�夢魔�というものを聞いたことがおありだろうか? インクブスは男性の夢魔で、スクブスは女性の夢魔。それぞれ睡眠中の異性を誘惑し、性行為をせまる、一種の悪魔だと言われる。
人間と悪魔が実際に肉体関係を持つことが出来るという考えは、カトリック教会側の、たとえば聖アウグスチヌスや法王イノセント八世など、多数の人々が主張しており、その結合から子供が生まれることも不可能ではないと言う。
ただその場合、人間の女と関係する男性夢魔は、人間の男が睡眠中にもらした精液をとって用いると考えられるので、こうして生まれた子供の父親は、はたして母親とベッドをともにしたインクブスなのか、それとも精液をとられた男のほうなのかということが、問題になる。この点について聖トマスは、本当の父親はインクブスではなくて、精液をもらした人間の男のほうだと明言しているが……。
フランス王妃マリー・ド・メディチの懺悔《ざんげ》聴聞僧ヴァラディエ師は、「悪魔は眠っている男から妊娠に必要な原料を借り、これを夜の夢のなかで女性の体内に注入する。いかにも巧みなので、破瓜にもいたらないまま、原料は処女の体内に達する。処女は自らそれと知らずに、この原料を温め育てるのだ」と、語っている。
『テアトル・エウロペウム』という書によると、ポメラニアの十歳の少女は、「自分は悪魔の子供を二人生んだことがある。いまもお腹に三人目の子供を宿している」と告白して、火あぶりになったそうだ。しかも裁判官の証言では、少女は完全な処女だったという。
ルドウィコ・マリア・シニストラーリは、とある尼僧院での興味深い夢魔騒動を書いている。
ある修道院で夕食後、一人の尼僧が自分の部屋に引きとり、ドアに鍵《かぎ》をかけて閉じこもるのを、ある詮索《せんさく》好きな修道女が見ていた。修道女が隣室で聞き耳をたてていると、室内からひそひそ話が聞こえてきた。
つづいてベッドのきしむ音やうめき声が聞こえ、恋人同士が愛の絶頂感を味わっている物音が手にとるように聞こえた。彼女の密告で、修道院長自らその尼僧の部屋をくまなく調べたが、何もおかしな点はなかった。しかし修道女はそれに満足せず、仕切り板に穴を開けて、しばらく室内の様子を見張っていた。
まもなく彼女は、隣室で一人のハンサムな若者が、尼僧とベッドをともにしているのを目撃した。彼女の話を聞いて、他の尼僧たちもみな隣室を覗《のぞ》き見しようと集まってきた。修道院長も放ってはおけず尼僧を糾問すると、尼僧は長いあいだ一人のインクブスと淫《みだ》らな関係をむすんでいたことを白状したのである。
さらに『聖ベルナーの生涯』にもインクブスのエピソードが書かれている。一一三五年にベルナーがナントを訪れたとき、一人の女性が助けを求めにきた。女性はもう六年間もインクブスと関係を結んでおり、とうとう夫にこれを打ち明けて、夫とともに別の家に引っ越したが、それでもインクブスはしつこく追いまわしてくるという。
ベルナーは自分の杖を女性に与え、夜ベッドに入るとき必ずそれを脇に立てかけておくよう命じた。その夜、いつものとおりインクブスは彼女の部屋に入ってこようとしたが、ベルナーの杖が立てかけてあるので入ることが出来なかった。インクブスは怒り狂って、ベルナーに復讐《ふくしゆう》してやると怒鳴ったが、どうすることも出来なかったという。
いっぽうスクブスは女の姿をした夢魔で、男性を誘惑するものだとされる。悪魔学の概念では、女性は男性より好色なものとされていたため、悪魔学の書物にはスクブスにくらべて、インクブス(男の夢魔)のほうが九倍ぐらいの割合で登場してくる。
ジャンフランチェスコ・ピコ・デラ・ミランドラは、四年間もスクブスと同棲していた男の話を書いているが、それによると、男はスクブスと別れるぐらいなら、牢獄で責め殺されるほうがましだと言っていたという。
さらに『魔女への鉄槌《てつつい》』には、ある男が妻や友人の目前で恋人であるスクブスと性行為を演じなければならなくなり、三度まではなんとかやり遂げたが、スクブスはさらに四度目を要求したので、男は疲れはてて、ついに床に倒れてしまったと書かれている。
歴史上の聖人たちも、スクブスの誘惑に悩まされた経験があるようだ。たとえばジロラモ・カルダーは、僻地《へきち》で禁欲的な生活を営んでいたとき、からだが弱っているときに特にスクブスの誘惑に悩まされたと述べている。三世紀エジプトの聖アンソニイも、夜中にみだらな裸体の女になってあらわれるスクブスにさんざん苦しめられたそうだ。
