一九八九年、メキシコで恐ろしい事件が発生した。メキシコ東北部マタモロス郊外の牧場で、十四人の男が、ブードゥー教の儀式によって惨殺されたのだ。
メキシコ人の男の子は、生きたまま胸を裂かれて心臓をえぐられ、テキサスの大学生は頭をオノで割られて脳みそをぬかれ、脚をすっぱりと切りおとされていた。儀式あとの牧場の小屋には、脳みそ、血、ヤギの頭、雄鶏の足、薬草などを、一緒くたにして大釜《おおがま》で煮込んだあとがあった。
主犯は二十六歳のキューバ系アメリカ人のコンスタンソという男で、彼は毎月五トンものマリファナをアメリカに輸出している密輸組織のボスだった。彼はハイチを中心にドミニカ、キューバなどに広まっていたブードゥー教を、メキシコに持ちこんだらしい。彼はいつも、何か大取引にとりかかるとき、成功を念じて人間を生《い》け贄《に》えにして黒魔術をおこなっていたのだそうだ。
そして驚いたことに、このときの儀式で魔女を演じたのは、テキサス大学の「明るくて皆から好かれていた」、二十四歳の優秀な女子大生、サラ・マリア・アルドレーテだったのだ。
ブードゥー教にとって、主な儀式は二つある。一つは成人式の儀式で、もう一つは「ダンバラ」という至高の神の化身である、ヘビを讚える儀式である。祭の楽器としては、タム・タムのような太鼓、柄のついたヒョウタン型の打楽器や、小さな鐘などが用いられる。
ブードゥー教では、ヘビの象徴がもっとも多く用いられるが、この神聖なヘビは、宇宙の軸を中心として発顕する万物の生殖の象徴なのだそうだ。
儀式の場所には、中心に一本の柱が立っており、そのまわりにヘビをあらわす円形の図案が白墨で描かれる。高い樹木の枝につるされたカゴのなかに、ヘビが飼われており、祭りがクライマックスに達したときは、このヘビが人々のあいだに放たれるのだ。
生け贄えにはふつうは黒いメンドリ、ヤギ、羊などを用いるが、ごくたまに人間を生け贄えに用いることもある。ブードゥー教の密儀は、男女の祭司によって行なわれ、霊との交信のじゃまになるといって、男女の祭司は衣服はいっさい身につけない。
殺された動物の生暖かい血を、祭司が信者たちの頭にそれぞれ注ぐと、つぎに参列者全員がこれを飲み、そして生け贄えの肉を食べる。こうしていよいよ、タム・タムというドラムの音とともに、踊りと合唱が始まるのである。
暗い会堂の四隅に火が燃やされ、生け贄えの動物が大地に埋められると、男も女も、素足で大地を踏みつけ、のたうちまわり、ころがったり起き上がったりして、しだいにエクスタシーの状態に入っていく。
太鼓の調子が早くなり、しだいに男女の身ぶりは、性交の姿態をろこつに真似たエロチックな動作になっていく。これは、天と地の神聖な婚姻を、象徴しているのだ。やがてクライマックスに達すると、女の祭司は聖なるヘビを性器のなかに迎える。これはすなわち、霊を迎えたことなのである。
ところで、あなたはゾンビというものを耳にしたことがおありだろう。じつはゾンビとは、ブードゥー教の秘儀によって墓場からよみがえった、死者のことなのだ。墓石を押しあげて地上にさまよいでた死者たちが、生き血を求めてつぎつぎと人間を襲う「吸血ゾンビ」は、すでに恐怖映画の主人公として有名だ。
しかし、狼男や吸血鬼などの伝説上の人物とちがって、ゾンビだけは、現代でも、れっきとしてこの世に存在しているのである。
一九二〇年代、ハイチ沖のゴナベ島を旅行していたアメリカの作家シーブルックは、綿畑で働く、異様な三人の男を目撃した。彼らはいかつい黒人女に、鞭《むち》をもって残酷にこき使われているのだ。
シーブルックは彼らの死人のように痩《や》せこけた風体に驚いたが、それ以上に驚かされたものがある。一応開いてはいるが何も見てはいない、うつろな死人のような彼らの目だ。
顔はまるでお面のようで、なんの表情もみられない。シーブルックが男のだらんとぶらさがった手を握って、話しかけようとすると、黒人女が飛んできて、彼をさっさと追い払ってしまった。
