ラスネールの『回想録』は、十九世紀パリ泥棒日記としても面白く、ロシアの作家ドストエフスキーが、出していた雑誌の売れゆきをよくするため、これをのせたというエピソードもあります。
前に書いたように、監獄の彼のもとには、野次馬が押すな押すなで詰めかけましたが、それがあまりつづくので、さすがのラスネールもうんざりしたようです。
ある日ゴテゴテ飾りたてた有閑マダムが三人、彼に面会を申しこんでくると、彼は女たちを見ようともしないで、「うるせえな。動物園のサルじゃあるまいし。これ以上見物にこられるのは沢山だ!」と叫んでから、ふと向きなおって、「あっ、イイ女がいる! あんただけなら入れてやるぜ」と言ったとか。
またある貴婦人が自分は有名人の手紙コレクションをしているので、何でもいいからひとこと書いていただけないかと手紙で頼んでくると、こう返事を書いたといいます。「残念ですが、あなたに手紙を書いている時間はもうありません。ですが私もあなたのように有名人の手紙をコレクションしていますので、あなたのお手紙もそれに加えさせていただきます」
なんとも人を食った皮肉ではありませんか?
マルセル・カルネ監督の名画『天井桟敷の人々』のなかには、パリの薄汚い下町に代書屋をいとなむ、ラスネールという殺し屋が出てきます。これはラスネール自身をモデルに監督が作りだした人物なのです。ラスネール自身、代書屋をやっていたことがありました。昼間はパリの場末で乞食や娼婦にまじっていた代書屋が、陽が暮れるとシルクハットとフロックコートで変身し、ステッキを手に上流社会のカジノにあらわれ、昼間かせいだ金をパーッと派手につかってしまう。昼と夜の生活をスマートに使いわけていたわけです。
映画のなかのラスネールはニヒルな風貌と細い口ヒゲの、ダンディな紳士ぶりがなんとも魅力的でしたが、きっと本物のラスネールもあんなふうだったのでしょうネ。
それにしても、一見カッコいい悪党だが、その後ろ姿には孤独な男の一抹の寂しさをにじませて……。またそれが、女から見ればなんともカッコよくて、たまんない! その気持ち、分かるような気がしますね?
前に書いたように、監獄の彼のもとには、野次馬が押すな押すなで詰めかけましたが、それがあまりつづくので、さすがのラスネールもうんざりしたようです。
ある日ゴテゴテ飾りたてた有閑マダムが三人、彼に面会を申しこんでくると、彼は女たちを見ようともしないで、「うるせえな。動物園のサルじゃあるまいし。これ以上見物にこられるのは沢山だ!」と叫んでから、ふと向きなおって、「あっ、イイ女がいる! あんただけなら入れてやるぜ」と言ったとか。
またある貴婦人が自分は有名人の手紙コレクションをしているので、何でもいいからひとこと書いていただけないかと手紙で頼んでくると、こう返事を書いたといいます。「残念ですが、あなたに手紙を書いている時間はもうありません。ですが私もあなたのように有名人の手紙をコレクションしていますので、あなたのお手紙もそれに加えさせていただきます」
なんとも人を食った皮肉ではありませんか?
マルセル・カルネ監督の名画『天井桟敷の人々』のなかには、パリの薄汚い下町に代書屋をいとなむ、ラスネールという殺し屋が出てきます。これはラスネール自身をモデルに監督が作りだした人物なのです。ラスネール自身、代書屋をやっていたことがありました。昼間はパリの場末で乞食や娼婦にまじっていた代書屋が、陽が暮れるとシルクハットとフロックコートで変身し、ステッキを手に上流社会のカジノにあらわれ、昼間かせいだ金をパーッと派手につかってしまう。昼と夜の生活をスマートに使いわけていたわけです。
映画のなかのラスネールはニヒルな風貌と細い口ヒゲの、ダンディな紳士ぶりがなんとも魅力的でしたが、きっと本物のラスネールもあんなふうだったのでしょうネ。
それにしても、一見カッコいい悪党だが、その後ろ姿には孤独な男の一抹の寂しさをにじませて……。またそれが、女から見ればなんともカッコよくて、たまんない! その気持ち、分かるような気がしますね?