錬金術師は本当にただの鉛や銅のかたまりから、黄金を作りだすことに成功したのだろうかと、あなたは自問なさることだろう。たしかに科学的に考えれば、鉛や銅を黄金に変化させるには、元素そのものを変質させなくては不可能だ。では中世の錬金術師たちは、単に不可能なことに挑戦していただけなのだろうか?
しかしじつは、錬金術というものが決してただのおとぎ話などでなかったという証拠に、錬金術師が残したたしかな証拠品がいまも陳列されているのだ。一つは現在ロンドンの大英博物館にある不思議な黄金製の弾丸で、これは一八一四年に錬金術師が鉛の弾丸から黄金に変化させた珍品だという。
もう一つはウィーンの歴史博物館に現存する大きさ四〇センチ、重さ七キロのメダルで、これはメダルの上部三分の一が黄金になっていて、一六七七年に修道士ウェンツェルが、銀から金に錬金術で変成させた証拠品だと確認されているのだ。
錬金術師たちは、古くは紀元前一世紀ごろからエジプトや中国にあらわれ、不老不死の霊薬や硫化水銀から金をつくる秘法をさかんに研究していた。一四世紀ごろから突然ヨーロッパ中に錬金術ブームがまきおこり、多くの錬金術師が、実験室に溶鉱炉や蒸留器やレトルトなどをそなえて研究をつづけた。
錬金術師の社会的地位はさまざまで、貴族、平民、僧侶《そうりよ》、学者、医者、職人など、あらゆる社会階級の人々が集まっていた。これら無数の錬金術師らが、当時のヨーロッパ諸国で放浪の旅を送っていたのである。
錬金術師らは、しばしば変名をもちいながらヨーロッパ中を放浪し、たまに何処《どこ》かの街に定住しても、いったん金属変成に成功すれば、人目にたたぬように、さっさとそこを引き払ってしまうのだった。
彼らは同業組合に似た秘密結社を介し、自分たちだけが分かる合言葉を用いて、たがいに連絡をたもっていた。長い漂泊の旅のあいだも、彼らが何処に行こうとつねに宿や食べ物の心配がなかった理由は、ここにある。
パリやプラハのような街では、いくつかの通りに立ちならぶ家々全部が、錬金術の工房として使用されているようなこともあった。錬金術師らは、永遠の放浪者としてときにはジプシーの群れに加わり、あるいは聖職者階層や聖堂建築の同業組合に入り込み、隠れた一大勢力を形成していた。
こんな不穏な勢力拡大を、権力者が手をこまねいて見ているわけがない。たとえば一四世紀の法王ヨハネス二二世は、錬金術をおさめる者すべてを破門する教書を出した。さらに宗教裁判所は、数人の錬金術師を焚刑《ふんけい》に処した。
にもかかわらず、錬金術師らは着々と勢力をのばし、ときには君侯の庇護《ひご》をも受けて、重要な政治的役割を演じるようになった。
錬金術の教育は、師から弟子への口伝えによるのがふつうで、錬金術をこころざす者は、良き師に出会うため、長い旅に出ることも辞さなかった。教育はたいていは問答の形でおこなわれ、それを暗唱させられるのだった。
錬金術師らは、�大いなる作業�と�秘密の哲学�の秘密を、一般の人々の目から隠そうとつとめた。
ロージャー・ベーコンは書いている。
「秘密が明かされると、力は減少する。民衆は秘密など理解することもなしに、それを卑俗な用途にもちい、価値をすっかり下落させてしまう。さらにまた悪人どもが�秘法�を知ったら、それを悪用して世の中を引っ繰り返してしまうに違いない。だから私は、秘密について誰にでも分かるようなかたちでは書かない」
かつて、支配者や王たちは、熱心に黄金を探し求めた。一六世紀後半、ヴェネツィア総督は、自国の窮迫した財政を建てなおすため、キプロス人の錬金術師をやとったし、イギリス王チャールズ二世は、寝室の地下に錬金術用の実験室をこしらえた。
スコットランド王ジェームス四世も、一人の錬金術師をやとい入れた。その錬金術師は黄金を造り出そうとしただけでなく、二枚の翼で空を飛ぼうとさえして、スターリング城の胸壁から飛びおり、まっさかさまに落ちて足の骨を折ってしまったそうだ。
一六七五年には、ある錬金術師が皇帝レオポルド一世のまえで、銅と錫を黄金に変えた。一八八八年の調査で、この金属の重量は、ちょうど金と銀との中間であることが判明したという。
錬金術師の究極の目的は、賢者の石を造りだすことで、この石はあらゆるものを黄金に変える力をもつと信じられていた。一七世紀の化学者J・B・フォン・ヘルモントは、こう書いている。