さらに一九三〇年、フランス人の人類学者ド・ルーケも、やはりハイチ島で夕暮れに、綿畑から引きあげていく、奇妙な四人の男たちを目撃した。ボロを着て、だらりと両手を下げた男たちは、うつろな目をどんより見開いたままよろめき歩いていた。
顔も手足も肉らしいものがぜんぜんなく、まるでシワだらけの紙が骨に張りついているようだった。太陽がギラギラ照っているというのに、不思議に汗一つかいていない。ド・ルーケが彼らの目前に指を突き出してみせても、彼らは何も見えないように、瞬き一つしなかったそうだ。
じつはこれらの男たちこそ、ブードゥー教の魔術師によって墓のなかから生き返らされた死者たちなのだ。これらのゾンビを、魔術師は農園や砂糖園に売りつける。意思も感情もなく、文句一ついわずに働くゾンビは、農園にとってこの上なく便利な労働者なのだ。
だから、ハイチの人々は近親者が死ぬと、魔術師によってゾンビにされるのを恐れて、掘り起こされないように、頑丈な墓石の下や自宅の庭に死者を葬って、遺体が完全に腐ってしまうまで銃を持って見張ったりするのだという。
さらに死体が、ゾンビにされないための手段というものもある。とくによく行なわれるのが、死体の心臓にクイを打ち込んだり、心臓をえぐってから墓穴に埋めるという方法である。
また、ゾンビを撃退するのに有効なのは、火と塩だそうだ。火による浄化で相手をやきつくすのと、塩はゾンビにふりかけるか口にふくませれば、相手を撃退することが出来る。
こうするとゾンビはその場で倒れたりはせずに、はるばる自分の墓までもどっていって、そこで再び、今度は永遠の眠りにつくのだそうだ。こうして塩を与えられたゾンビは、二度とゾンビになることはないという。
しかし、狼男や吸血鬼などの伝説上の人物とちがって、ゾンビだけは、現代でも、れっきとしてこの世に存在しているのである。
一九二〇年代、ハイチ沖のゴナベ島を旅行していたアメリカの作家シーブルックは、綿畑で働く、異様な三人の男を目撃した。彼らはいかつい黒人女に、鞭《むち》をもって残酷にこき使われているのだ。
シーブルックは彼らの死人のように痩《や》せこけた風体に驚いたが、それ以上に驚かされたものがある。一応開いてはいるが何も見てはいない、うつろな死人のような彼らの目だ。
顔はまるでお面のようで、なんの表情もみられない。シーブルックが男のだらんとぶらさがった手を握って、話しかけようとすると、黒人女が飛んできて、彼をさっさと追い払ってしまった。
さらに一九三〇年、フランス人の人類学者ド・ルーケも、やはりハイチ島で夕暮れに、綿畑から引きあげていく、奇妙な四人の男たちを目撃した。ボロを着て、だらりと両手を下げた男たちは、うつろな目をどんより見開いたままよろめき歩いていた。
顔も手足も肉らしいものがぜんぜんなく、まるでシワだらけの紙が骨に張りついているようだった。太陽がギラギラ照っているというのに、不思議に汗一つかいていない。ド・ルーケが彼らの目前に指を突き出してみせても、彼らは何も見えないように、瞬き一つしなかったそうだ。
じつはこれらの男たちこそ、ブードゥー教の魔術師によって墓のなかから生き返らされた死者たちなのだ。これらのゾンビを、魔術師は農園や砂糖園に売りつける。意思も感情もなく、文句一ついわずに働くゾンビは、農園にとってこの上なく便利な労働者なのだ。
だから、ハイチの人々は近親者が死ぬと、魔術師によってゾンビにされるのを恐れて、掘り起こされないように、頑丈な墓石の下や自宅の庭に死者を葬って、遺体が完全に腐ってしまうまで銃を持って見張ったりするのだという。
さらに死体が、ゾンビにされないための手段というものもある。とくによく行なわれるのが、死体の心臓にクイを打ち込んだり、心臓をえぐってから墓穴に埋めるという方法である。
また、ゾンビを撃退するのに有効なのは、火と塩だそうだ。火による浄化で相手をやきつくすのと、塩はゾンビにふりかけるか口にふくませれば、相手を撃退することが出来る。