さらに聖ヒッポリトスも、勤行中に目の前に裸の女があらわれて淫らな誘惑をしたが、彼がその裸身を隠すようにと、ミサ用の聖衣を投げ与えると、突然その女は死体になって目前にころがったという。
これは聖人を堕落させようと、悪魔が死者に生気を吹き込んで遣わしたものと考えられたので、それからは名高い『アンブロジオ聖歌』では、夢魔を恐れて、「夜のすべての幻よ、消えうせたまえ、わが肉体の穢《けが》れなきように」と歌われるようになった。
ジャンフランチェスコ・ピコ・デラ・ミランドラは、四年間もスクブスと同棲していた男の話を書いているが、それによると、男はスクブスと別れるぐらいなら、牢獄で責め殺されるほうがましだと言っていたという。
さらに『魔女への鉄槌《てつつい》』には、ある男が妻や友人の目前で恋人であるスクブスと性行為を演じなければならなくなり、三度まではなんとかやり遂げたが、スクブスはさらに四度目を要求したので、男は疲れはてて、ついに床に倒れてしまったと書かれている。
歴史上の聖人たちも、スクブスの誘惑に悩まされた経験があるようだ。たとえばジロラモ・カルダーは、僻地《へきち》で禁欲的な生活を営んでいたとき、からだが弱っているときに特にスクブスの誘惑に悩まされたと述べている。三世紀エジプトの聖アンソニイも、夜中にみだらな裸体の女になってあらわれるスクブスにさんざん苦しめられたそうだ。
さらに聖ヒッポリトスも、勤行中に目の前に裸の女があらわれて淫らな誘惑をしたが、彼がその裸身を隠すようにと、ミサ用の聖衣を投げ与えると、突然その女は死体になって目前にころがったという。
これは聖人を堕落させようと、悪魔が死者に生気を吹き込んで遣わしたものと考えられたので、それからは名高い『アンブロジオ聖歌』では、夢魔を恐れて、「夜のすべての幻よ、消えうせたまえ、わが肉体の穢《けが》れなきように」と歌われるようになった。
ところで、夢魔というのは遠い昔の話だと思っていられることだろうが、実は現代にも、夢魔があらわれたという話があるのだ。一九六二年、アメリカのオドンネル博士という人物が、医学雑誌に発表している事例である。
ミーカー夫人はある晩、娘の部屋から妙な呻《うめ》き声がもれてくるのを耳にした。何だろうと思ったミーカー夫人は、身を起こして、ドアのまえでじっと耳をすました。すると十八歳になる娘のドリーンが、なんと性行為特有の呻き声をあげているではないか。
仰天したミーカー夫人は、そっとドアを開いて室内に目をやった。しかしどんなに目を皿のようにしても、ベッドのうえにはドリーン一人しかいない。なのにドリーンは真っ裸になって、まるで誰かに抱かれてでもいるかのように、宙に身をのけぞらせ、快感にもだえつづけている。
「ドリーン、ドリーン、しっかりしなさい!」
夫人が叫ぶと、とつぜんドリーンの腕の力が抜けてだらりと落ち、からだも力を失ってベッドのうえにくずおれた。そして何か目に見えないものが、夫人の横をすーっと通り抜けていったのである。
夫人がベッドに駆け寄ると、ドリーンはこれまでのことが嘘のように、すやすやと寝息をたてている。ミーカー夫人は、そっと毛布を払いのけて、娘を観察した。さっきのことが幻でない証拠に、娘の肉体には性行為のあとが、ありありと残っていた。首筋や胸にはキスマークがあり、シーツには男性の精液らしいものが残っている。目に見えないなにかが、ドリーンを襲って、その肉体を犯したのだ。
夫人は悪い夢を見ているような気分だったが、やっと気をとりなおすと、必死にドリーンを揺さぶり起こした。目を覚ましたドリーンは母から一部始終を聞くと、ショックで真っ赤になってしまった。
「そういえば、このところ毎晩のように奇妙な夢を見ていたの」
と、ドリーンは言いにくそうに、
「若くてハンサムな男性がわたしを襲ってくるの。そのたびに恥ずかしいけど、本当にセックスしたような気分になるの。でも、あくまで夢を見ているのだと思っていたわ」
朝起きたときシーツが汚れていても、てっきり自分の粗相だと思い込んでいたというのだ。夫人は大慌てで、ドリーンを精神分析医オドンネル博士のもとに連れていった。博士は初めは、欲求不満からくる精神錯乱だろうと高をくくっていたが、夫人があまり熱心なので、とにかくその夜はミーカー家に泊まって見張ることにした。
