こうしてマカーリーのお告げをうけたラスプーチンは、修道院に別れを告げ、はるかな巡礼の旅に出発します。彼は二年の期間、トルコ、ヨルダン、シリア、ギリシア、そして聖地エルサレムへの一万五千キロを徒歩で巡りあるきました。
それから二年後、聖地から帰郷したラスプーチンのもとに押しかけてきた村人たちは、そこにまさしく真のスターレッツを発見しました。長い修行につちかわれた鋭い射ぬくような目は、それで見つめられると心の奥まで見透かされるような気がしたといいます。このころから彼は、催眠術の才をも示すようになりました。彼は故郷の実家を改造して教会堂をつくり、村人を集めて祈祷会を行なうようになりました。真っ白の外壁、壁にまつられた聖画、地球を表す円を描いた床……。それらはこの村の人々がまだ見たことのない、エキゾチックな異教の雰囲気でした。
彼に惹《ひ》かれて集まる人はふえるばかりで、彼を敵愾視《てきがいし》するようになった村の司祭は、ついに彼を異教の疑いで告訴します。逮捕の手をかろうじて逃れ、再びラスプーチンは巡礼の旅に出かけました。一九〇〇年までは放浪生活のかたわら、彼は病人の治療に専念しました。彼が「さあ、お歩き」と言っただけで半身マヒだった男が歩き出したり、恐ろしい悪霊に取りつかれた修道女が、彼の祈りで体内の悪霊を退治されて正気にもどるようなこともありました。
「ラスプーチンに治せない病気はない」そんな噂《うわさ》が広まり、周辺のあらゆる地方から、医者から見放された重い病人たちが彼を訪れるようになりました。有名になるにつれ彼の野心はしだいに膨《ふく》らみ、現ロシア皇帝の寵愛《ちようあい》を受けて、生きながら聖人と呼ばれているヨアーン神父の教えを乞いたいと願うようになりました。神父を訪ねて、当時ロシア最大の都会である聖ペテルブルグに行こうと、ラスプーチンは決意しました。
聖ペテルブルグに着いた彼はヨアーン神父がミサをあげている大聖堂にいき、身分高い人々が一堂に会しているのを見て、自分はつつましく最後列の貧しい巡礼者たちに混じってひざまずきました。
ところが、信じられないことが起きたのです。群衆をまえに説教していたヨアーン神父は、ラスプーチンの姿をめざとく見つけて彼に前に進みでるように命じ、その頭に手を置いて重々しくこう言ったのです。「我が子よ。あなたのなかには真の信仰のきらめきがある。この小さな光が偉大な炎にそだつまで、私のもとにとどまるがよい」
そしてこの神父がラスプーチンを、当時ロシアの宗教界の大立者らに引きあわせ、さらにニコライ大公やアナスターシャ大公妃という、皇室の人々に引き合わせることになるのでした。
当時、ロシア皇帝の権力はひどく失墜していました。三十七歳の皇帝ニコライは妻や側近の言うなりで、その時々の助言にうごかされて高官をやとったり首にしたりする信用できない男だと言われていました。
ドイツから嫁いだ皇后のアレクサンドラは、祖母のヴィクトリア女王に堅くるしい教育をされた陰気な女性でした。そもそも彼女が呪《のろ》わしい血友病をロシア皇家にもたらした張本人なのです。うれいを含んだ顔立ち、夢見るようなまなざし、豊かでくっきりした胸と、なかなかの美人でしたが、夫に従うよりむしろリードしていくタイプで、満足なロシア語も話せず、礼儀作法ばかりにこだわる気むずかしい性格で、ロシアの民衆にあまり好かれていませんでした。
皇后を燃えたたせるのは皇后として母としての野心だけで、ラスプーチンを厚遇するのもそのためで、本当は誇りたかい彼女に庶民と親しくするなど耐えられないことだったのです。つねになにかの不安にかきたてられていた彼女は、奇蹟や予言などという話が好きで、そういう話になると急に目を輝かせるのでした。
皇帝の意志薄弱と皇后の迷信深さを利用して、ラスプーチンはたやすく夫妻のなかに入り込んでいきました。彼はたびたび宮殿を訪れるようになり、皇帝は日記のなかに彼のことをひんぱんに書きしるしています。「今日は楽しかった。彼が我々に、再びほほえみと笑いを返してくれた」彼らにとって何ものにもかえがたい皇太子の健康は、まさにこのみすぼらしい一農民の手に握られていたのです。
たちまちラスプーチンの名は社交界に知れ渡りました。身分高い貴族や高官の邸《やしき》に招かれて、彼は説教し教えをほどこし、なにより水を得た魚のように好色さを発揮しだしました。彼に抵抗できる女はなく、いったん彼に魅入られると女たちはみな神をあがめるように彼のまえにひざまずくのでした。
ところが、信じられないことが起きたのです。群衆をまえに説教していたヨアーン神父は、ラスプーチンの姿をめざとく見つけて彼に前に進みでるように命じ、その頭に手を置いて重々しくこう言ったのです。「我が子よ。あなたのなかには真の信仰のきらめきがある。この小さな光が偉大な炎にそだつまで、私のもとにとどまるがよい」
そしてこの神父がラスプーチンを、当時ロシアの宗教界の大立者らに引きあわせ、さらにニコライ大公やアナスターシャ大公妃という、皇室の人々に引き合わせることになるのでした。
当時、ロシア皇帝の権力はひどく失墜していました。三十七歳の皇帝ニコライは妻や側近の言うなりで、その時々の助言にうごかされて高官をやとったり首にしたりする信用できない男だと言われていました。
ドイツから嫁いだ皇后のアレクサンドラは、祖母のヴィクトリア女王に堅くるしい教育をされた陰気な女性でした。そもそも彼女が呪《のろ》わしい血友病をロシア皇家にもたらした張本人なのです。うれいを含んだ顔立ち、夢見るようなまなざし、豊かでくっきりした胸と、なかなかの美人でしたが、夫に従うよりむしろリードしていくタイプで、満足なロシア語も話せず、礼儀作法ばかりにこだわる気むずかしい性格で、ロシアの民衆にあまり好かれていませんでした。
皇后を燃えたたせるのは皇后として母としての野心だけで、ラスプーチンを厚遇するのもそのためで、本当は誇りたかい彼女に庶民と親しくするなど耐えられないことだったのです。つねになにかの不安にかきたてられていた彼女は、奇蹟や予言などという話が好きで、そういう話になると急に目を輝かせるのでした。
皇帝の意志薄弱と皇后の迷信深さを利用して、ラスプーチンはたやすく夫妻のなかに入り込んでいきました。彼はたびたび宮殿を訪れるようになり、皇帝は日記のなかに彼のことをひんぱんに書きしるしています。「今日は楽しかった。彼が我々に、再びほほえみと笑いを返してくれた」彼らにとって何ものにもかえがたい皇太子の健康は、まさにこのみすぼらしい一農民の手に握られていたのです。
たちまちラスプーチンの名は社交界に知れ渡りました。身分高い貴族や高官の邸《やしき》に招かれて、彼は説教し教えをほどこし、なにより水を得た魚のように好色さを発揮しだしました。彼に抵抗できる女はなく、いったん彼に魅入られると女たちはみな神をあがめるように彼のまえにひざまずくのでした。