「私は一度ならず賢者の石を見、それに触れた。色はサフランに似ているが、もっと光沢があり、粒状のガラスにも似ている。あるとき私は、それを百分の六オンス手に入れた。これを紙に包み、八オンスの水銀を加えてルツボで熱すると、水銀は小さな音をたてて一瞬後に凝固し、黄金のかたまりになった。これを強火で溶かすと、八オンス・マイナス・一一グレーンの純金となった」
錬金術師らは、宇宙の神秘を深く理解した者だけが、賢者の石を造りだせるのだと信じた。これらの神秘は、それに値しない人々に知られる危険を恐れて,決して平明な言葉で表現されることはなく、神秘的シンボリズムとアレゴリーを通じて伝達されるだけだった。そしてそれらは、ただ神秘的経験を通じてのみ把握されることが出来るのだった。
錬金術師らは、四季のリズムを尊重して、ふつう錬金薬の製造を春にはじめた。一年中で春がいちばん�世界の精気�にあふれ、懐胎と分娩に適していると考えていたからである。また、諸惑星の位置が吉相であることを前もって確認してから、実験を始める者もいた。
ところで、なぜ金は金であり、銅は銅なのか。錬金術師らに言わせれば、それは金に含まれる元素と、銅に含まれている元素とが、種類や割合が異なるからだった。つまり金と銀は�健康で�完全な金属で、銅や鉛は�病んだ�不完全な金属なのだ。
だから、病める金属の元素を治療してやれば、健康な金属に変成するというわけである。そしてその治療にあたる方法というのが、ほかならぬ「賢者の石」なのだ……。
かつてアリストテレスは、世界は火、気、水、土の四つの元素からなっているという考えをとなえた。�火、気、水、土�の四大元素は、あらゆるもののなかにある、�温・寒・湿・乾�という四つの基本的性質の二つを結合する。�火�は温と乾、�気�は温と湿、�水�は乾と湿、�土�は寒と乾という具合である。
ある元素の性質が一つでも変化すると、それは別の元素に変わる。たとえば温と乾の結びついた火が熱を失うと、寒で乾の土に変化する。寒と湿の結びついた水が温められると、温で湿の空気に変化する。
この理論こそ錬金術の原理で、これによってあらゆる変成の可能性がひらかれる。金はある比率における、四大元素の混合物なのである。
一二、三世紀には、金属は水銀と硫黄から成っていると考えられていた。燃焼性の強い硫黄は、火のように活発な男性的原理。水銀は、水性で受動的な女性的原理とみなされた。
理想的な�賢者の石�は、賢者の硫黄と水銀が、完全なバランスで結びついたものである。二つの原料を結合することが、�賢者の石�をつくり出す基本的方法だったのだ。
ところが一六世紀の錬金術師パラケルススは、アリストテレスの四大元素説を一応は受け入れながら、それはさらにもっと根源的な三つの元素から成りたっていると考えた。物質を可燃性にする硫黄、流動的にする水銀、凝固させる塩の三つで、世界で起こるすべての現象は、これらが絡みあって生じるというのである。
硫黄・水銀・塩というのは、同名の化学物質のことではなく、物質のある種の特性をあらわしている。つまり�硫黄�は能動的特性(可燃性や、金属を腐食する力など)を、�水銀�は受動的特性(輝き、揮発性、可溶性、可鍛性)を。そして�塩�は、硫黄と水銀を結びつける手段で、魂と肉体を結びつける精気にたとえられる。
錬金術師が、能動的要素たる硫黄を金属の父とよび、受動的要素たる水銀を金属の母とよぶ所以《ゆえん》も、そこにある。地中では互いに別れている二要素は、たえず互いに引きあい、さまざまな割合で結合し、地心の火の影響を受けて、さまざまな金属や鉱物を作る。
必要なのは、硫黄と水銀を結合させることだ。水銀だけや硫黄だけでは不可能だが、両者が結合すれば、各種金属や鉱物とを生み出すことができる。�賢者の石�も,またしかりである。
だから、病める金属の元素を治療してやれば、健康な金属に変成するというわけである。そしてその治療にあたる方法というのが、ほかならぬ「賢者の石」なのだ……。
かつてアリストテレスは、世界は火、気、水、土の四つの元素からなっているという考えをとなえた。�火、気、水、土�の四大元素は、あらゆるもののなかにある、�温・寒・湿・乾�という四つの基本的性質の二つを結合する。�火�は温と乾、�気�は温と湿、�水�は乾と湿、�土�は寒と乾という具合である。
ある元素の性質が一つでも変化すると、それは別の元素に変わる。たとえば温と乾の結びついた火が熱を失うと、寒で乾の土に変化する。寒と湿の結びついた水が温められると、温で湿の空気に変化する。
この理論こそ錬金術の原理で、これによってあらゆる変成の可能性がひらかれる。金はある比率における、四大元素の混合物なのである。