こうするとゾンビはその場で倒れたりはせずに、はるばる自分の墓までもどっていって、そこで再び、今度は永遠の眠りにつくのだそうだ。こうして塩を与えられたゾンビは、二度とゾンビになることはないという。
しかしそれでもハイチの奥地では、現在もゾンビは出現している。ブードゥー教の祭司は、男はウンガン、女はマンボと呼ばれる。ブードゥー教ではロアという名の精霊をまつるが、ロアのなかでも、もっとも崇拝されているのは、太陽や星辰《せいしん》をつかさどるダンバラと、あの世とこの世の通り道をつかさどるレグバだ。祭司たちはウムフォールと呼ばれる神殿に信徒たちを集めて、ロアを呼びおろすのである。
祭司になるには、つぎの四段階の修業を積まなければならない。(1)は呪力のある水で頭を洗い、ロアを体内に宿す力をつけること。(2)は火の試練。(3)は死者と対話する能力を身につけること。
これらの試練を経て、一人前の祭司になるのだが、さらに第四段階で、あの世を見る訓練、�目の取得�を通じて「開眼者《ボコール》」と呼ばれる存在になる必要がある。ゾンビを扱うことができるのは、このボコールに限られるのだそうだ。
ところで、一九七九年にハイチをおとずれ、ブードゥー教の魔術師から話を聞いたコーパーによると、ゾンビにされるのは生きている人間でも死体でも、どちらでもいいということだ。
墓場の死体がほしいときは、墓を掘り返して死体を引きずりだし、魔術師はその死者の名を何度も呼びつづける。やがて魂が死体から抜けると、あとは魔術師の意のままに死体が動きだすのである。
魔術師は死体を祈祷《きとう》小屋に運んでいって、自分が調合した秘薬を飲ませ、それから三週間、この死体(?)にさまざまな訓練をほどこす。魔術の呪文にしたがって、自由自在に動くようになったら、これで晴れてゾンビの出来上がりというわけだ。
死者をよみがえらせてゾンビにするための秘薬については、魔術師は、毒ヘビや動物の血液、チョウセンアサガオなどで調合するといっただけで、決して調合法を教えてはくれなかったそうだ。
よみがえったゾンビは、魔術師にともなわれ、かつての自分の家に連れて来られる。もし本当にゾンビになっているなら、自宅や家族を見ても、なんの反応も示さないはずだ。魔術師はゾンビが生前の記憶を失っていることを確認すると、彼らをしばらくのあいだ、祈祷小屋に閉じ込めてしまう。
その後、ゾンビたちには、いっさい塩の含まれていない食事が与えられる。万一ゾンビが塩をひとかけらでも口にすれば、たちまち過去のことを思い出し、墓にもどっていってしまうと言われているからだ。
しかし魔術師にねらわれるのは、何も死者だけではない。生きている人間でも、いつ魔術師に魂を抜き取られてゾンビにされるか分からないのだ。魔術師によると、生きている人間をゾンビにする方法は、三つあるという。
まず第一は、相手に魔術師の秘薬を飲ませる昔ながらの方法だ。この秘薬を飲んだ人間は、たちどころに血を吐いてたおれ、仮死状態になってしまう。てっきり死んだものと思って家族のものが墓に埋めれば、その夜のうちに魔術師が墓を掘り出しにいく。
しかしこの方法を用いる者はいまは少ないという。現在は、魔術師の投薬で人が死ぬことがあれば、当局に逮捕されてしまうからだそうだ。
第二は、秘薬などは使わず、呪文と悪霊の力だけで生きている人間から魂をぬきとる方法だが、これはもっともむずかしいとされている。そこで、いちばん普通に用いられるのは第三の方法である。
墓地の土と死体の骨の粉を混ぜあわせて「悪魔の粉末」をつくり、ゾンビにしたいと思う相手の、家のまわりにまき散らすのだ。すると、これを踏んでしまった相手の足のうらから粉末の薬がしみ込んでいき、やがて仮死状態になってしまうのだそうだ。
ところで、魔術師たちが用いる秘薬とはいったい何なのだろう。彼らは本当に、死者をよみがえらせることが出来るのだろうか?