オドンネル博士がミーカー夫人とともにドリーンの寝室のドアをのぞいていると、昨夜と同じように、何か目に見えないものが襲ってきて、ドリーンのパジャマをむしりとり、肉体を愛撫しはじめたのだ。
仰天した博士はあとでシーツについた液体を採取して帰り、綿密に検査してみた。まちがいなく男性の精液だった。オドンネル博士は頭をかかえた。とにかくこの姿なき訪問者を、二度とドリーンに近づけないようにしなければならない。
悩み抜いたすえ、博士が思いついたのは、寝るときドリーンに貞操帯を着けさせることだった。こうしてその夜も、オドンネル博士がドアで見張っていると、またも姿なき訪問者が訪れたのだ。
訪問者は、ドリーンがおっかない代物を身に着けているのを見ると、失望したような唸《うな》り声をあげた。しばらくは唸り声をあげながら、ベッドのまわりをうろついているようだったが、一時間ほどしてようやく帰っていったらしく、ドリーンの部屋はまた、シーンとしずまりかえった。
それでも数晩は、夢魔はあきらめきれずにドリーンのもとに通いつづけたが、やがてあきらめたのか、とうとうやって来なくなったというのだ。
ミーカー夫人はある晩、娘の部屋から妙な呻《うめ》き声がもれてくるのを耳にした。何だろうと思ったミーカー夫人は、身を起こして、ドアのまえでじっと耳をすました。すると十八歳になる娘のドリーンが、なんと性行為特有の呻き声をあげているではないか。
仰天したミーカー夫人は、そっとドアを開いて室内に目をやった。しかしどんなに目を皿のようにしても、ベッドのうえにはドリーン一人しかいない。なのにドリーンは真っ裸になって、まるで誰かに抱かれてでもいるかのように、宙に身をのけぞらせ、快感にもだえつづけている。
「ドリーン、ドリーン、しっかりしなさい!」
夫人が叫ぶと、とつぜんドリーンの腕の力が抜けてだらりと落ち、からだも力を失ってベッドのうえにくずおれた。そして何か目に見えないものが、夫人の横をすーっと通り抜けていったのである。
夫人がベッドに駆け寄ると、ドリーンはこれまでのことが嘘のように、すやすやと寝息をたてている。ミーカー夫人は、そっと毛布を払いのけて、娘を観察した。さっきのことが幻でない証拠に、娘の肉体には性行為のあとが、ありありと残っていた。首筋や胸にはキスマークがあり、シーツには男性の精液らしいものが残っている。目に見えないなにかが、ドリーンを襲って、その肉体を犯したのだ。
夫人は悪い夢を見ているような気分だったが、やっと気をとりなおすと、必死にドリーンを揺さぶり起こした。目を覚ましたドリーンは母から一部始終を聞くと、ショックで真っ赤になってしまった。
「そういえば、このところ毎晩のように奇妙な夢を見ていたの」
と、ドリーンは言いにくそうに、
「若くてハンサムな男性がわたしを襲ってくるの。そのたびに恥ずかしいけど、本当にセックスしたような気分になるの。でも、あくまで夢を見ているのだと思っていたわ」
朝起きたときシーツが汚れていても、てっきり自分の粗相だと思い込んでいたというのだ。夫人は大慌てで、ドリーンを精神分析医オドンネル博士のもとに連れていった。博士は初めは、欲求不満からくる精神錯乱だろうと高をくくっていたが、夫人があまり熱心なので、とにかくその夜はミーカー家に泊まって見張ることにした。
オドンネル博士がミーカー夫人とともにドリーンの寝室のドアをのぞいていると、昨夜と同じように、何か目に見えないものが襲ってきて、ドリーンのパジャマをむしりとり、肉体を愛撫しはじめたのだ。
仰天した博士はあとでシーツについた液体を採取して帰り、綿密に検査してみた。まちがいなく男性の精液だった。オドンネル博士は頭をかかえた。とにかくこの姿なき訪問者を、二度とドリーンに近づけないようにしなければならない。
悩み抜いたすえ、博士が思いついたのは、寝るときドリーンに貞操帯を着けさせることだった。こうしてその夜も、オドンネル博士がドアで見張っていると、またも姿なき訪問者が訪れたのだ。
訪問者は、ドリーンがおっかない代物を身に着けているのを見ると、失望したような唸《うな》り声をあげた。しばらくは唸り声をあげながら、ベッドのまわりをうろついているようだったが、一時間ほどしてようやく帰っていったらしく、ドリーンの部屋はまた、シーンとしずまりかえった。
それでも数晩は、夢魔はあきらめきれずにドリーンのもとに通いつづけたが、やがてあきらめたのか、とうとうやって来なくなったというのだ。