一二、三世紀には、金属は水銀と硫黄から成っていると考えられていた。燃焼性の強い硫黄は、火のように活発な男性的原理。水銀は、水性で受動的な女性的原理とみなされた。
理想的な�賢者の石�は、賢者の硫黄と水銀が、完全なバランスで結びついたものである。二つの原料を結合することが、�賢者の石�をつくり出す基本的方法だったのだ。
ところが一六世紀の錬金術師パラケルススは、アリストテレスの四大元素説を一応は受け入れながら、それはさらにもっと根源的な三つの元素から成りたっていると考えた。物質を可燃性にする硫黄、流動的にする水銀、凝固させる塩の三つで、世界で起こるすべての現象は、これらが絡みあって生じるというのである。
硫黄・水銀・塩というのは、同名の化学物質のことではなく、物質のある種の特性をあらわしている。つまり�硫黄�は能動的特性(可燃性や、金属を腐食する力など)を、�水銀�は受動的特性(輝き、揮発性、可溶性、可鍛性)を。そして�塩�は、硫黄と水銀を結びつける手段で、魂と肉体を結びつける精気にたとえられる。
錬金術師が、能動的要素たる硫黄を金属の父とよび、受動的要素たる水銀を金属の母とよぶ所以《ゆえん》も、そこにある。地中では互いに別れている二要素は、たえず互いに引きあい、さまざまな割合で結合し、地心の火の影響を受けて、さまざまな金属や鉱物を作る。
必要なのは、硫黄と水銀を結合させることだ。水銀だけや硫黄だけでは不可能だが、両者が結合すれば、各種金属や鉱物とを生み出すことができる。�賢者の石�も,またしかりである。
賢者の石を造るための錬金術には、七つの過程があるとも、十二の過程があるとも言われる。作業は、もっとも不純な�鉛の�状態にある原料から始め、それが純金になるまで純度を徐々に高めていくのである。
イギリスの錬金術師ジョージ・リプレイは、一四七〇年発表の『錬金術の方法』で、十一の過程のリストをあげている。焼成、溶解、分離、結合、腐敗、凝固、吸収、昇華、醗酵《はつこう》、増殖、変質である。
イギリスの錬金術師ジョージ・リプレイは、一四七〇年発表の『錬金術の方法』で、十一の過程のリストをあげている。焼成、溶解、分離、結合、腐敗、凝固、吸収、昇華、醗酵《はつこう》、増殖、変質である。
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(1)焼成は、錬金術用の原料を、細かい粉や灰になるまで燃焼する過程。この作業には、一年間燃えつづける中ぐらいの熱が必要だ。この作業は、卑金属の表面を破壊して、表面的資質をすべて取りのぞく過程と考えられていた。
(2)溶解は、水銀あるいは燃焼時に発した気体を凝縮して作った水銀液のなかで、燃焼した灰を溶かす過程。一連の作業のなかでも、特に困難な過程とされている。
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「すべてが水に変わるまで、いかなる処置も施すべからず」と言われ、原料の液化は錬金術の重要な第一段階とみなされた。
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(3)分離は、原料物質を�水銀・硫黄・塩�、あるいは�霊・魂・肉体�に分離することを意味する。物質をさらに純化して、もう一歩、第一原質に近づけるのが目的だった。
(4)結合は、四大元素の再統合、あるいは水銀・硫黄・塩の再結合である。これには適度の一定の加熱が必要だが、温度を維持しつづけるのは非常にむずかしかった。カマドのなかの湿度を測定する方法もなかったし、熱を一定にするのも容易でなかった。
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ここで錬金術師は、�第一原質�と、生命の活動的生気から成る、原料のもっとも初期の形に達したことになる。つぎの段階は、原料を殺してその生気を解き放つ、�腐敗�という過程である。
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(5)腐敗は、原料を湿った熱にさらし、器を湯煎鍋《ゆせんなべ》のなかの、たぎる汚物のなかで温める作業である。器の底の原料はしだいに黒く変色する。これは原料が�第一原質�になったしるしなのだ。
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腐敗には墓場の悪臭に似た、いやな臭いがともなうという。第一原質にとって、腐敗は不可欠だ。再生には、その前段階としての腐敗(死)が、欠かせないものだからだ。