一説によると、魔術師は死者にわずかにのこっている生体エネルギーを、活性化させて用いているのだとも言われる。また、じつはゾンビは死人などではなく、脳をマヒさせる特殊な薬を飲まされて、記憶や意識を失って仮死状態になった人間だという説もある。彼らが死んだように見えるのは、薬の効果で、人には死んだとしか思えないほど、深い昏睡状態におちいっているからだそうだ。
しかし、本当に、人間をそこまでの仮死状態にするような薬が存在するのだろうか? これも現代の研究によると、ハイチに成育するチョウセンアサガオから抽出した液体には、強いマヒ状態や昏睡状態や記憶喪失をひきおこす作用があることが判明している。そう考えれば、小屋に隔離されてからのゾンビが、チョウセンアサガオを食用に与えられることも納得がいく。
現在、ハイチにはビンゴ・シャンポールという秘密組織があって、ハイチ各地の魔術師たちとつねに連絡をとりあって、ゾンビを計画的に大量に製造しているのだともいうから、恐ろしい話だ……。
祭司になるには、つぎの四段階の修業を積まなければならない。(1)は呪力のある水で頭を洗い、ロアを体内に宿す力をつけること。(2)は火の試練。(3)は死者と対話する能力を身につけること。
これらの試練を経て、一人前の祭司になるのだが、さらに第四段階で、あの世を見る訓練、�目の取得�を通じて「開眼者《ボコール》」と呼ばれる存在になる必要がある。ゾンビを扱うことができるのは、このボコールに限られるのだそうだ。
ところで、一九七九年にハイチをおとずれ、ブードゥー教の魔術師から話を聞いたコーパーによると、ゾンビにされるのは生きている人間でも死体でも、どちらでもいいということだ。
墓場の死体がほしいときは、墓を掘り返して死体を引きずりだし、魔術師はその死者の名を何度も呼びつづける。やがて魂が死体から抜けると、あとは魔術師の意のままに死体が動きだすのである。
魔術師は死体を祈祷《きとう》小屋に運んでいって、自分が調合した秘薬を飲ませ、それから三週間、この死体(?)にさまざまな訓練をほどこす。魔術の呪文にしたがって、自由自在に動くようになったら、これで晴れてゾンビの出来上がりというわけだ。
死者をよみがえらせてゾンビにするための秘薬については、魔術師は、毒ヘビや動物の血液、チョウセンアサガオなどで調合するといっただけで、決して調合法を教えてはくれなかったそうだ。
よみがえったゾンビは、魔術師にともなわれ、かつての自分の家に連れて来られる。もし本当にゾンビになっているなら、自宅や家族を見ても、なんの反応も示さないはずだ。魔術師はゾンビが生前の記憶を失っていることを確認すると、彼らをしばらくのあいだ、祈祷小屋に閉じ込めてしまう。
その後、ゾンビたちには、いっさい塩の含まれていない食事が与えられる。万一ゾンビが塩をひとかけらでも口にすれば、たちまち過去のことを思い出し、墓にもどっていってしまうと言われているからだ。
しかし魔術師にねらわれるのは、何も死者だけではない。生きている人間でも、いつ魔術師に魂を抜き取られてゾンビにされるか分からないのだ。魔術師によると、生きている人間をゾンビにする方法は、三つあるという。
まず第一は、相手に魔術師の秘薬を飲ませる昔ながらの方法だ。この秘薬を飲んだ人間は、たちどころに血を吐いてたおれ、仮死状態になってしまう。てっきり死んだものと思って家族のものが墓に埋めれば、その夜のうちに魔術師が墓を掘り出しにいく。
しかしこの方法を用いる者はいまは少ないという。現在は、魔術師の投薬で人が死ぬことがあれば、当局に逮捕されてしまうからだそうだ。
第二は、秘薬などは使わず、呪文と悪霊の力だけで生きている人間から魂をぬきとる方法だが、これはもっともむずかしいとされている。そこで、いちばん普通に用いられるのは第三の方法である。
墓地の土と死体の骨の粉を混ぜあわせて「悪魔の粉末」をつくり、ゾンビにしたいと思う相手の、家のまわりにまき散らすのだ。すると、これを踏んでしまった相手の足のうらから粉末の薬がしみ込んでいき、やがて仮死状態になってしまうのだそうだ。
ところで、魔術師たちが用いる秘薬とはいったい何なのだろう。彼らは本当に、死者をよみがえらせることが出来るのだろうか?
一説によると、魔術師は死者にわずかにのこっている生体エネルギーを、活性化させて用いているのだとも言われる。また、じつはゾンビは死人などではなく、脳をマヒさせる特殊な薬を飲まされて、記憶や意識を失って仮死状態になった人間だという説もある。彼らが死んだように見えるのは、薬の効果で、人には死んだとしか思えないほど、深い昏睡状態におちいっているからだそうだ。
しかし、本当に、人間をそこまでの仮死状態にするような薬が存在するのだろうか? これも現代の研究によると、ハイチに成育するチョウセンアサガオから抽出した液体には、強いマヒ状態や昏睡状態や記憶喪失をひきおこす作用があることが判明している。そう考えれば、小屋に隔離されてからのゾンビが、チョウセンアサガオを食用に与えられることも納得がいく。
現在、ハイチにはビンゴ・シャンポールという秘密組織があって、ハイチ各地の魔術師たちとつねに連絡をとりあって、ゾンビを計画的に大量に製造しているのだともいうから、恐ろしい話だ……。