中世ヨーロッパでは、いわゆる錬金術師や魔術師は各国を遍歴して、たがいに助けあったり知識を交換するため、同業組合のようなものを作っていた。薔薇《ばら》十字団は、そんな地下組織が変化したものだろうと言われる。
バッジや合言葉を示してみせれば、組織の会員はヨーロッパのどこに行っても、一夜の宿を与えてもらえる。また逆にそれらの国や町のほうでも、新しい知識を得るため、他国者との交流に意欲を見せていた。
技術をみがくことが目的の職人組合もあれば、学問や教養を深めるのが目的の組合もある。あるいは画家や彫刻家のための修業団体もある。彼らはヨーロッパ各地を旅して、その地の親方《マスター》のもとに住みこんで、技術をみがいたり知識を深めたりするのだ。
人類の歴史を裏からあやつってきた闇《やみ》の集団、秘密結社。その会員たちは血の結束で結ばれ、組織の手は世界の権力中枢に根強く食いこんでいる。しかし組織の名が表面に現れることは一切なく、あくまでその力は陰の活動を通して働くだけだ。
そんな秘密結社の一つ薔薇十字団は、現在も世界のあちこちに潜伏しながら、神から教えられた超古代の密義を人々につたえ、「神の計画」を着々と実行にうつしているという。しかしつねに歴史の舞台裏に隠れているはずの彼らが、一度だけ仮面をはずして、素顔をのぞかせたことがある。
一六一四年、ドイツで『世界の改革』と題する書物が出版された。筆者はルター派の神学者で、薔薇十字の理想の布教者ヴァレンティン・アンドレエらしいというが、それも確証はない。
その付録として、『薔薇十字団の伝説』という書物が同時刊行され、さらに翌年には『薔薇十字団の信条』が刊行された。三年間にわたって、これら三つの著作がつぎつぎとあらわれたのである。著者も発行人も不明という謎《なぞ》だらけの三部作が、薔薇十字団をつつむ厚いベールの一端を、一瞬引きあげてみせたのである。
ヨーロッパのインテリたちは、これら三部作をわれさきにと求めた。その後も三部作はたびたび版を重ね、人々は薔薇十字団の秘密を知ろうと躍起になった。しかし不思議にも、会の本部がどこにあるかは、誰も知らなかった。目に見えぬ結社をめぐって、学者のあいだで激しい議論が起こったり、薔薇十字団の名をかたって、金品をかどわかすサギ師も出てきた。
しだいに世間の人々は、薔薇十字団員を、何か超能力を持った魔術師のようなものだと考えて恐れるようになり、そのうち薔薇十字団は,不老不死や透明人間などの代名詞にされるようになった。
ところで、これらの薔薇十字団に関する三部作は、だいたいどんな内容のものだったのだろうか? まず、そのなかには、クリスチャン・ローゼンクロイツという名の、ドイツの貴族の生涯が物語られている。
彼は一三七八年に生まれ、一四八四年に死んだことになっているので、じつに百年以上も生きていたわけだが、三部作によれば、この神秘的な怪人物こそ、薔薇十字団の創設者だというのである。
ローゼンクロイツは、ドイツの貧しい貴族の家に生まれた。早くして両親に死に別れた彼は、幼時を修道院ですごしたあと、十六のとき知識への欲求に目覚めて、東方旅行に出発した。
ダマスカスまでやって来たとき、ローゼンクロイツは、地図にはのっていないダムカルという謎の都市がアラビアにあり、そこにユダヤ神秘思想のカバラ学や錬金術に通じた神秘主義者たちが、集まっているという話を聞きつけた。
そこでローゼンクロイツは、ひたすらアラビアを目指した。そして苦しい旅の果てに、ついにダムカルにたどりついたのだ。そこでは神秘主義者や賢者などと交流して、東方の聖なる秘密の知識を学んだという。その知識は、彼がラテン語に翻訳した『Mの書』という書物のなかに述べられている。
三年後にローゼンクロイツはモロッコのフェスにむかい、ここでも賢者たちと交流して、さまざまな秘教的知識を身につけた。とくに土や火や水などの精霊たちと自由に交信して、自然界の大いなる秘密を我がものにしたという。