同時にこのとき、気体(生気、精神)が立ちのぼる。気体は、『創世記』の闇のなかの水上をただよう霊のように、器の中の黒い物質のうえをただよう。それは第一原質に浸透してそれを活性化し、やがて賢者の石となる胚子をつくる。
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(6)凝固。器を温めているあいだに、気体は液体に変化して第一原質をひたし、やがて器の中の液体は、白い固体の結晶に変わる。天地創造の第三日目の、水の中から乾いた土地が出現するという現象にたとえられる、�凝固�と呼ばれる過程である。�賢者の石�の諸要素もそのとき、一緒にあふれ出るという。
(7)吸収の過程で、器の中の胚子状態の石に、生の養分が与えられる。いわば、乳児への授乳にあたる。パラケルススの弟子ガーハード・ドーンは、人の生血、クサノオウ、蜂蜜などの材料を加えることをすすめている。
(8)昇華は、一種の純化である。器の中の固い物質は、気体を発するまで温められ、すぐに冷やされて再び固体に凝固される。石の身体から誕生のときに出る汚物を取りのぞくのが目的で、この過程は何度もくりかえされる。
(9)醗酵の過程で、器の中の物質は黄化する。ここで少量の黄金を加えよと、多くの錬金術師がすすめている。この段階で、石は卑金属を変質する力を獲得する。
(10)増殖は、作業における最終的な色の変化、つまり赤化をもたらす。この段階で、石のあらゆる構成要素は、調和と統一の中で混ざりあう。かまどの熱はいまや最高温度に達し、ついに錬金術師の長い苦労の結果である、�賢者の石�があらわれるのだ。
(11)変質と呼ばれる最終過程で、卑金属の黄金への変質をうながすため、石が卑金属に加えられる。たいてい、石の一片を蝋《ろう》か紙に包み、ルツボの中で卑金属とともに熱するというやり方である。これは石の構成要素をくりかえし均衡に導き、組みあわせるという作業である。
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こうして完成した賢者の石は、ルビー色に輝く、粉末のすがたになってあらわれるはずである。オルトランによると、「それはしだいに赤い、透明な流動性の液化可能な石となる。それは水銀やありとあらゆる物体に浸透し、金を造りだすのに適した物質に変化させることができる。石は人間の体をあらゆる病から治し、健康を回復させる。これを用いてガラスを製造したり、宝石をざくろ石のような光輝く赤色に染めることもできる」
完成した�石�は、二様のかたちで用いることができた。塩の形か、または水銀をふくむ水に溶かした液体の形である。�賢者の石�は万病を癒し、心臓の毒を消し去り、気管をうるおし、潰瘍《かいよう》をなおす。
それは一カ月つづいた病を一日で、一年つづいた病を十二日で、もっと長い病を一月でいやし、老人に若さを返すという。賢者の石は�万能薬�でもあり、�長寿のエリキサ�でもある。
さらに錬金術師らによれば、�石�は錬金術師の姿を見えなくしたり、天使たちと交流させたり、のみならず自由に空を飛ばせたりする力さえ持つということである。
�石�を手中ににぎると、その人の姿は見えなくなる。薄い布地に縫いこみ、�石�をよくあたためるように布をしっかり体に巻きつけると、好きなだけ高く空中に浮かぶことができるのだそうだ。
(1)焼成は、錬金術用の原料を、細かい粉や灰になるまで燃焼する過程。この作業には、一年間燃えつづける中ぐらいの熱が必要だ。この作業は、卑金属の表面を破壊して、表面的資質をすべて取りのぞく過程と考えられていた。
(2)溶解は、水銀あるいは燃焼時に発した気体を凝縮して作った水銀液のなかで、燃焼した灰を溶かす過程。一連の作業のなかでも、特に困難な過程とされている。
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「すべてが水に変わるまで、いかなる処置も施すべからず」と言われ、原料の液化は錬金術の重要な第一段階とみなされた。
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(3)分離は、原料物質を�水銀・硫黄・塩�、あるいは�霊・魂・肉体�に分離することを意味する。物質をさらに純化して、もう一歩、第一原質に近づけるのが目的だった。
