一八五二年一月、バーデン大公レオポルトは痛風の発作におそわれてベッドに横たわっていました。侍医たちは「ただの痛風だ。大公はなんといってもまだお若いし、体力もおありだ。命に別状はない」と笑っていましたが、しだいに「大公はもう長いことないらしい」という噂《うわさ》が宮廷に流れるようになりました。侍医たちは「痛風で死んだ人間がどこにいるか」と笑いとばしましたが、気のはやい連中は旅行をキャンセルしたり、喪服を用意する始末でした。
「大公が死ぬのももうじきだろう。なんてったって、あの『白い貴婦人』があらわれたんだから……」人々は囁《ささや》きかわしました。「白い貴婦人」とは、バーデン大公の城に出没するといわれている幽霊だったのです。その貴婦人の肖像画は、ながいあいだ城の広間の壁にかかっていましたが、大公は六十をすぎたある日、それをはずして物置のすみにほうり込んでしまいました。その妖《あや》しい目で見つめられつづけることが、年老いて気が弱くなった彼には耐えられなくなったのでしょう。
その肖像を見たことのあるフランス人はこう言っています。「暗い背景にため息がでるように美しい顔が浮かび上がっていました。青ざめた肌、百合《ゆり》の花にまじった一輪の紅バラのように心を奪う唇、十五世紀ふうにゆいあげられた黒髪……。でも、弓型の眉《まゆ》の下で不思議な光でかがやいている目が、もっとも魅力的でした。わたしはそれに見つめられて目をそらすことができず、いつのまにか磁気のような力に引きつけられていました」
そして、この美しい「白い貴婦人」の肖像には、それにまつわる悲しい物語があるのです……。