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黒魔術白魔術08

时间: 2020-07-21    进入日语论坛
核心提示:悪魔教会アメリカ全土では現在、三百をこえる悪魔集団・魔女集団が存在しているという。一九六六年にサンフランシスコにアントン
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悪魔教会

アメリカ全土では現在、三百をこえる悪魔集団・魔女集団が存在しているという。一九六六年にサンフランシスコにアントン・サンダー・ラ・ベイが設立した秘密結社、�悪魔教会�は、フランス、イタリアなど世界十三カ国に十万以上の会員を持つ、アメリカ最大の魔術結社だ。
教祖のアントン・サンダー・ラ・ベイは、みずから黒い法王と名のり、黒ミサの儀式や黒魔術の呪法《じゆほう》を会員にさずけている。さらにEviles(悪)をモットーに、黒ミサ、全裸舞踏会、人肉試食会、暴力ショーなど、あらゆる欲望と暴力の解放をうたうデモンストレーションを、大胆に押しすすめている。
ラ・ベイによると、人間は悪魔の名のもとに快楽を求め、本能に忠実に生きるべきだ、もし恨みや憎しみを晴らしたい人間がいるなら、その人間に呪《のろ》いをかけて殺すのは、人間としてごく自然な本能だというのである。
この結社に入会する者は、つぎのような規則に従うことを約束させられる。
「あらゆる悪事を徹底的に行ない、法にふれないような犯罪を研究し、実行すること。つねに復讐《ふくしゆう》心を燃やし、人に呪いをかけて地獄に落とすこと。動物的本能にめざめ、快楽と悪事に徹すること。あらゆる罪の代表者になり、サタンこそ教会の最大の友であることを忘れないこと」
悪魔教会では、二〇世紀最大の黒魔術師だったアレイスター・クローリーの教えに従って、いまも全員がときおり裸になって黒ミサを行ない、さらってきた赤ん坊を血まつりにあげているという。
ラ・ベイは催眠術や呪殺術など、十三種の黒魔術を行なっている。彼が「我らの王サタンと悪魔長官ルシフェルよ。呪いの魔力を与えたまえ!」と悪魔の呪文をとなえて、ねらう相手に呪文を投げかけると、相手は催眠術にでもかかったように、彼のいうとおりに動きはじめるという。
ある日、ラ・ベイを取材で訪ねたジャーナリストのリークは、一軒のスーパーマーケットで、信じられないような光景を目にすることになる。
このときラ・ベイは、リークとともにマーケットの前に立っていたが、彼が店に入ってきた一人の女性に魔術をかけたとたん、その女性は催眠術にかかったかのように、彼が命じるままに動きはじめたのだ。
ラ・ベイとその女性のあいだは、五メートルほど離れていたが、彼がメモ用紙にミルク三本、アスパラ缶詰一個、チキン二キログラム……などと書いて念じはじめると、なんと、まったくその順番どおりに、女性はカゴに品物を入れはじめたのだ。
あげくは彼女が金も払わないまま、夢遊病者のようにフラフラッと店を出ようとしたので、すぐ女性ガードマンが飛んできた。
そのときラ・ベイが、「裸になって、犬のように吠《ほ》えたてろ!」と女性ガードマンに呪いをかけると、ガードマンはとつぜん前の客を突きとばし、自分で服をむしりとり、四つんばいになって犬のようにワンワン吠えはじめたのだ。マーケット内は、てんやわんやの大騒ぎ。とうとうパトカーまで繰りだす騒ぎになったという。
 アントン・サンダー・ラ・ベイは現在、六十歳余り。オークランドに生まれ、十六のときにサーカスに入り、ライオンの調教師の助手になった。が、二年後にはサーカスを辞めて、道化芝居小屋でオルガンの演奏をはじめた。
その後ラ・ベイはカレッジで犯罪学を専攻し、サンフランシスコ警察署でカメラマンの仕事をするようになる。このとき世間の汚れた面を目撃し、人間は四つ足獣より劣った存在だと考えるようになった。