(4)結合は、四大元素の再統合、あるいは水銀・硫黄・塩の再結合である。これには適度の一定の加熱が必要だが、温度を維持しつづけるのは非常にむずかしかった。カマドのなかの湿度を測定する方法もなかったし、熱を一定にするのも容易でなかった。
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ここで錬金術師は、�第一原質�と、生命の活動的生気から成る、原料のもっとも初期の形に達したことになる。つぎの段階は、原料を殺してその生気を解き放つ、�腐敗�という過程である。
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(5)腐敗は、原料を湿った熱にさらし、器を湯煎鍋《ゆせんなべ》のなかの、たぎる汚物のなかで温める作業である。器の底の原料はしだいに黒く変色する。これは原料が�第一原質�になったしるしなのだ。
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腐敗には墓場の悪臭に似た、いやな臭いがともなうという。第一原質にとって、腐敗は不可欠だ。再生には、その前段階としての腐敗(死)が、欠かせないものだからだ。
同時にこのとき、気体(生気、精神)が立ちのぼる。気体は、『創世記』の闇のなかの水上をただよう霊のように、器の中の黒い物質のうえをただよう。それは第一原質に浸透してそれを活性化し、やがて賢者の石となる胚子をつくる。
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(6)凝固。器を温めているあいだに、気体は液体に変化して第一原質をひたし、やがて器の中の液体は、白い固体の結晶に変わる。天地創造の第三日目の、水の中から乾いた土地が出現するという現象にたとえられる、�凝固�と呼ばれる過程である。�賢者の石�の諸要素もそのとき、一緒にあふれ出るという。
(7)吸収の過程で、器の中の胚子状態の石に、生の養分が与えられる。いわば、乳児への授乳にあたる。パラケルススの弟子ガーハード・ドーンは、人の生血、クサノオウ、蜂蜜などの材料を加えることをすすめている。
(8)昇華は、一種の純化である。器の中の固い物質は、気体を発するまで温められ、すぐに冷やされて再び固体に凝固される。石の身体から誕生のときに出る汚物を取りのぞくのが目的で、この過程は何度もくりかえされる。
(9)醗酵の過程で、器の中の物質は黄化する。ここで少量の黄金を加えよと、多くの錬金術師がすすめている。この段階で、石は卑金属を変質する力を獲得する。
(10)増殖は、作業における最終的な色の変化、つまり赤化をもたらす。この段階で、石のあらゆる構成要素は、調和と統一の中で混ざりあう。かまどの熱はいまや最高温度に達し、ついに錬金術師の長い苦労の結果である、�賢者の石�があらわれるのだ。
(11)変質と呼ばれる最終過程で、卑金属の黄金への変質をうながすため、石が卑金属に加えられる。たいてい、石の一片を蝋《ろう》か紙に包み、ルツボの中で卑金属とともに熱するというやり方である。これは石の構成要素をくりかえし均衡に導き、組みあわせるという作業である。
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こうして完成した賢者の石は、ルビー色に輝く、粉末のすがたになってあらわれるはずである。オルトランによると、「それはしだいに赤い、透明な流動性の液化可能な石となる。それは水銀やありとあらゆる物体に浸透し、金を造りだすのに適した物質に変化させることができる。石は人間の体をあらゆる病から治し、健康を回復させる。これを用いてガラスを製造したり、宝石をざくろ石のような光輝く赤色に染めることもできる」
完成した�石�は、二様のかたちで用いることができた。塩の形か、または水銀をふくむ水に溶かした液体の形である。�賢者の石�は万病を癒し、心臓の毒を消し去り、気管をうるおし、潰瘍《かいよう》をなおす。
それは一カ月つづいた病を一日で、一年つづいた病を十二日で、もっと長い病を一月でいやし、老人に若さを返すという。賢者の石は�万能薬�でもあり、�長寿のエリキサ�でもある。
さらに錬金術師らによれば、�石�は錬金術師の姿を見えなくしたり、天使たちと交流させたり、のみならず自由に空を飛ばせたりする力さえ持つということである。
�石�を手中ににぎると、その人の姿は見えなくなる。薄い布地に縫いこみ、�石�をよくあたためるように布をしっかり体に巻きつけると、好きなだけ高く空中に浮かぶことができるのだそうだ。