こうして古代アトランティス以来のあらゆる叡知《えいち》を身につけたローゼンクロイツは、世界改革という野望を抱いてドイツにもどってきた。しかし世界はまだ、彼が伝える偉大な叡知を受け入れる用意ができていなかった。ローゼンクロイツは西洋の賢者や王侯たちに、みずから翻訳した『Mの書』を進呈して理想郷の実現を訴えたが、かえってくるのは軽蔑《けいべつ》と冷笑だけだったのである。
機がまだ熟さないことを悟ったローゼンクロイツは、みずから僧院を建て、聖霊の家と名づけて、そこにこもって研究生活をおくることにした。彼のもとには、やがて少数の忠実な弟子が集まってきた。
まずローゼンクロイツは七人の弟子をとり、自分が学んだ叡知の数々をさずけていった。ローゼンクロイツとこの七人の弟子たちこそ、薔薇十字団の創設メンバーだと言われる。
こうして薔薇十字団の活動は、世間から隠れたままで、着々と成果をあげはじめた。ローゼンクロイツの僧院である「聖霊の家」では、毎年、定期的に同志の会合が開かれた。
彼らは、「無料で病人をなおすこと、特別な服装をしたり特別な習慣を身につけたりしないこと、毎年一回、聖霊の家で会合を持つこと、死にぎわに各自が一人ずつ自分の後継者を指名すること、R・Cという文字を、我々の唯一の証印・記号・符号とすること、むこう百年間は団の存在を世間から隠しておくこと」などの、六項目の規約をつくった。
彼らは、世界中を遍歴して善行をほどこす一方で、これはと目をつけた人物にひそかに会の教えを伝えつづけた。決して華々しい活動ではなかったが、特に学問や芸術の分野で着々と成果をあげていった。
そして一四八四年、突然ローゼンクロイツは、「私は百二十年後にもう一度よみがえるだろう」という謎の言葉を残して、百六歳で世を去った。彼の遺体は薔薇十字団の僧院にこっそり葬られ、墓のありかは絶対の秘密とされたのだ。
彼は一三七八年に生まれ、一四八四年に死んだことになっているので、じつに百年以上も生きていたわけだが、三部作によれば、この神秘的な怪人物こそ、薔薇十字団の創設者だというのである。
ローゼンクロイツは、ドイツの貧しい貴族の家に生まれた。早くして両親に死に別れた彼は、幼時を修道院ですごしたあと、十六のとき知識への欲求に目覚めて、東方旅行に出発した。
ダマスカスまでやって来たとき、ローゼンクロイツは、地図にはのっていないダムカルという謎の都市がアラビアにあり、そこにユダヤ神秘思想のカバラ学や錬金術に通じた神秘主義者たちが、集まっているという話を聞きつけた。
そこでローゼンクロイツは、ひたすらアラビアを目指した。そして苦しい旅の果てに、ついにダムカルにたどりついたのだ。そこでは神秘主義者や賢者などと交流して、東方の聖なる秘密の知識を学んだという。その知識は、彼がラテン語に翻訳した『Mの書』という書物のなかに述べられている。
三年後にローゼンクロイツはモロッコのフェスにむかい、ここでも賢者たちと交流して、さまざまな秘教的知識を身につけた。とくに土や火や水などの精霊たちと自由に交信して、自然界の大いなる秘密を我がものにしたという。
こうして古代アトランティス以来のあらゆる叡知《えいち》を身につけたローゼンクロイツは、世界改革という野望を抱いてドイツにもどってきた。しかし世界はまだ、彼が伝える偉大な叡知を受け入れる用意ができていなかった。ローゼンクロイツは西洋の賢者や王侯たちに、みずから翻訳した『Mの書』を進呈して理想郷の実現を訴えたが、かえってくるのは軽蔑《けいべつ》と冷笑だけだったのである。
機がまだ熟さないことを悟ったローゼンクロイツは、みずから僧院を建て、聖霊の家と名づけて、そこにこもって研究生活をおくることにした。彼のもとには、やがて少数の忠実な弟子が集まってきた。
まずローゼンクロイツは七人の弟子をとり、自分が学んだ叡知の数々をさずけていった。ローゼンクロイツとこの七人の弟子たちこそ、薔薇十字団の創設メンバーだと言われる。
こうして薔薇十字団の活動は、世間から隠れたままで、着々と成果をあげはじめた。ローゼンクロイツの僧院である「聖霊の家」では、毎年、定期的に同志の会合が開かれた。