やがてラ・ベイはオルガン弾きの生活にもどり、前から興味のあった魔術の研究に熱中した。そしてまもなく金曜の夜に、自宅で魔術に関する講義を開講した。大勢の人が受講料を払って館の居間に集まり、彼から�狼人間、吸血鬼、性魔術、魔女�などに関する講義を受けた。
あるときなど、人肉供食に関する講義のとき、ある医者の会員が、切断された人間の脚を一本、東サンフランシスコ湾病院から持ってきた。それはその場で焼かれて、勇気ある受講者たちに配られたという。
しだいに悪魔教会は、マスコミ陣の絶好のネタになった。たとえば神秘的な黒い館での講義、深夜の幽霊屋敷調査、いかがわしい心霊現象、ラ・ベイ自身の変わった性格、そして黒豹や一八一キログラムもあるヌビア・ライオンという、彼の風変わりなペットたち……。
オカルト研究に熱心な名士たちが、ぞくぞくとラ・ベイの館に集まった。小説家のスティーヴン・シュネックや、映画製作者のケネス・アンガーなど。ラ・ベイは彼らとともに�マジック・サークル�を結成し、毎週ここで秘密裏の魔術儀式を行なった。
こうして一九六六年ヴァルプルギスの夜、マジック・サークルは�悪魔教会�に変わり、ラ・ベイが大祭司に、美しい金髪の妻ダイアンが大尼僧におさまったのである。翌年、悪魔教会は全米に報道された。ラ・ベイが有名人ジュディス・ケイスと過激論者ジョン・レイモンドの、悪魔結婚式をつかさどったのだ。さらに同年の五月にも、教会はニュースの種になった。ラ・ベイが三歳の娘ジーナのため、悪魔の洗礼式を行なったのである。
�悪魔教会�の入会者には、歌手のサミー・デービス・ジュニア、歌手のバーバラ・マクネア、俳優のキーナン・ウィンなどもいる。のちにラ・ベイは、彼らに名誉司祭職をさずけている。
さらに、ラ・ベイとの交流にことのほか夢中になった芸能人が、グラマラスなセックス・シンボル、ジェーン・マンスフィールドである。
彼女は一九六六年に教会にあらわれ、ラ・ベイに、二番目の夫のマット・シンバーに呪いをかけてくれと頼んだ。このころ二人は、子供をどちらが引きとるかで争っていたのだ。結局、裁判で有利な判決を勝ちとると、ジェーンは熱心な悪魔信奉者になった。
ある日、幼い息子ゾルタンが、野生動物公園でライオンに襲われて重傷をおったときも、ジェーンはラ・ベイに助けを求めた。ラ・ベイはサンフランシスコ近くのタマルパイス山の頂きに車を走らせると、激しい嵐のなかで大声をあげ、あらんかぎりの魔力を駆使してサタンに呼びかけた。そして息子は奇蹟的に回復し、これを悪魔のおかげと信じたジェーンは、あらためてラ・ベイと悪魔に永遠の忠誠を誓ったのである。
しかし彼女の恋人のサム・ブロディは、彼女とラ・ベイの関係に嫉妬《しつと》し、今後ジェーンに近づいたら、ペテン師と触れまわってやるとラ・ベイを脅した。根に持ったラ・ベイはブロディに呪いをかけ、やがてブロディが愛車マセラティで衝突事故をおこし、片足を骨折する事故が起こった。
が、それでもブロディは脅しをやめなかったので、ラ・ベイは再び彼に対して呪いをかけ、それは今回、もっと重大な結果をもたらしたのである。ラ・ベイがジェーンに再三、ブロディに近づかないよう忠告したにも拘わらず、一九六七年六月二十九日、ニューオリンズ郊外でジェーンとブロディの乗った車がトラックに追突した。二人とも即死で、ジェーンの首は抜け落ちていたという。
ラ・ベイはのちのちまで、ジェーンの死は自分のせいだと悔やんだ。ある日彼が新聞記事を切り抜いていたとき、気がついたら裏にジェーンの写真がのっており、うっかり彼女の頭を切り落としていた。ちょうどそのとき電話が鳴って、彼女の死を知らされたのだ。
ジェーンの悲劇がマスコミに書き立てられると、一躍、悪魔教会は世間の注目のまとになり、会員は激増した。ラ・ベイの著書『悪魔の聖書』が一九六九年に出版されると、あっというまに五十万部を超えるベストセラーになった。
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