最初の殺人はイタリアのヴェロナで起きました。同じ宿に滞在していたスイス人の知人が彼あての手紙をうっかり開けてしまい、その内容を警察にタレこんだのです。怒ったラスネールはそしらぬ顔で相手を誘って人気《ひとけ》のない山中に連れこむと、「裏切り者」と相手を責め、「ここにある二つのピストルの、どっちかをとるがいい。決闘だ!」と宣言したのです。弾丸のこめられたピストルと、こめられてないピストルでした。
相手が青くなってそれをことわると、「そんならオレが先にとるぜ」と、ラスネールは目印をつけておいた弾丸の入った方のピストルを取って、一瞬のうちに相手を撃ち殺したのです。そして自殺にみせかけ、自分は空のピストルを持って、さっさと宿に引きあげていきました。
カジノでの喧嘩《けんか》がもとで、有名な政治家兼小説家バンジャマン・コンスタンの甥《おい》と決闘したこともあります。このときコンスタンと彼は同じ賭博台《とばくだい》にむかっていましたが、コンスタンが負けがこんできて、ずるいいかさまをやったのです。
これをラスネールが注意すると、相手は答えました。「私が誰か知っておられるなら、そんなことはおっしゃらないでしょうね」
この高慢ちきな答えに、ラスネールはカチン。「私には有名人の叔父《おじ》はいませんが、少なくとも二枚舌で裏切り者のおじさんもいませんよ」
「何をおっしゃっているんでしょうか?」と、コンスタンもキッとなります。
「あれ? 百日天下のときのおじさんの、みごとな変身ぶりをお忘れですか」と、ラスネール。ナポレオンの百日天下のとき、それまで敵側だったコンスタンが皇帝側にさっさと寝がえり、いちはやく皇帝顧問官という地位をもらったことを言ったのです。
決闘はブローニュの森で行なわれました。最初に撃った相手の弾がそれ、その後すばやくラスネールが一発で相手を撃ち倒したといいます。
一八二九年、ラスネールが悪の道に入ったきっかけもユカイです。彼は不正な社会に挑戦するため、すすんで泥棒になろうと決意します。けれど泥棒になるには手下が必要だし、盗みの手口や泥棒仲間のスラングも覚えねばなりません。どうしたらいいのでしょう? 答えはカンタン。監獄に入って、本物の泥棒さんたちと親しく付きあえばいいのです。こうしてラスネールは、懲役半年を食らいこむぐらいの犯罪をおかして、牢に入ってやろうと計画をたてました。
ラスネールは貸し馬車屋にいき、一日の約束で馬車を借りだします。そして途中、タンプル街のある邸《やしき》の前に馬車をつけて、ここの人に手紙を届けてくれと御者にたのんだのです。御者が疑うようすもなく手紙をもって邸内に入ると、そのあいだに彼は馬に力一杯|鞭《むち》をあててトンズラしてしまい、前から契約していた相手に、馬車を売り飛ばしてしまいました。
ところが、馬車の座席の下から警察の許可証が見つかり、馬車の持主の住所氏名が記されていたので、盗品というのは簡単にバレてしまいます。行きつけのカフェで平然とコーヒーを飲んでいたラスネールはたちまち御用に。もっともここまでは、予定の行動でしたが……。
しかし半年のつもりが、思いもよらぬ一年という長い刑を食らったのは予定外でした。