テンプル騎士団は、もともとは聖地エルサレムに参詣に行く巡礼者を守るため、一二世紀に第一回十字軍のあと、フランスの騎士たちによって創設された宗団である。その本部が、エルサレムのソロモン王の神殿跡に置かれたため、いつしかテンプル(聖堂)騎士団と呼ばれることになった。
団員たちは長いヒゲをはやし、胸に赤十字のついた白服に、長剣と楯を手に雄々しく異教徒と戦い、それ打ち破っては、人々の熱狂的な歓迎を受けたという。感動した諸国の王侯貴族から、やがて彼らのもとに莫大な寄付が集まってきた。いつしか宗団は大きな勢力と富を得て、各国に支部を持つようになったのだ。
彼らはフランス、イタリア、スペインなどに広大な修道院領を有し、金融業にも手を出して、国王を大きくうわまわる勢力を持つようになった。特にフランスでは各地に一万もの拠点をもち、大事業をいとなんで国王に金を貸してさえいた。
いわばフランス国内に、もう一つの国があったようなものである。貸し金庫、複式簿記など、近代の経理技術の基本を築いたのが、実はこのテンプル騎士団なのだ。法王領内の公金の取扱いや、遠隔地への送金なども、すべて彼らの組織が仕切っていたという。
そしてこの宗団の盛況ぶりに反して、フランス国王フィリップ四世のほうは、国庫の赤字に頭を悩ませていた。日ごろからテンプル騎士団の傲慢《ごうまん》さに業をにやしていたフィリップ四世は、ある日、国庫の赤字を埋めるには、この宗団の財産を没収するのが手っとりばやい方法だと思いついたのである。
そこでフィリップ四世は法王クレメンス五世に働きかけ、こうして恐ろしいテンプル騎士団迫害がはじまった。フランスの宰相ノガレが、罪もない団員をつぎつぎ捕らえては、残酷な拷問を行なったのだ。
�悪魔礼拝教団�なる烙印《らくいん》をおされた、この宗団がかけられた嫌疑は、つぎのようなものだった。
●宗教的儀式で十字架をふみにじり、神を否認し冒涜《ぼうとく》する宗教活動を行なったこと。
●三つの頭を持つ忌まわしい偶像を神としてあがめ、悪魔礼拝を行なったこと。
●悪魔の宴サバトを行ない、悪魔や配下の牝夢魔らと、許されぬ性交をむすんだこと。
●宗団への新入者が入団式で、指導者の尻に接吻して、忠誠のあかしを立てたこと。
●宗団の騎士たちの大半が、男色の罪を犯したこと。
●三つの頭を持つ忌まわしい偶像を神としてあがめ、悪魔礼拝を行なったこと。
●悪魔の宴サバトを行ない、悪魔や配下の牝夢魔らと、許されぬ性交をむすんだこと。
●宗団への新入者が入団式で、指導者の尻に接吻して、忠誠のあかしを立てたこと。
●宗団の騎士たちの大半が、男色の罪を犯したこと。
多くの証人が法廷に呼びだされて、団員が酒宴でらんちき騒ぎをしているとか、男色行為を行なっているとか、異教徒と通じているなどと証言した。入団式のとき十字架を見せられ、キリストを信じるかときかれてハイと答えると、「キリストは神ではなく嘘《うそ》つき予言者だ」と吐き捨てるように言われたという者もいた。
また、悪魔のような恐ろしい顔をした偶像を見せられ、これを拝むように命じられたと言う者もいたし、十字架につばを吐きかけるように命じられたり、猥褻《わいせつ》行為や非道行為を行なうように命じられ、嫌だというと牢にぶちこまれたという者もいた。
こうして五年のあいだに計五十四人の騎士団員が捕らえられ、身体に無数のクサビを打ちこまれるなどの残酷な拷問を受けて、火あぶりにされていったのである。
やがて法王クレメンス五世が発行した教書で、一万五千余の騎士や無数の団員を擁していた宗団は解散させられ、首領ジャック・ド・モレーは火刑にされ、宗団の莫大な財産は国に没収されてしまった。
ド・モレーは一三一四年三月に火あぶりになる前に、「自分はフランス国王とローマ法王に、今年中に、神の法廷への出頭を命じるだろう」と言い残したという。事実、フィリップ四世もクレメンス五世も、その年のうちに急死してしまった。フィリップ四世は四十六歳の若さというのに原因不明の衰弱死で、「余は呪《のろ》われている!」というのが最期の言葉だったという。やはり、テンプル騎士団の呪いだったのだろうか?
また、悪魔のような恐ろしい顔をした偶像を見せられ、これを拝むように命じられたと言う者もいたし、十字架につばを吐きかけるように命じられたり、猥褻《わいせつ》行為や非道行為を行なうように命じられ、嫌だというと牢にぶちこまれたという者もいた。
こうして五年のあいだに計五十四人の騎士団員が捕らえられ、身体に無数のクサビを打ちこまれるなどの残酷な拷問を受けて、火あぶりにされていったのである。
やがて法王クレメンス五世が発行した教書で、一万五千余の騎士や無数の団員を擁していた宗団は解散させられ、首領ジャック・ド・モレーは火刑にされ、宗団の莫大な財産は国に没収されてしまった。
ド・モレーは一三一四年三月に火あぶりになる前に、「自分はフランス国王とローマ法王に、今年中に、神の法廷への出頭を命じるだろう」と言い残したという。事実、フィリップ四世もクレメンス五世も、その年のうちに急死してしまった。フィリップ四世は四十六歳の若さというのに原因不明の衰弱死で、「余は呪《のろ》われている!」というのが最期の言葉だったという。やはり、テンプル騎士団の呪いだったのだろうか?