彼らは、「無料で病人をなおすこと、特別な服装をしたり特別な習慣を身につけたりしないこと、毎年一回、聖霊の家で会合を持つこと、死にぎわに各自が一人ずつ自分の後継者を指名すること、R・Cという文字を、我々の唯一の証印・記号・符号とすること、むこう百年間は団の存在を世間から隠しておくこと」などの、六項目の規約をつくった。
彼らは、世界中を遍歴して善行をほどこす一方で、これはと目をつけた人物にひそかに会の教えを伝えつづけた。決して華々しい活動ではなかったが、特に学問や芸術の分野で着々と成果をあげていった。
そして一四八四年、突然ローゼンクロイツは、「私は百二十年後にもう一度よみがえるだろう」という謎の言葉を残して、百六歳で世を去った。彼の遺体は薔薇十字団の僧院にこっそり葬られ、墓のありかは絶対の秘密とされたのだ。
そしてその予言は達成された。不思議なことに百二十年後、たしかに彼の予言どおり、ローゼンクロイツの墓が発見されたのである。ある会員が、埋葬室に通じる隠し戸を偶然に発見したのだった。
埋葬室は七角形の壁に囲まれた地下室にあり、扉にはラテン語で、「私は百二十年後に復活するだろう」と書かれていた。天井につるされた�人工の太陽�から、室内に光がふりそそいでいた。�永遠のランプ�の光に青白く照らしだされ、羊皮紙の聖典を手にしたローゼンクロイツの死体は、墓のなかで腐りもしないでちゃんと残っていたそうだ。
彼の墓で見つかった�永遠のランプ�は、薔薇十字団員だけがその製造法を知っているもので、永遠に燃えつきない黄金の油に芯《しん》がつかっており、何世紀たっても消えないのだという。それ以外にも、蓄音機のような機械をはじめ、不思議な副葬品がいろいろ出てきた。
薔薇十字団員は、錬金術の奥義を知っているのだともいう。薔薇十字団員のなかには、錬金術師らが血まなこで探し求めている、いわゆる賢者の石を持っている者がいると信じられていた。団員からもらった金貨が、いつのまにか銅貨に変わっていたとか、団員が、見たこともないような巨大なサファイアの指輪をしているのを見たとかいう噂が流れた。
薔薇十字団員たちは、古代から伝わるさまざまな機械学的な技術にも通じていたようだ。たとえばアルキメデスの鏡とか、光学器械とか自動人形とか永久運動の装置とかである。数学や音楽の知識もそなえており、�人工の歌�と名づけられた蓄音機も、彼らが発明したものだという。
また、団員は自由にあちこちに姿を現したり消えたりする術を知っており、団員たちはつねに変名を用いてはあちこち旅を続け、各地に現れては不治の病人を治したり、さまざまな奇跡を行っては、またサッと風のように姿を消してしまうのだという。
埋葬室は七角形の壁に囲まれた地下室にあり、扉にはラテン語で、「私は百二十年後に復活するだろう」と書かれていた。天井につるされた�人工の太陽�から、室内に光がふりそそいでいた。�永遠のランプ�の光に青白く照らしだされ、羊皮紙の聖典を手にしたローゼンクロイツの死体は、墓のなかで腐りもしないでちゃんと残っていたそうだ。
彼の墓で見つかった�永遠のランプ�は、薔薇十字団員だけがその製造法を知っているもので、永遠に燃えつきない黄金の油に芯《しん》がつかっており、何世紀たっても消えないのだという。それ以外にも、蓄音機のような機械をはじめ、不思議な副葬品がいろいろ出てきた。
薔薇十字団員は、錬金術の奥義を知っているのだともいう。薔薇十字団員のなかには、錬金術師らが血まなこで探し求めている、いわゆる賢者の石を持っている者がいると信じられていた。団員からもらった金貨が、いつのまにか銅貨に変わっていたとか、団員が、見たこともないような巨大なサファイアの指輪をしているのを見たとかいう噂が流れた。
薔薇十字団員たちは、古代から伝わるさまざまな機械学的な技術にも通じていたようだ。たとえばアルキメデスの鏡とか、光学器械とか自動人形とか永久運動の装置とかである。数学や音楽の知識もそなえており、�人工の歌�と名づけられた蓄音機も、彼らが発明したものだという。
また、団員は自由にあちこちに姿を現したり消えたりする術を知っており、団員たちはつねに変名を用いてはあちこち旅を続け、各地に現れては不治の病人を治したり、さまざまな奇跡を行っては、またサッと風のように姿を消してしまうのだという。