分の作品のことや犯した犯罪のことなどを、静かに語りました。ふだんはごく穏やかで落ち着いていますが、ときどきその薄い唇から、ピリッと切れ味のいい皮肉がこぼれるのでした。
面会人たちは、今をときめく文豪デュマでも前にしているかのようにクソ真面目《まじめ》な顔で耳をすまし、女たちは彼のさわやかな弁舌とダンディな美貌にうっとりするのでした。
とあるファンが、戯曲を書く気はないかと聞けば、「材料はいっぱいあるんですが、なんせ時間がなくて……」と答え、とある神父さんが毎日監獄に彼を訪ねて何とか改心させようとしても、彼はそのたびに、「私は神は信じません」と、ケンもホロロに答えるだけだったといいます。
いよいよラスネールの裁判が、一八三五年十一月十二日から開始しました。ここでも毎回傍聴人が外まであふれ、彼が現れると場内はドッとわいて、裁判長は騒ぎをしずめるのに一苦労したといいます。
このときも彼の落ち着きぶりとトボケぶりは相当のもので、相棒らの証言をかたっぱしから引っくり返したり、時々人を食った茶々を入れたり、ときにはさも愉快そうに、鼻先でせせら笑ったりしました。
自分の犯した罪を弁護するどころか、早く死刑になるのを待ち望んでさえいるようでした。「許してくれなんて頼みません。命なんかどうでもいいんです。この世に執着なんかもうありません。ずっと前から、私は死の世界に生きてきたのです。今さら命を助けてくれなんて、言うつもりはありません!」
判決はもちろん、三人とも死刑でした。ラスネールには本望だったことでしょう。
その後彼が移されたパリ裁判所の牢獄にも、やはり物好きな野次馬たちが、ひっきりなしに押しかけました。有名な骨相学者が、彼のデス・マスクを今のうちに作って研究資料にしようとしましたが、ラスネールはこれを丁寧に断り、のちに『回想録』のなかで、さんざん相手を笑いものにしています。
このころから彼は、夜も寝ないで好きな詩を作るとともに、自分の生涯を書き残すことに熱中しだしたのです。
死刑の執行は、事件から一年あまりたった三六年一月九日でした。凍るような朝、暗いうちからアヴリルとともに大八車で刑場に運ばれながら、ラスネールは生涯最後の冗談をとばしました。「墓穴の土は冷てえだろうな」それに相棒も「ミンクでも着せてうめてくれって頼んでみたら?」
暗い寒々とした死刑場で、まずアヴリルが首をきられ、つぎにラスネールの番になりました。彼は落ち着きはらって自分から首を差しだしましたが、奇妙にもギロチンの刃が途中で引っかかって落ちてきません。五度もやりなおして、六度目にやっと首が落とされたといいます。享年三十六歳の幸薄い生涯でした。
このときも彼の落ち着きぶりとトボケぶりは相当のもので、相棒らの証言をかたっぱしから引っくり返したり、時々人を食った茶々を入れたり、ときにはさも愉快そうに、鼻先でせせら笑ったりしました。
自分の犯した罪を弁護するどころか、早く死刑になるのを待ち望んでさえいるようでした。「許してくれなんて頼みません。命なんかどうでもいいんです。この世に執着なんかもうありません。ずっと前から、私は死の世界に生きてきたのです。今さら命を助けてくれなんて、言うつもりはありません!」
判決はもちろん、三人とも死刑でした。ラスネールには本望だったことでしょう。
その後彼が移されたパリ裁判所の牢獄にも、やはり物好きな野次馬たちが、ひっきりなしに押しかけました。有名な骨相学者が、彼のデス・マスクを今のうちに作って研究資料にしようとしましたが、ラスネールはこれを丁寧に断り、のちに『回想録』のなかで、さんざん相手を笑いものにしています。
このころから彼は、夜も寝ないで好きな詩を作るとともに、自分の生涯を書き残すことに熱中しだしたのです。
死刑の執行は、事件から一年あまりたった三六年一月九日でした。凍るような朝、暗いうちからアヴリルとともに大八車で刑場に運ばれながら、ラスネールは生涯最後の冗談をとばしました。「墓穴の土は冷てえだろうな」それに相棒も「ミンクでも着せてうめてくれって頼んでみたら?」
暗い寒々とした死刑場で、まずアヴリルが首をきられ、つぎにラスネールの番になりました。彼は落ち着きはらって自分から首を差しだしましたが、奇妙にもギロチンの刃が途中で引っかかって落ちてきません。五度もやりなおして、六度目にやっと首が落とされたといいます。享年三十六歳の幸薄い生涯でした。