テンプル騎士団が本当に悪魔礼拝の結社だったかどうかは不明だが、騎士団に、秘儀やきびしい戒律があったのは事実のようだ。外部の立ち入りを禁止して行なわれた神秘的な秘儀の数々が、しだいに周囲の人々からうさんくさいものに思われるようになったこともある。
テンプル騎士団に入団する者は入団式のとき、キリストを否定するしるしとして、十字架につばを吐きかけたり足で踏みつけるよう強いられた。これがすむと初めて、団員の着る帯つきの白い長衣を与えられたという。
また、つぎのようなエロチックな入団式が行なわれたという話もある。入会者は教会堂の一室に入って服をぬいで裸になり、水で全身を洗い清め、宗団のおきてを守ることを誓わせられる。団員の質問にひととおり答えてから、バフォメットという奇怪な偶像をおがみ、宗団の長老から接吻を受ける。問題なのはその接吻で、口だけでなくお腹やヘソや、なんと性器にも与えられたというのだ!
さらに入団式のとき、男色の実行を強制されたという説もある。これも真偽のほどは不明だが、この説の根拠としてよく引き合いに出されるものに、団員たちが入団のとき授与される印章がある。印章には、一頭の馬に二人の騎士が並んで乗っているという、意味深長な図が彫られているのだ。
バフォメットは、テンプル騎士団の団員たちが拝んでいた、グロテスクな偶像だと言うが、そのイメージは曖昧《あいまい》で、たださまざまな伝説をもとに、その姿を想像してみるほかはない。
バフォメット像は真っ白なヒゲがはえ、目をぎらぎら輝かせた、恐ろしい男の顔をしているという者もいる。ネコの顔だという者もいるし、女の顔だという者もいる。両性具有者だという者もいるし、頭が二つあるという者もいる。このように幾つもの説があるのは、拷問を受けた騎士団員が、なんとか助かろうと、苦悶のなかで口から出まかせに白状したためだろう。
バフォメットは地獄の魔王のことで、血塗られた人間犠牲を要求したという説もある。騎士団員は、生まれたばかりの赤ん坊をさらってきて、バフォメットに生《い》け贄《に》えとして捧げていたとも言われるのだ。
パリのサン・メリ教会の正面入口に、おぞましい悪魔の浮き彫りがあるが、伝説によると、これこそがテンプル騎士団のバフォメットだそうだ。浮き彫り像は、背中に二つのツバサがあり、胸に大きな乳房が垂れ、両脚を組んですわっている、実に恐ろしい顔をした悪魔である。
一説によると、バフォメット像は一種の「テラピム」ではなかったかとも言われる。テラピムとは、たいていのユダヤ人家庭にある守護神のことで、その家の者が未来のことを質問すると、それに応えていろいろな予言をしてくれるという偶像である。テンプル騎士団の入団式のときも、このバフォメット像がさまざまな予言を行なったのだろうと察せられるのだ。
テンプル騎士団に入団する者は入団式のとき、キリストを否定するしるしとして、十字架につばを吐きかけたり足で踏みつけるよう強いられた。これがすむと初めて、団員の着る帯つきの白い長衣を与えられたという。
また、つぎのようなエロチックな入団式が行なわれたという話もある。入会者は教会堂の一室に入って服をぬいで裸になり、水で全身を洗い清め、宗団のおきてを守ることを誓わせられる。団員の質問にひととおり答えてから、バフォメットという奇怪な偶像をおがみ、宗団の長老から接吻を受ける。問題なのはその接吻で、口だけでなくお腹やヘソや、なんと性器にも与えられたというのだ!
さらに入団式のとき、男色の実行を強制されたという説もある。これも真偽のほどは不明だが、この説の根拠としてよく引き合いに出されるものに、団員たちが入団のとき授与される印章がある。印章には、一頭の馬に二人の騎士が並んで乗っているという、意味深長な図が彫られているのだ。
バフォメットは、テンプル騎士団の団員たちが拝んでいた、グロテスクな偶像だと言うが、そのイメージは曖昧《あいまい》で、たださまざまな伝説をもとに、その姿を想像してみるほかはない。
バフォメット像は真っ白なヒゲがはえ、目をぎらぎら輝かせた、恐ろしい男の顔をしているという者もいる。ネコの顔だという者もいるし、女の顔だという者もいる。両性具有者だという者もいるし、頭が二つあるという者もいる。このように幾つもの説があるのは、拷問を受けた騎士団員が、なんとか助かろうと、苦悶のなかで口から出まかせに白状したためだろう。
バフォメットは地獄の魔王のことで、血塗られた人間犠牲を要求したという説もある。騎士団員は、生まれたばかりの赤ん坊をさらってきて、バフォメットに生《い》け贄《に》えとして捧げていたとも言われるのだ。
パリのサン・メリ教会の正面入口に、おぞましい悪魔の浮き彫りがあるが、伝説によると、これこそがテンプル騎士団のバフォメットだそうだ。浮き彫り像は、背中に二つのツバサがあり、胸に大きな乳房が垂れ、両脚を組んですわっている、実に恐ろしい顔をした悪魔である。
一説によると、バフォメット像は一種の「テラピム」ではなかったかとも言われる。テラピムとは、たいていのユダヤ人家庭にある守護神のことで、その家の者が未来のことを質問すると、それに応えていろいろな予言をしてくれるという偶像である。テンプル騎士団の入団式のときも、このバフォメット像がさまざまな予言を行なったのだろうと察せられるのだ。